ロシアンルーレット7

 いつもの電車に乗り、ドアの脇の定位置を確保した千草は、一息ついて音楽プレイヤーのイヤホンを耳に突っ込んだ。

「うわわっ」

 ドアが閉まる間際に慌ただしく駆け込んでくる奴がいて、千草はちらりとそちらに目を向けた。

「…金城?」

「あ、ミナ、おはよ」

 見慣れた友人は、髪を振り乱して走ってきたのかそれとも寝癖を直せていないのか、ボッサボサの頭で息を切らしながら、千草の顔を見つけてにっこり笑った。

 金城はそのまま強引に人をかき分けて千草の隣までやってくる。彼の強引なまでの意志の強さと行動力はこんなところでも発揮されるのか。周りからガンガン睨まれている金城の友人だと認識されることが、千草は少し憂鬱だった。


「珍しいな、金城がこの電車に乗るなんて」


 普段、金城が乗るのはもう2、3本後の電車だ。早起きは苦手で、たいてい遅刻ぎりぎりに教室へ駆け込んでくる、そういうタイプの男である。


「だって、電車が一緒だって言ってたろう?」

「は?」

「春山達樹。お前のお気に入りだよ」

「別に気に入っちゃいないよ」


 千草と達樹の様子を見たいがために、わざわざ早起きをして早い電車に乗ってきたらしい。呆れるのを通り越して恐れ入る。


「で、あいつはまだ?これから乗ってくるの?どの駅?」


 千草の耳のイヤホンをひとつ勝手に引き抜いた金城は、矢継ぎ早に聞く。


「五つ先の駅」


 ため息まじりに答えた千草は、イヤホンを取りかえして再び耳に入れた。





 いつもの電車に乗り、人波に流されながら奥の方へ進んでいくと、いつもの場所に千草の姿を発見する。


(ラッキー、今日も近いぜ)


 千草の斜め前辺りのポジションをゲットして、俺はおはようございますと千草に声をかけた。


「おはよう、春山君」


 しかし、返事は千草からではなく、その隣にいた人物から発せられていた。

 よく見れば、千草の隣にも同じ校章のついた学生服の男がいる。

 名前を呼ばれたが、俺には全く見覚えのない人だ。千草と同じ3年生のバッチが付いているから、千草の友達なのだろうか。


「俺は皆川の親友の金城だ」


 なぜか自慢するように、彼はそう名乗った。


「はあ…」

 何だか知らないが、千草との貴重なひとときを邪魔しないでほしい。

 適当に彼を無視して千草を見ると、何事もないかのようにいつも通りにイヤホンから流れる音楽に耳を傾けている。我関せず、この人の態度はいつだってこれに限るのだ。

「千草さん」

 俺は、聞いているかのかいないのかも分からない千草に話しかける。これがいつもの俺の朝の風景だ。耳にイヤホンは入っているけれど、何気なく俺の話も聞いているっぽいというのが今のところ俺の出した見解である。もしかしたら、音楽は鳴っていないのか、あるいはかなりボリュームを下げてあるんじゃないかと思う。聞いていないようでいて、たまに俺の話に反応する素振りを見せることがあるからだ。

 だから俺は、たとえ千草がこっちを見ようとしなくても、周りに独り言を言うヤバい人だと思われようとも、こうして毎朝一方的に話しかけている。

 けれど、今朝は少し勝手が違うようだった。

 千草の隣にいる金城という男が、そんな俺をじっと見つめ、そして密やかに笑うのだ。

 千草に相手にされていない俺を嘲笑っているのか、あるいは哀れんでいるのか。

 とにかく、人の顔を見ては楽しんでいるこの男がどうにも癪に触り、いつものような楽しいひとときを過ごせずにいた。


「あの」

 抑えきれず、俺は金城に話しかけた。

「金城さんは、千草さんが好きなんですか?」


 俺を見る目にそんな敵意を感じた俺は、挑発するみたいにそう言った。それは思った以上に効力があったようで、金城は大袈裟なぐらいに狼狽える。多分、千草とは正反対で、気持ちを覆い隠すことのできない人のようだった。

 俺自身もどちらかといえば金城寄りのタイプだが、ここまで激しくはないと思う。久しぶりに出会った、俺でも口で勝てそうな相手だ。千草はこういう人間が好みなのだろうか。


「な、何言ってんだよ、いきなり。おれ、俺は…親友だって言ったじゃないか」

「彼氏じゃあ、ないんですよね?」

「何訳分かんないこと言ってんの、おまえ…」

「俺は、千草さんが好きですよ」


 何が目的なんだかよくわからないが、邪魔者は追い払うべきであろう。俺は扱いやすそうなこの人に、上から見下ろす角度でにっこりと微笑みかけた。自分の体の大きさがどんな威圧感を人に与えるかは重々承知している。


「おまっ…、公共の場でそんな爆弾発言…」


 すっかり気圧されてしまった様子の金城は、言葉を失い、千草に助けを求めた。片方のイヤホンを奪い取り、耳元に口を寄せる。


「聞いたか、お前」

「全部聞こえてる。ていうか、勝手に抜くな」


 金城の手からイヤホンを奪い返した千草だったが、それは耳に入れずに自分の手に握ったままにする。再度それを取り合うのが億劫なだけだろうが、いとも簡単に千草に聞く態度を取らせてしまう金城は、さすが親友だと豪語するだけのことはある。扱いやすくはあるけれど、案外強敵かもしれない。


「聞こえてるって、ミナ、知ってたのかよ、こいつの気持ち」

「はっきり聞いたのは初めてだけど、想定の範囲内だね」

「なんでわかってて付き合ってるわけ?」

「別に付き合っちゃいない」


 話は終わりだとばかりに、千草はイヤホンで耳に蓋をする。


「信じらんねえ…」


 それは何に向けたつぶやきだったのか俺には分からなかったけれど。


「なんかおまえ、大物だな」


 金城はため息をつきながら俺の肩をポンポンと叩いた。


「はい?」

「まあいいよ」

「は?」


 いったい何がどうしたのか、彼の中で何か納得がいったような、そんな表情をしていた。おそらく、明日の朝も邪魔されるというようなことはないだろうと思う。

 ひとまず、災厄は去った。

 ほっと胸を撫で下ろし千草に目をやると、やはり何事もなかったように我関せずの態度を徹底している。


(俺の告白、なんだったのかな)


 あまりに無反応で少し悲しくなるけれど、こういう人なのだ。

 確実に耳に入っているということがわかっただけで良しとしよう。

 それでも彼が態度を変えずにいていくれるということは、それだけで俺にとっては良いことなのだ。






「おまえ、そんな強気な顔もするんだ」


 降車駅に着く直前、千草は独り言とも思えるぐらいの声量でぽつりと言った。



<終>

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