ロシアンルーレット23

「ミーナっ」


 俺を呼ぶ声とともに背中にどすんと衝撃が走る。


「重い」


 低い声で冷たく不快であることを主張したが、俺の望みとは逆に、伸ばされた腕ががっちりと俺の体に巻き付いた。

 背中に乗っかるコレは、振り返らずとも金城だとわかる。俺にこんなことをするやつはきっとこの世に一人きりだ。


 卒業式まであと数日、金城はこれまで以上に執拗に俺に構うようになっていた。卒業してしまえば先にあるのは別々の道で、こうしていられるのは今しかないという金城の主張は理解できるけれど、理解することと認めることは同義ではない。


「金城、ウザイ、死ね」

「ミナちゃん冷たーい」


 俺の罵声なんて金城には今更何の効果もなく、むしろ喜ばせてしまうぐらいだとわかっているけれど、その鬱陶しさ故言わねば気がすまない。


「何だって用もないのにお前は休み時間の度によそのクラスに来るんだ」

「用はあるよ。皆川の中に俺の存在をしっかり植え付けておこうと思って。だってお前絶対すぐ俺のこと忘れるだろ?」


 今更なことを、と心の中でぼやく。もう既に嫌というほど植え付けられている。一体何年の付き合いだと思っているのだ。忘れたいのはやまやまだが、忘れられるはずがない。あまり他人との交流を好んでこなかった俺の唯一友人と呼べるかもしれない存在だ。いつだって邪険に扱っているが、決して嫌いなわけではないし、認めているし、もしかしたら救われている部分もあるのかもしれない。


 とはいえ、金城のこのしつこさがなくなってしまえば、例えば大学生活が多忙で俺に構っている暇がなくなってしまえば、俺の方から連絡を取ることはないだろうし、そのまま疎遠になっていくのだろう。ただ青春時代の思い出のひとつとしてうっすらと心に残っていくだけだ。


 あまり他人に興味がないのだ。自分が目標に向かって進むこと以外どうでもいい、良く言えばストイック、悪く言えばエゴイズムなそれは、生まれついての性格なのか染み付いた習慣なのか、とにかく俺の中ではそれが普通の感覚であり、今更修正して生きるつもりもない。


 そういう俺の薄情さを、金城は身に染みてわかっているのだろう。なぜだか随分俺を気に入っているらしい彼は、いつもその部分で不安に駆られている。押して押して押しまくる。引いたらそれが最後の時だと思っているのかもしれない。よく理解していると思うが、少々行き過ぎるのが玉に瑕だ。俺の憎まれ口の半分、いや3分の1ぐらいはパフォーマンスであるが、あとはひとつ残らず本心だ。こんなふうにベタベタされるのは鬱陶しさ以外の何も生まない。


「ああ、もう、気持ち悪いな。耳元で喋んな」


 自分の席に座る俺の後ろから負ぶさるようにして抱きつくその体勢のせいで、金城の声は俺の右耳の後ろから息を吹きかけるようにして届くのだ。それが不快で身を捩る。多分俺以外の誰でも不快と感じる距離であると思うのだが、金城にはその辺りの配慮が足りない。いや、そんなことわからないほどコミュニケーション下手な人間ではないはずなので、もしかしたらわざとなのかもしれない。


「俺相手だとマジで嫌がるよな」


 金城は嫌がらせみたいに大きなため息を俺の耳に吹き込んで、けれどおとなしく俺の体から手を離し俺の右隣へと移動した。降参とでも言うように大げさにハンズアップしてみせるのは、やはり一連の行動がわざとであることの証だ。俺が嫌がるのを知っていてやっているのだ。ならば十分望み通りの反応であろうと苛立ちの目を向ければ、しゃがみこんだ金城は膝の上に頬杖をつき、珍しく傷ついたような目をして俺のことを見上げていた。


「あいつに好きだとかマジで言い寄られても、気持ち悪いなんて言わないくせに」


 不服感いっぱいに子どもっぽく口を尖らせ、金城は責めるように俺を見る。


「ああ……そうだな」


 金城が更に不貞腐れるとわかっていて、俺はそれを肯定する。達樹に対して気持ち悪いなんて感じたことはないし、まとわりついてきても金城のようにウザイとも思わない。満員電車の中では物理的にもかなり密着するけれど、こんなふうに息がかかって不快に感じたこともないし、好きだと言われることに生理的な嫌悪も感じない。それどころか、自分からキスをしたことさえあるだなんて、そんな事実を告げたら金城は一体どんな反応をするだろうか。


 達樹とは、初めから距離が近すぎたのだと思う。満員電車という特殊な状況が、達樹との距離感を狂わせているのだ。通常ではありえない距離が俺とあいつとの日常として最初からそこに存在していたからだ。むしろ普通の距離感を知らないぐらいだ。改まった場所で対峙すれば、きっとそちらの方が落ち着かないのだろう。


「俺さ、逃げるなら今だと思うぜ?」


 内緒話でもするように遠慮がちに、金城が告げた。


「何がだ」


 達樹のことを言っているのだと察しはついたが、不快な色を乗せてあえて問い返す。


「あいつからだよ。卒業して会わなくなっちまえばそれまでだろ。男に惚れられたって迷惑なんじゃねえの?」


 お前に指図なんてされたくないという俺の気持ちはわかっているだろうに、それでもお節介をぶつけてくる金城を俺はきつい目で睨みつける。これだから賢いやつは嫌いだ。おちゃらけた行動でバカっぽさを醸し出しているが、金城は賢い。勉強もできるけれどそういうことではなく、生き方が聡い。人を油断させておいて絶妙なタイミングでするりと奥の方に入ってくるのだ。そのどれもが核心を突いているから厄介だ。


「生憎、逃げるのは嫌いな質なんだ」


 そんなことは金城なんかに言われずともとっくに考えた。考えた結果、今がある。百か零かを考えた時に、零を選べなかったのだ。既に新たなつながりを与えてしまった。


「おまえさあ…。ああ、ミナ、俺は心配だよ。俺の目が届かないところでミナがあいつに流されそうで」


 俺の返答に金城は絶望したように大げさに首を振った。


「俺が人に流されるような人間に見えるか?」

「いや、むしろそういうのとは無縁に生きてる奴だよ。少しは流されることを覚えないとって思うぐらいだよ。そう思ってたけど、なぜかあいつに関してはかなり流されてるから驚いてるんだ。このままなし崩しに流されてさ、久しぶりにミナと会ったらいつの間にか付き合ってたなとか言われるんじゃないかと俺は心配で心配で」


 金城は俺の右手を両手で握りしめ、祈るように額にあてる。芝居がかった仕草であるが、本気で心配しているらしい。自分がどれだけ押してもなびかなかった俺が簡単に達樹に落とされてしまいそうな現状に焦っているのかもしれない。お前には関係ない話だと切り捨ててしまおうかとも思ったが、あまりにも必死に縋るその様子にふと悪戯心がわき起こる。


「そうか、お前は俺があいつに流されなきゃいいんだな?同感だ、俺も流されるのは嫌いだ。俺の人生は全て俺自身が選び取る」


 陸上を諦めてピアノを選んだのもそうだ。失うことは望んでいたはずもない忌まわしい運命であったが、その後どう生きるか選び取ったのは自分の意志だ。ピアノで結果を残してきたのは自分の努力だ。俺は全て俺の意志で、俺のこの手で掴んでいきたい。


「だけど、俺が何を選択するかまでは、お前には関係ないよな、金城」


 たとえそれが金城の望まない結果であってもな、という言葉は音にせず、ただにやりと挑戦的な笑みに代えて伝える。


「ちょ、ちょっと、ミナちゃん?それってどういう…?……えっ?」


 聡いところを逆手に取ってやる。言葉の裏から読み取れることを想像するがいい。俺は何も言わない。けれど脳内で答えを導きだしてみたらいい。ただの想像に過ぎないそれで悶え苦しめばいい。

 急におろおろと取り乱す金城の姿を見て笑い転げたい気持ちがあふれるが、ぐっとこらえる。まだだ。もっと追い打ちをかけなければ面白くない。


「だってお前はあいつとは違うんだろ?男が男に惚れるとか、迷惑なんだもんな」


 お前が俺に惚れているのでないならば、俺が誰に恋心を抱こうが関係のない話だ。そんなことを遠回しに口にする。


 実際に、金城が俺のことをどう思っているのかなんて知らない。純粋に友情なのか、それとも達樹と同じような思いもあるのか。けれどそんなことはどうでもいい。金城が俺に告げないのであれば、俺が考えたって意味のないことだ。だけど言葉の端にそれをにおわせてやれば、どっちにしろ動揺するに違いないのだ。俺に固執するその事実さえあれば。


「そ、そりゃ、普通そうだろ?」

「だったらお前が心配することは何もないな」


 これで万事解決、話は終わりとばかりにパンと柏手を打てば、思い通りに食らいついてくる。


「いや、ちょっと待って、そうじゃなくってさ。それってお前もあいつのこと…」


 言いかけたところでタイミングよく始業のチャイムが鳴り響く。答えなんてくれてやるつもりは端からない。


「チャイムなってるぞ。早く自分のとこ帰れ」


 しっしと手で払うように追い返すと、金城は泣きそうな顔で何度もこちらを振り返りながら渋々教室を出て行った。金城の脳内でどんな結果が出ているのか想像するのは容易い。それが事実か否かはまた別の問題だ。


 何かを決心したわけではない。ただ金城をからかってやっただけだ。

 だけど少し、どことなく迷っていた気持ちが晴れたような気がした。

 卒業まであと数日、この愉快で甘やかな高校生活ももう終わる。終わらせなければいけない。



<終>

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