第20話 幸せの意味

人間というのは不思議だ。近くにいる誰かがいるだけで不安になることもあるし、安らぎを覚えることもある。


それは心の距離が関係しているのかもしれない。なにはともあれ、今の僕は前者だった。一之瀬さんがいないというだけで、妙に心が落ち着かないのだ。


急に訪れた静けさに、なんとも言えない心細さを覚えてしまう。




「女の子の部屋かぁ…」




それを誤魔化すために、ついキョロキョロと視線を彷徨わせてしまうのも、無理はないんじゃないだろうか。本当に部屋を漁るつもりなんて毛頭ないけど、こうして改めて見回していると、ちょっとした発見もあった。




「楓とはやっぱり違うんだな、当たり前だけど」




楓の部屋はもっと女の子してるというか、ぬいぐるみだけでなく小物なども充実している。ピンク成分も濃いというか、結構子供っぽい感じにまとまっているのだが、それに対して一之瀬さんはインテリア重視の洒落た大人っぽい部屋という印象が強い。




落ち着いた性格ということくらいしか彼女について知らなかった頃なら素直にイメージ通りだと思えたのだろうけど、本当の一之瀬さんの性格を知った今だと少し意外に思えてしまう。


綺麗に整理されているけど、なんとなくもっと雑多な感じのほうが彼女を連想してしまうというか…こういうのが印象に引っ張られるというのだろうか。




僕は一之瀬さんに徐々に心を開きつつある自分に、この時はまだ気付けずにいた。








「お待たせしました」




それから数分後、階段を上がる音が聞こえた後、一之瀬さんが部屋のドアを開いた。


その手にはトレイを持ち、その上には白いティーポットとティーカップが二つ乗っている。カップから湯気が立っているあたり、淹れたてのようだ。僕は姿勢を崩し、彼女に視線を向けた。




「いや、お構いなく。全然待ってないよ。ありがとう、ごめんね」




「それは良かった。それにしても、藤堂君は謝ってばかりですね。」




僕がお礼を言うと、一之瀬さんは苦笑する。




「ああ、その、なんか癖になっちゃってて」




僕も釣られて笑ってしまうが、確かにここ最近の僕は謝ってばかりだった。


今もごめんと言いそうになってしまい、なんとか言葉を飲み込んだところだ。気が付かないうちに、いつの間にかすっかり低姿勢が身についていたらしい。




「まぁイキられるよりは全然いいんですけどね。お礼を言える人は好感度高いですよ」




「まぁそこは人それぞれだし…」




「そういうところもプラスです。藤堂君って人のことを悪く言わないですよね。まぁだから内に貯めちゃうタイプなのかもしれませんけど。もっとそういうのは吐き出していったほうがいいと思いますよ」




そう言って一之瀬さんはトレイをテーブルの上に静かに置く。ティーカップの中で、紅茶が僅かに揺れていた。




「ハーブティーです。冷めないうちにどうぞ」




「ありがとう。頂きます」




カップを手に取ると、ハーブの独特な香りが鼻をつく。だけど、決して不快なものではない。むしろ落ち着く匂いだ。




「いい匂いだね」




「あっ、分かります?ちょっといい葉を使ってるんですよ。私のとっておきなんです」




嬉しそうにそう言う一之瀬さん。彼女は既にカップに口をつけ、ティータイムを楽しんでいた。




「ふぅ、美味し…さぁ、藤堂君もどうぞ」




吐き出す吐息が、妙に生々しかった。静かな空間にふたりきり。こんな気持ちを抱いてはいけないというのに、彼女の色気に誘われて、思わず口元を見入ってしまう。




「そう、なんだ…ごめんね。そんなお茶出させちゃって」




そんな自分を恥じて、目をそらした僕はカップへと視線を落とした。


エメラルドグリーンの水面が、ゆらゆらと揺らいでいる。




「また謝ってる。藤堂君は、もう少し自分に自信を持ったほうがいいですよ」




「…分かってはいるんだけどね」




自信を持つ。それは簡単なようで、とても難しいことだ。


人より秀でたものを持たないものは、いつだってそのことに苦しみ続ける。


いつも隣にいた人が、特別な存在であったと気付いてしまったのなら、特に。




「まぁ少しづつ着実にいきましょうか。急に人は変われるわけでもありませんしね。異世界行ってチート貰えるわけじゃないんですから」




「…一之瀬さんって、結構俗なこと言うよね」




この子、実はオタクだったりするんだろうか。見かけはお嬢様だけに口から出る言葉とのギャップが激しい。




「嫌いじゃないですよ、ラノベとか結構読みますし。部屋のインテリアとはあまり合わないから隠してますけど。後で読みます?」




「あ、うん…いやいや、そうじゃないって」




なんか話が変なほうに飛んでる気がする。趣味は合いそうだけど、どうにも一之瀬さんとの距離感が掴みにくい。




「まぁそうですね、話を戻しますか。とりあえず気にせず飲んでくださいよ。ハーブには精神を落ち着かせる効果があります。今の貴方にはピッタリかと思いますよ」




「誰かさんのせいで落ち着かなくなったんだけど」




「あはは、その調子です。もう効果出てきてるじゃないですか」




…ダメだ。口じゃ敵いそうにない。


僕は笑う一之瀬さんを無視してハーブティーを口に含んだ。僅かな苦味と温かさが口内に広がり、味わいながら飲み込んでいく。




「あ、美味しい」




「でしょう!ほんとにとっておきなんですから。口に合ったようでなによりですよ」




一之瀬さんはまた笑う。その笑顔は、本当に嬉しそうだ。




「遠慮せずにどんどん飲んでください。おかわりもありますよ」




「いや、でも高いんじゃ…」




その勢いに、なんだか腰が引けてしまい、つい言い淀んでしまう。


なんかずっと一之瀬さんのペースだなと頭の片隅で思ってしまうが、やはり悪い気はしなかった。




「いいんですよ。そのほうがこの子も喜びます。このハーブは、誰かに幸せな時間を過ごしてもらうために育てられたもの。なら、飲む私たちもそれを汲み取って、幸せな時間を過ごさないといけないんですよ」




穏やかな口調で話す彼女の顔は、優しさで満ちていた。


僕はもう一度ハーブティーを覗き込む。




(幸せにするために生まれた、か…)




ハーブだって、ちゃんと存在意義を与えられて生まれてきた。


なら、僕はどうだろう。どんな理由があって生まれたのだろう?今僕は幸せだと、言えるのだろうか。




自分の彼女を、幸せにしてあげていられると、胸を張って言えるのだろうか。




(言えるはずが――)




「あ、また悩んでますね!駄目ですよ、そういうとこが藤堂君の悪い癖なんです」




そう言って一之瀬さんは僕の手からカップを強引に奪い取る。少し中身がこぼれてしまうが、彼女は気にした様子もない。




「あっ、ちょっと!」




「私が連れてきたのは、そんな顔が見たかったからじゃありません。この家にいる限り、悩むのは禁止です!」




ボットから追加のハーブティーを注ぎ込むと、彼女はソーサーの上にカシャリと置いた。また飲めということらしい。




「強引な…」




「これが私のルールです。辛いなら、後で白瀬さんにいくらでも慰めてもらってくださいよ。ほら、ベッドの中とかなら彼女も優しくしてくれるでしょ」




ついには下ネタまで飛んできた。


ヤバい、完全に一之瀬さんに対するイメージが崩壊していく。




「そういうのないから。だいたい、楓と寝たことなんてないし」




「へ?」




一旦落ち着こうと、淹れ直されたハーブティーを再び口につけたのだが、何故か一之瀬さんは今度は唖然とした顔を僕にむけた。


表情がコロコロよく変わるなぁと、なんとなく感心してしまったのだが…




「え、藤堂君と白瀬さんってその…まだ、なんですか?」




「!ゴホッ!!」




次の瞬間、とんでもない墓穴を掘ってしまったことに気付いた僕は、口からお茶を吹き出していた。




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