第18話 重なる姿
「と、藤堂くん…?」
一之瀬さんの戸惑った声が聞こえてくる。いきなりその場に崩れ落ちた僕を彼女はどう思ったのだろう。だけどそんなことはもうどうでもよかった。僕はその場に蹲るように膝を抱える。
「なんでもないんだ、大丈夫だから…」
「な、なんでもないって、そんなわけないでしょう!大丈夫ですか!?」
駆け寄ってくる音がする。一之瀬さんは僕なんかのことを心配してくれているらしい。やはり彼女はいい人だ。僕にすら優しくしようとくれる。
普段物静かな一之瀬さんにこんな一面があったことを、僕は今まで知らずにいた。
「頼むから、ほっといてくれよ。もうどうでもよくなったんだ…」
だけど、その優しさが今の僕には煩わしい。
僕はますます膝に顔を埋め、背中をコンクリートの壁に押し付ける。汚れようが構いやしない。
遠くでチャイムの音が聞こえようと、それもどうでもいいことだった。
「…私を、そんな薄情な女だと思われたら困ります」
だというのに、彼女は僕の腕に手を伸ばしてきた。細い両手がブレザーの制服に触れる感触が伝わってくる。
「やめてよ、僕はもう…」
「やめませんよ。やめたら藤堂君、ずっとここにいるんですか?蹲っていたって、なにかが解決するはずもないでしょう」
どうやら強引に僕を引き起こすつもりのようだ。僕の体格は標準よりやや小柄であるとはいえ、それでも一之瀬さんよりは大きいし、身長だって高い。華奢な彼女では、大の男を動かすのはかなりの労力を使うことだろう。
「ほらっ、行きましょう藤堂君!」
だから、早く諦めて欲しかった。朝から無駄に体力を消耗する必要もない。そもそもただのクラスメイトである僕に構う必要なんて、彼女にはまるでないはずなのだから。
「もういいから。お願いだからほうっておいて…」
「んっ、しょっ。うぐぅ…」
そう思ったからこそ、僕は何度も懇願するのだが、一之瀬さんはそれを無視する。そればかりか、未だに彼女は僕の腕を離そうとしないのだ。チラリと様子を伺うと額に綺麗に切り揃えられた髪の間から、額に汗が浮かんでいるのが見えた。
(なんでそこまでするんだよ)
もう全部どうでもいい。そう思っていたはずなのに、ここまで頑なな一之瀬さんを見てると、いい加減イライラしてきた。
僕なんてなにも価値がない人間なのに。
一之瀬さんのためを思って言っているのに。
こんなに一生懸命に手助けしてもらう理由なんてないというのに。
(これじゃ、まるで…!)
タイプも違うし、似通ったところもないというのに、その時は何故か、僕に手を貸そうとする彼女の姿が、先に行かせたはずの楓の姿と妙にダブって見えてしまった。
「もう、離してくれよ!」
「えっ、きゃっ!」
そんな幻想を振り払うように、僕は一之瀬さんの手を振り払って立ち上がった。
「鬱陶しいんだよ!僕になんか構わないでくれ!!」
僕は溜まった鬱憤を晴らすかのように、沸き上がる激情を一之瀬さんにぶつけてしまう。
「さっさとどっかに行ってくれよ!こんなことしてもらう価値なんて、僕には全くないんだから!」
……ああ、分かってるさ。これはただの八つ当たりだ。一之瀬さんを楓と重ねて、これまでの不満を彼女に吐き出そうとしているってことくらい、分かってる。
「だからいいんだよ。僕なんて、もうどうでもいいんだ…」
それでも止まらない。止められない。
いつの間にか怒声から泣き声に変わっていたとしても、もう自分ではどうにもならない。走り出した感情は止まらない。堰を切ったように言葉とともに溢れていく。
「楓も、僕のことなんてほうっておいてくれればいいんだ。僕になんて、構わなければ、もっと…」
目から涙が溢れても。まるで関係ない女の子に内心を吐露していようとも。
僕はもう、止められない。
「…そうですか。大変、だったんですね」
だというのに。
こんな情けない姿を晒しているというのに、一之瀬さんはそこにいた。
ただ黙って、僕の話を聞き続けていた。
「…なんで」
とっくに学校は始まっていて、彼女はもう遅刻確定だっていうのに。
何故か彼女は、僕の側にいるのだ。まったくもう、訳がわからない。
「え?」
「なんで、そんな顔してるんだよ…!」
僕はその手を振り払ったのに。怒ったっていいはずなのに。
なんでそんな穏やかな顔を僕に向けているんだよ…!
「僕は、僕は…!」
「でも、凪君は立ち上がれたじゃないですか」
なにをいえばいいのかもう分からない僕に、彼女はそんなことを言ってきた。
「は…?」
「悲しくても、辛くても。凪君は今立ち上がれてる。なら、大丈夫です。話したいこと、まだあるんでしょう?全部聞いてあげますから」
その顔が、とても優しく見えてしまって。
「僕、僕は、僕は…」
「はい、なんでも言ってください」
僕はその場で、全ての感情を吐き出していた。
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