第9話 環境が変わることがいいこととは限らない

「……凪君?」




気づきたくなかった事実を自覚してしまい、思わずその場に立ち止まってしまった僕に、楓が話しかけてきた。


その瞳は不安げに揺れ動いており、言葉にも僕を心配する色が混じっている。




「あ、ごめん。ちょっと靴がずれちゃって…」




そう言いながら僕はつま先をアスファルトの地面に向けて軽く叩いた。


もちろんこれはただの誤魔化し。その場しのぎの嘘だ。


動揺する自身の内面を悟られないよう、楓と目を合わせないようにする。


視線も地面へと落とし、なんとか心を落ち着かせるように努めた。




だけどこれが時間稼ぎであることは、楓も気付いているはずだ。


先ほどの会話の流れからあまりに露骨すぎるし、そのことが分からないほど彼女が鈍くないはずがない。そこまで鈍感な女の子なら、そもそもカースト上位に押し上げられることもなかっただろう。




昔から僕が具合が悪いことを察して保健室に連れて行ってくれたり、我慢して参加した行事で体調を崩したときに面倒を見てくれたのが楓だった。




彼女は昔から優しい子だったから、いつでも僕のことを気遣ってくれた。だけど、その優しさは決して僕だけに向けられるわけじゃない。


彼女は誰にでも等しく優しくて、誰にだって平等だった。




それがきっと楓が多くの生徒に好かれる要因なのだろう。


自分に優しくしてくれる人を嫌う人間はそうはいない。ましてやあの可愛さだ。好かれないほうがおかしい。




今までは僕がただ独占していただけであり、多くの人間が楓の魅力に気付いた今、その優しさにもっと触れたい、自分のものにしたいと考えるのは、おかしなことではなかった。


僕だって赤の他人であるならば、きっとそう考えてしまっていたと思うから。




学校で一番可愛くて、優しい女の子なんて、普通ラノベや漫画の中にしか存在しない。


それが現実にいるのだ。楓は多くの人が望み、想像するような、まさに理想の女の子であることだろう。




だから僕は許されなかった。彼女の笑顔を、優しさを一心に集める僕が妬まれないはずがなかったんだ。




そして僕も今では、そんな自分を許せなく思っていた。周りの視線、言葉、圧力によって、嫌が応にも気付かされた。




楓の幼馴染であったのが僕でなければ、きっと彼女はもっと早いうちから多くの友人に囲まれて人気者になっていたはずだ。


僕の側にいたからあまり友人を作ることもできず、小さい頃は僕とふたりきりで遊ぶことしかできなかった。


多くの友人や、本来彼女と仲良くできたはずの人たちさえ、可能性のまま去っていった。






僕が楓の未来を、可能性を閉ざしている。


そのことに本当は、ずっと前から気付いていた。だけどどうしても言えなかったんだ。




僕は本当に、心の底から楓のことが好きだったから。


楓以外の子のことなんて考えられなかった。これまでもこれからも、ずっと側にいて欲しかった。


だから僕から言い出せるはずなんてない。




好きな人のためを想って自分から遠ざけるなんて、僕には到底出来るはずもなかったんだ。




僕はただの凡人であり、なにも持たない人間だ。


人に誇れるなにかも、魅力なんてものだってなにもない存在であることを、自分自身がよく知っている。


ヒーローみたいな強さも、大切なもののために奮い立つ勇気すら僕は持ち合わせてなんていない。




僕はずっと、楓に守られて生きてきた。


弱いまま、中途半端なプライドだけが育ってしまい、ここまできてしまっていた。




こんな醜くて情けない人間が、幼馴染であるという、ただ一点の理由を除いて楓が僕の近くにいてくれる理由なんてあるはずがない。僕が楓をつなぎ止められるはずがないんだ。




だから別れてほしいなどと突き放したら、きっとそのまま彼女は遠ざかり、離れていくことだろう。






楓は選ばれる側の人間であり、選ぶ権利も持ち合わせた、特別な子だ。


僕を改めて選んでくれる理由なんてなにもない。だから怖かった。




楓のためを想って彼女の背中を押したことはなんの意図もしていなかったからできたことだ。


はっきりと内心をさらけ出し、自分から離れていてくれだなんて、どうしても言えなかったのだ。






僕は楓のことが好きだけど、同時に自分が彼女に釣り合うはずのない人間でないことは自覚していた。


僕の周りの全てがそれを証明している。僕を後押ししてくれる人なんて、これまで誰もいなかったのだから。






それでも中学の頃は祝福してくれる人たちもいて、彼らがいたから僕らの関係はまだ形になっていた。普通のカップルをすることができていたと思う。


市立の中学であったため、小学校からそのまま進学する生徒ばかりの環境だったのが幸をそうしていたのだ。


昔からの知り合いばかりで、話したことはなくても僕らの関係を遠巻きながら知っている生徒が多かったのが大きかった。割り込めないと、向こうが勝手に引いてくれていたのだ。




ああ、やっぱりあのふたりはくっついたのか。まぁそうなる気はしていたよ。白瀬さんと頑張れよ。




そんな言葉を当時はたくさん貰ったし、茶化されても素直に受け止められていた。


本当なら、ここで気付くべきだった。僕はいつだって周りの優しさに助けられていたことに、ここで気付いておかなければならなかったんだ。






全てが変わったのは、僕らが高校に進学してからのことだ。


変化した環境。変化した友人関係。僕らのことを知らない生徒達。


それまで過去が断ち切られた、リセットされた新しい世界。


それを快く思い、恩恵を授かるものもいれば、そうでもないものも存在する。




僕は後者の人間だった。


セーブもコンテニューもない、全てが一から構築されていく学校という名前のスクールカーストが、僕らの関係を壊していった。






彼らにとって、僕と楓の過去なんて知るはずもない。


今見ている僕と楓こそが彼らにとっての真実だ。


そして彼らの目から見て、僕と楓は釣り合わない。




そんな判定を下されるまで、そう時間はかからなかった。






だから僕という恋人がいようと楓に取り入ろうとするものは後を絶たない。


そんな連中に対しても楓は上手く距離をとってきたと思っていたのだが、今回はそうとは限らないだろう。




僕の内心は今、嵐のように荒れ狂っていた。


それを落ち着かせることに僕は必死だ。今楓を見てしまうと、もしかしたら問いただしてしまうかもしれない。






―――なんでそんなことを聞くんだよ、誰かにそう言えって言われたのか?と






そんな、あまりにも情けないことを口に出す自分を想像して、つい泣きそうになってしまう。


それはあまりにも格好悪すぎるだろ。ほんとに僕を心配して言ってくれたのかもしれないじゃないか。彼氏失格にもほどがある。






……いや、そもそも楓のことを疑ってしまった時点で、僕にはもう彼氏の資格なんて―――






「あの、凪君。ほんとに大丈夫…?なんだか、今の凪君……」




「あ、おはよー楓!」




底無し沼のような思考の泥へとハマっていく僕を見て、再び楓が話しかけてきたが、そこに割り込んでくる声が聞こえた。女の子の声だ。




「あ、あきちゃん。おはよう」




「うん、おはよう!楓と朝から会えるなんてあたしツイてるー!」




嬉しそうに駆け寄ってくる音に釣られて、僕はようやく顔をあげる。


視界には楓に抱きつくひとりの女子と、困ったように笑う楓。


それを見て、僕は少し眉を潜めた。それでも、なにも言わないわけにはいかないのだろう。




「おはよう、宮間さん」




挨拶をした僕を見て、彼女は冷たい視線を向けてくる。


思ったとおり、分かりやすい反応を返されるとこちらも苦笑するしかない。




「…なんだ、藤堂いたんだ」




宮間秋乃みやまあきの。楓の取り巻きグループのひとりで、中学からの彼女の友人。


そして僕を嫌う生徒である。だから慣れてはいるのだけど、それでもなにも思わないわけじゃない。




「あはは、ごめんね」




「アンタ、すぐ謝るよね。いっつもそればっかり」




僕が曖昧な笑みを浮かべると、彼女はますます嫌そうな顔をした。






……じゃあどうしろっていうんだよ

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