ロシアンルーレット16
テストの答案用紙を机の上に並べ、俺はうちひしがれていた。
赤点が3枚。一週間後に追試があるという。
「やべー…」
ただでさえ、入学したばかりの自分ともうじき卒業してしまう千草との年の差にきりきりしているというのに、留年してもう一年離されるなんて冗談じゃない。
貧相な自分の脳みそが切ない。理系はわりと得意なのだが文系がぼろぼろだ。古典、日本史、英語、並べた赤点のテストは見事に文系ばかりだった。
「どうする、俺!」
どうするったって、必死で覚えるよりほかない。だけどテスト前に必死で覚えたつもりでこれなのだ。暗記力のなさが泣けてくる。
「あー、もう」
くしゃくしゃっとテストたちを鞄に突っ込んで立ち上がった。煮詰まったときは走れ。俺の単純な脳はそのように出来ているらしい。猛烈に走りたくなる気持ちのままに教室を飛び出した。
校舎を出る前に廊下で千草を見つけてブレーキをかける。これから帰ろうというところを幸運にもすれ違ったのだ。
「あ、千草さん」
「廊下を全力疾走するな」
千草の拳骨が俺の胸にだいぶきつめにぶつかる。
「ごめんなさい。痛いっす」
本気でうめきながら、ふと思いついた妙案に、反射的にその拳を捕まえた。手首の辺りをぎゅっと握ると、不満げなきつい視線がとんでくる。
「千草さん!千草さんて成績いい人っすか?」
「は?まあ、普通かな」
「普通最高っす!千草さん今少し時間ありますか?」
「いきなりなんなの、お前」
「俺に勉強教えてください!」
「断る」
勉強もできる、千草とも一緒にいられる、最高のアイディアだと思ったのにきっぱりした否定が返ってくる。まあ、いつものことなんだけど。
「そう言わずに、お願いします」
俺は両手をあわせて食い下がる。こんな事で引き下がっていたら千草には構ってもらえない。
「テスト終わったばかりじゃないか。…もしかしておまえ…」
「来週追試なんです。助けて、千草さん~」
情けない俺を見せるのなんて今更だ。ここは泣き落としだって何だって。
「バカだバカだとは思ってたけど、本当に勉強もできないバカだったのか」
「すいません」
罵声を浴びるのだって覚悟を決めてしまえば気持ちいいぐらいだ。人はそんな俺の事をマゾだというかもしれないけれど、千草のそれは特別なのだ。
千草は大きく大きくため息を吐くと、「教科は?」とぶっきらぼうに投げつけた。
「古典と日本史と英語」
「三つもあるのか!?」
「えへへ、まあ…」
「図書室でいいか?」
「教えてくれるんですか!?」
「言っておくが、人に教えた事なんてないからな」
さっさと背を向けていってしまう千草のあとを子犬みたいに追いかける。
(やった!)
放課後、いつもだったらその姿をちらりとでも拝めればいいとこ、すぐさようならのその時間を千草と一緒に過ごせるのだ。こういうのをなんて言うんだったか、怪我の功名?棚からぼたもち?よくわからないけれどとにかくラッキーだってことだ。
これで追試も乗り切れたら言う事はない。
千草の口から出た言葉なら何だって覚えられそうな気がする。
嫌いな勉強だって楽しくなりそうな勢いだ。
我ながら単純である。
数分後、人気の少ない放課後の図書室で俺は少し後悔していた。
「意味が分かりません、千草さん」
「だから、教科書のここからここまでを全部覚えろと言ってる」
「いやいや、無理ですよ。それが出来たら赤点取りませんって」
英語の教科書を間に挟んで向き合った俺と千草はずっとこんな押し問答を続けている。
「文法とかなんとか細かい事がわからないのなら丸暗記すればテストなんてなんとかなる。ここからしか問題が出ないと決まっているんだから簡単だろう?」
「だから千草さん、俺暗記が苦手なんですって」
「じゃあどうしようもないな。俺は自分のやり方しか教えられない」
「そんなぁ」
だったら、と、次は日本史の教科書を出してみると、これもまたこんなもの丸暗記するしかないだろうという。
「ええと、千草さん、もしかして古典も?」
「古典はまあ、日本語だから、普通に読んでわからない単語だけ頭に入れておけばなんとでもなるだろう」
「普通に読んでて全然意味わかんないんすけど…」
絶望的に言葉が通じない。そもそもの前提が違いすぎる。
これはもう、教わる人の選択を誤ったとしか。
千草はおそらく記憶力と感覚で勉強をこなしているいわゆる天才肌の人間なのだ。芸術家だ。同じ勉強法をしたって凡人の俺には到底無理だ。
こうして一緒にいられるのはもちろん嬉しいけれど、残念ながら俺の成績は一向にアップしそうにない。
「ああー、千草さん、俺どうすれば…」
「そんなこと、俺が知るか」
頭を抱える俺を千草はかわいそうなものを見るような目で見ていた。
「だから人に教えた事なんてないと言っただろう」
もしかしたら機嫌を損ねてしまったかもしれない。
「ごめんなさい、俺ほんとバカで」
「走ってばっかりいるからだ」
「千草さんだって昔はそうだったんでしょー?走るの関係ないっすよ」
「ま、関係ないな。俺帰るわ」
ばっさり切り捨てた千草はこれ以上やる事はないと立ち上がって、俺を見捨てて行ってしまう。
「千草さーん」
情けない声を出す俺を尻目に図書室を出て行ってしまう千草の足が、入り口辺りで不意に止まる。
「あ、金城、いいところに来た」
鉢合わせた人物を見上げて千草は珍しく嬉しそうな声を出した。
「金城に教えてもらうといいよ」
有無を言わせず金城を俺の元まで引っ張ってくる。
「は?何?何の話?」
素直に、ちょっと嬉しそうに引きずられてきた金城は、話の展開が読めずに俺と千草の顔を交互に眺める。
「金城はバカなやつだけど本当は俺なんかよりずっと賢いんだよ。学年順位は一桁かな。文系だし、ちょうどいいじゃないか」
「マジで!?」
千草の口から告げられる驚愕の事実に俺はあんぐりと口を開ける。こんなふざけたやつが学年順位一桁なんて信じられない。けど、別段否定もしない金城の反応を見る限り現実なのだろう。
「いや、だから何の話だ?」
「金城が俺の代わりに達樹に勉強を教えるという話だ。じゃ、頼んだぞ」
「え?なんで?」
千草は金城の肩を押さえつけ、今まで自分が座っていた椅子に金城の体を押し込むと、じゃあなと手を挙げてさっさと帰っていく。
「追試、ちゃんとできたらご褒美やるから、しっかりやれよ」
去り際に千草は珍しく笑顔を見せてそんな甘い言葉を置いていった。
もしかしたら、自分が教えてやれなかった事を少しすまなく思っていたりするのだろうか。
「ちょっとミナ、褒美は俺にじゃないのか?この場合」
「俺のお願いが聞けないなら二度と口きかないけど?」
「うわ、俺には脅しかよ。わかったよ、しょうがないなあ、もう」
口を尖らす金城にも不敵な笑みを送って千草は姿を消した。
残されたのは金城と二人きり向かい合うというこの状況。
気まずい。金城相手に弱みなんて見せたくないのに、なぜこんなことになってしまったのか。けれど、そんな些細なプライドをかざしている場合ではないのも確かだ。
「あ、あの…」
「なんだよ、赤点か?教科は?」
予想外に優しい口調で金城は俺に向き合う。約束はきっちりと果たしていくつもりらしい。
「古典と日本史と英語」
「三つもあんのか!?」
千草の時と全く同じ反応が返ってくる。
「教科書出してみろ。覚えるべき場所を教えてやる」
「はい」
金城の教え方は先生よりもずっと上手でびっくりした。人の才能というものは意外なところにあるものだ。普段の剛胆にどこにでも突っ込んで行く金城からは考えられない繊細さだった。同じようにバカやっていても、俺とは全然違う。
悔しい。
人間としての大きさの違いを見せつけられたような気がして唇をかむ。
「くっそ、金城に出来るなら俺にも出来る!」
「その気合いの入れ方、なんかすごいむかつくんだけどさ」
「あんたには負けたくないっす」
闘志を燃やす俺の頭を金城が叩く。
「負けるか、ボケ。赤点なんて取った事ねえわ」
「なんか詐欺だよな、あんたが賢いの」
「お前が馬鹿なのは見た目通りだったな。救いようがない」
この人ムカつく!と思いながらいつの間にかそれをバネにカリカリ勉強している自分がいる。やる気がわく。なんだかんだでこの人と俺は相性がいいのかもしれない。ちっとも嬉しくないが。
「せっかく千草さんに教えてもらおうと思ったのにさ、なんでこんな事になってんのかな」
「お前ね、無謀にもほどがあるわ。あいつの勉強法ひどいだろ?」
「なんかもう意味がわかんないっす」
「ああいうのを天才って言うんだろうな。学校の成績は普通だけど、あれ本気になれないだけだと思うわ」
「教科書丸暗記とか普通に言うんすよ。俺泣きそうになったわ。…正直、あんたが来てくれて助かったっす。ありがと」
「別に俺はミナに脅されただけだ。つかおまえ、追試合格しろよ?絶対ミナに俺のせいみたいに言われるんだから」
「うす。ご褒美もらわないと」
「だから俺が褒美もらわねーとおかしいって、これ」
「決めるのは千草さんだからしょうがないっすよ。へへ」
「お前ムカつくわ、ほんと」
さっき俺が思ったのと同じ事を金城が口にする。
(あれ?もしかして)
この人は千草に関して自分よりも俺の方が優位にあると思っているのだろうか。さっき俺が人間的に金城に劣っていると感じたときと同じ反応のような気がする。
俺としてはどっちもどっちな感じだと思っているのだが、金城はそうではないのか。
(やべ、なんか俺調子に乗ってきた)
こんな事がなぜだかとても嬉しい。
あくまでもこれは金城がどう思っているかという事であって、事実はそうでないかもしれないというのに、気分が舞い上がってしまっているのを自分で感じる。
「ご褒美ってなんだろうな」
「にやけてないで覚えろよ」
「なんか俺いける気がしてきた。追試どんとこい!」
千草と同じような、かわいそうなものを見る目で金城が俺を見たのに気付いたが、そんな事どうでもよくなるぐらい俺の中でやる気が燃えたぎっていた。
一週間後、俺は自分でも驚くぐらい余裕の点数で追試を乗り切った。
「ねえねえ、千草さん、ご褒美は?」
「は?なにそれ?」
「えええぇぇ!?」
冷たく一蹴される俺を見て、金城が鼻で笑った。
誰に感謝して何に憤慨したらいいのか全然わからないのは、俺が馬鹿だからなの…か?
<終>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます