ロシアンルーレット8

 がくんと電車が大きく右に揺れ、俺の体が壁際の千草にぐっと近付く。

 人一倍背の高い俺とはかなり身長差があるため、際どい距離に顔が近付くようなことはないが、逆に身長差があるが故に必要以上に近付いてもそれほど苦にはならないという利点もある。


「ねえ、千草さん」


 ひっそりとした囁きが、千草の前髪を揺らすぐらいの至近距離。きっと千草は眉間にしわを刻んでいるだろうが、そこは満員電車の所為ということにしておこう。


「なんだ?」


 予想通りに不機嫌な声。けれど返事が返ってくるということは、それほど最悪の気分というわけでもなさそうだ。

 体重はかけないように腕で支えつつ、同じ男とは思えない千草のさらさらの髪から漂うシャンプーの香りを嗅いでみたりする。


「好きです、千草さん」


 呼びかけてみたものの、話すことが思い付かなかった俺は、そんな囁きで再度千草の前髪を揺らした。


 数日前の電車で、間接的ながら告白をしたにもかかわらず、千草からの反応は何もない。もしかしたらもう忘れてしまっているんじゃないかというぐらいにきれいさっぱりスルーされてしまった感じである。

 よもや千草も俺を好きだと思ってくれているなんてことはあるまいと思っていたし、気持ち悪がられて拒絶されるのも困る。結果的にはこれで良かったのかもしれないが、それでもここまですっぱりとなかったことみたいにされてしまうのもそれはそれで寂しいものだ。結局どうあってほしいのか、俺自身にも分からないけれど、人間の感情というものは複雑で厄介なものなのだ。


 再び告白してみたものの、また無視されるか、あるいは怒られるか、そんな反応を覚悟していた。そう思っていながらも言ってしまう俺は、きっと馬鹿なんだろう。

 けれど。


「この前も聞いた」


 千草の反応は予想外だった。

 俺の言葉を無視しているわけではなく、それなりに容認しているということだ。


「覚えてるんすか?」

「当たり前だろう。つい何日か前の出来事を忘れてしまうような弱い頭はしていない」

「だって、あんまりにも無視されてるから」

「俺にどうしてほしいんだ?」

「いや、どうって言われても困るんですけど…」


 望んだことを何もかも叶えてくれるというのなら、それはもうしてほしいことなんて星の数ほどあるけれど、どれもこれも却下されそうなものばかりである。


「言っておくけど、俺は好きじゃないからな」

「…わかってます」


 そんなだめ押しまでもらってしまっては、もう俺にはどうすることも出来ない。

 俺のことを好きになってください、なんて、言わせてもくれない。


「じゃあ、あの、俺が千草さんを好きでいることはいいんですね?」

「そんなこと…、駄目といったっておまえはやめないんだろう?」

「はい」

「それなら意味のない質問だな」


 承諾だと受け取っていいものか、微妙な返事ではあるが、そこは良しとしておこう。

 嫌がられていないだけ、俺は幸せ者なのだ。

 今はそれでいい。多くを望み過ぎてはいけない。そう自分に言い聞かせる。


「好きです、千草さん」


 ドサクサにまぎれて、額にそっと唇を触れさせる。

 千草は気付いているのかいないのか。


「だからそれはもう何度も聞いた」

「何回でも言いたいんです」


 それぐらいはいいでしょう?

 そう心の中で問えば、千草の返事はため息となって俺の喉元をくすぐった。



<終>

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