ロシアンルーレット11

 うちの応援団長は、鬼だった。

 千草さんがやるなら俺もやると、立候補してみた体育祭の応援団。

 千草と一緒にやれるわけではないということは、最初から分かっていた。

 しかし、この人がうちの応援団長だとは知らなかった。

 千草の古くからの友人であり、千草マニアで、俺にも時折絡んでくる金城だ。

 金城の応援団長ぶりは、それはもう熱血だった。

 軍隊の訓練かと思われるほどに厳しい。

 けれど、皆の士気を高めるのもうまいこの人は、どの団長よりも慕われているようだ。

 とにかく、熱い。たくさんいる団員全員を引きずりこめるほどに力強く熱い。


「春山達樹!動きがずれてるぞ。気合い入れ直せ。グラウンド5周!」

「ええ~?」


 俺に対しては、特に厳しいような気がする。何かというと、こうして俺を走らせるのだ。


「返事はハイだ」

「はーい」

「声が小さい!」

「はいっ!」


 陸上をずっとやっている俺には、専門は短距離といえども、ランニングは苦にはならない。部活動の時間を割いてこちらの練習をしているので、逆に良いトレーニングになるぐらいだ。

 多分金城はそれをわかっていて俺を走らせるのだ。俺の、というより、ほかの団員たちの気合いを入れるために。

 単純そうでいて案外目的に対しては計算高い人なのかもしれない。そうやってこの人は千草の友人という立場も手に入れたのだろうか。


 やめた方がいいと思うぞと言っていた千草を思い出した。

 あのときは、俺が鬱陶しくて言ったのかと思ったが、もしかしたら金城が俺の応援団長になると知っていたのかもしれない。

 いじわるな人だ。鬼団長にいじめられる俺を見て楽しもうなんて思っていたに違いない。


(だったらそう言ってくれればいいのに!)


 少し恨めしくは思うが、やめたいと思っているわけではない。

 もともとこの手のイベントごとは燃えるタイプだし、金城のことも別に嫌いなわけではないのだ。やるといったからにはとことんまでやり抜こうと思う。


(ちょっとでも千草さんにいいところを見せられたらラッキーだし)


 そんな下心を原動力に、俺は今日も熱血鬼団長にしごかれる。





 そんな鬼団長金城が今日はおかしかった。

 いつも必要以上に高いテンションが、今日は妙に低い。

 心ここにあらずな瞬間があり、俺が何度か振りを間違えても気付かないようだった。

 絶対におかしい。何かあったに違いない。

 金城があんな風に心を揺れ動かすのは、おそらく千草絡みだろう。

 千草に何かあったのかと、心配になってくる。

 今朝だっていつも通りだったし、思い当たる節はこれといって何もないのだけれど。

 そんなことを考えていると、いつもより少し元気のない、けれど地声の大きな金城の声が響いた。


「はい、ストップ。春山、5周だ。走ってこい」

「なっ…」


 自分のことを棚に上げてなんだよ、と思ったのだけれど。


「俺も行く。みんなはしばらく休憩していてくれ」


 金城はそう言って走り出し、ほら行くぞと俺の背中を押した。

 金城自身にも集中できていない自覚はあったらしい。

 単に俺は巻き添えを食っただけのような気もするが、先に走り出した金城を追いかけ、肩を並べて走り出した。


「何かあったんすか?」


 半周ぐらい走ったところでどうしても気になって聞いてみた。


「ああ、まあ、3年にもなるといろいろあるんだよ」


 お前には関係ない、みたいな素振りで金城は言ったけれど、そんなわけはない。わざわざ俺と一緒に走るのには、それなりの理由があるはずだ。本人は無意識なのかもしれないが、俺が金城を見て千草を思い出すのと同様に、金城の中にも俺と千草とは連動する感覚があると思うのだ。


「千草さん絡みっすよね?」

「なんでわかる!?」


 金城は大仰に驚いた。図星らしい。


「わかりやすいっすよ」


 おかしくて、つい笑ってしまった。こんな人だから、ライバル的立場でありながら嫌いにはなれないのだ。


「あんたがそんな風になるの、千草さんのことだけですよね」

「お前が俺の何を知ってるんだよ」

「知らないっすけど、何となくそんな匂いがしますね」


 個人的に話をしたことなんてほとんどないけれど、この人の千草への執着を見ていれば分かる。のめり込み方が尋常じゃない。

 応援団のことといい、好きなことにはとことん突き進むタイプなのだと思う。それはもう異常なぐらいに。

 ということは逆を返せばそれ以外のことはおろそかになるに違いない。何でも器用にこなせるタイプには到底見えない。

 白黒ハッキリしていて分かりやすい。


「違ってましたか?」

「いや、違ってねえな。確かにミナのことでちょっと、さ」

「千草さんがどうしたんすか?」


 金城は深くため息をつき、俺の方をじっと見た。

 話すべきかどうか悩んでいるみたいだった。


「団長が腑抜けてたんじゃうちの応援はダメっすね」


 そう追い打ちをかけると、すぐに金城は観念した。扱いやすい人だ。


「ミナがさ、やっと進路を教えてくれたんだよ」


 そういえば、何度か金城が「ミナ、どうすんの?」と聞いていた気がする。

 千草も金城も3年生だ。卒業まで後半年ほど。その後の進路どうするかは、当然もう決めている時期である。

 まだ入学したばかりの1年生の俺は、そんなこと考えもしない。千草が卒業して学校からいなくなってしまうなんて、考えたくもない。


「あいつ、音大行くって言うんだよ。もう、俺、どうしたらいいのか…」


 千草の進路を聞いたのは俺も初めてだったが、別段驚くべきものではない。けれど金城はこの世の終わりとばかりに悲愴な顔をしている。


「いいじゃないっすか、千草さん、ピアノで生きていこうっていうことでしょ?」

「良くないよ。音大には音楽科しかないんだぞ。俺が入れないじゃないか」


 力強くきっぱりと、金城はそう言った。


「…大学までストーキングするつもりだったんすか…」


 ようやく、悩みの種が見えた。そういうことだ。


「当然だ。俺はあいつと同じ学校に行きたかったの!」


 返す言葉を失った。この人の徹底ぶりときたら、異常者と紙一重だ。

 まだ千草が友人として心を許しているからいいが、そうでなければ犯罪者である。


「じゃあ今から音楽を勉強したらどうです?」


 呆れながら適当なことを言ってみた。それぐらいのことは平気でやりそうだ。

 けれど、金城は首を振り、ずーんと落ち込んだ。

 周りの空気が重くなるような錯覚。この人の浮き沈みはなぜだか周りをも巻き込む。


「俺は法学部志望なんだ。法学部ならわりといろんな学校にあるし、ミナがどんな学部を選んでも対応できそうだと思ったんだけどなぁ」

「法学部!?」

「そう。俺、裁判官になるのが夢なんだ」


 驚いた。急に金城がすごく大人に見えた。

 何も顧みず千草を追いかけている金城が、それと秤にかけても勝つほどの思いで将来の夢を思い描いていることに。

 俺にはまだ、何もない。高校生の今を楽しんでいるだけで、その後どうするのかなんて何もない。

 3年生にとってはそれが今目の前に現実としてあるのだ。

 2年の差は大きい。

 俺の知らないところで、千草も悩んでいたのだろうか。


「しょうがないじゃないっすか、やりたいことが違うのなら」


 金城は自分の意志で千草と違う道を歩んでいく。

 けれど俺は、年の差というどうにも変えられないもののせいで否応なくわけられてしまうのだ。


「そうなんだけどさ」

「一緒にいられなくたって、それで一切のつながりがなくなるわけじゃないでしょう?」


 子供じゃないのだから、会いたいならば会いにいけばいい。

 それは俺の願いでもある。

 あと半年で道が別れてしまうのは、俺もまた同じなのだ。


「でもあいつはそういう冷たいやつなんだ。近くにいられなければ忘れ去られる。俺はそんな奴らを山ほど見てきてるんだ。だから必死になって追いかけてるんじゃないか」


 確かにそれは何となく想像がつき、何年とそれに耐えてきた金城の苦悩が目に見えるようだ。

 俺なんてまだ知り合って半年も経たないぐらいで、そう思えばずいぶん優遇されているのかもしれない。

 金城にあれこれ絡まれるのも当然といえば当然なのだ。


「卒業したらお前だってすぐに忘れられるさ」


 そう言う金城に言い返す言葉が見つからない。

 俺はそうではないと、言えるだけの自信がない。

 鬱陶しい奴が一人いなくなったと思われるだけのような気がしてならない。

 寂しい現実は、ほんの目の前だ。


「お前に話したらちょっとすっきりしたわ」


 金城はいつの間にかいつもの調子を取り戻していた。

 もやもやした思いはあるものの、金城には明確な進む道があるのだから迷うことはないのだ。


「俺が駄目っすよ」


 今度は俺が、沈んで抜けられない。

 千草が卒業してしまう現実、そして忘れ去られてしまうかもしれない不安。

 そんな耐えきれない事実を突き付ける金城を恨めしく思う。

 悪いのは金城ではないのだけれど、憎まずにはいられない。


「俺も八つ当たりしていいっすか?」

「嫌だね」


 金城は逃げるようにぐんとスピードを上げた。


「陸上部に足で勝負しようだなんていい度胸っすね」


 俺もスピードを上げ、それに追い付き、追い越した。

 いつの間にか二人で躍起になって競争していた。

 長距離ではあり得ない速度で疾走する。

 5周走り終えた時には、俺も金城も立ち上がれないほどになっていた。


「あんた、体力あるんすね」


 現役陸上部の俺と一緒に走りきれるとは思わなかった。

 負けはしなかったが勝てもしなかったのが情けない。


「おまえみたいなのは、体動かすと悩みなんて吹き飛ぶんだろう?便利なもんだ」


 そういえば、必死で走っているうちに、暗い思いは消えていた。

 もちろん未だ不安は残るけれど。

 今、共にいられる時間が大事なのだ。沈んでいる暇はない。

 沈んだ俺を引き上げるために、この人はこんなになるまで一緒に走ってくれたのだろうか。


「あんたのしぶとさには感服しますよ」


 それはゆるがない意志の強さだ。尊敬すべき才能だ。


「つーかおまえ、さっきから先輩に向かってあんたってなんだよ」

「嫌なら金城って呼ぶけど?」

「呼び捨てかよ!」


 俺たちはライバルであり、同志なのだと思う。

 自分だけではないことに、救われている部分がある。

 案外、気に入っているのだ。




<終>

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