ロシアンルーレットおまけ

 大学生になって数ヶ月、環境の変化に伴い慌ただしく瞬く間に時は過ぎて、今はもう夏も終わりかけである。外はまだうだるように暑いけれど、ショッピングモールの中は実に快適だった。数週間後に控えた学祭に備えて同じサークルの友人と二人連れ立って買い出しに来ているのだ。


「わりっ、金城、俺ちょっと買い忘れたものあったわ。この辺で待ってて」

「おー、わかった」


 友人が慌てた様子で今出てきた店に戻っていくのをぼんやりと見送り、俺は手持ち無沙汰にのんびりと歩を進めた。並ぶ店を何となしに眺めたり、意味もなくまた戻ったり。すぐに戻ってくると思った友人はなかなか戻って来ず、ふと目にとまった休憩用の長椅子に座ろうとしたその時だった。


「えっ、ミナ!?」


 先客の姿は十年来見つめ続けて来たその人で、俺が見間違うはずもなかった。学校という集団生活の中でその中に一切溶け込もうとしないその独特な雰囲気が気になって仕方がなくて、邪険にされながらもまとわりついて構い続けて来た皆川千草という男。小学校から高校卒業まで、その成長をずっと見つめ続けてきた。

 けれど、進路の違いが二人を分ち、その後は顔を合わせることがなかったのだ。自分なりに友人関係は確立したつもりではいたが、互いに新生活に振り回され、会う約束など出来はしなかったのだ。

 もちろんその間何度もメールは送ったけれど、つれないミナから返事が来ることはなく、電話をかけても応答してもらえることは一度もなかった。

 それがミナの通常仕様なので仕方がないけれど、さすがの俺も少し沈んでいた所だったのだ。やはり追いかけねばならなかったのだと自分の進路を後悔してしまうぐらいに。いや、大学は楽しく有意義でこの道を選んだことを後悔はしていないが、もしも同じ大学に進んでいたなら今でも変わらずミナのそばで毎日友人として関われていたのかなというifの世界を何度となく妄想してしまうのだ。

 ライフワークがなくなってしまったのだからぽっかりと心に穴があいたようだった。


 会いたいと思い続けていた人が今目の前に座っていた。俺の声にぴくりと肩を揺らし、ゆっくり顔を上げて視線をこちらに向ける。ミナは少し驚いたような表情で俺を見て2、3回瞬きをした。


「どちらさま?」

「ええーっ、お前の親友の金城くんでしょ!?」


 会わなくなったらすぐに忘れられそうだと言っていたのは子犬のようにミナにじゃれついていた後輩だったか。俺自身もそう思ったからかつて同じ高校に進むことを選んだのだけれど。まさか本当に記憶から抹消されるとはさすがに思っていなかった。十年来の関係、少なくとも高校時代の数年はそれなりに濃密な時間をすごしたはずなのだ。半年足らずで忘れられるようなつきあいではないだろうと思っていたのに。

 絶望に打ちひしがれた俺はそれをそのまま顔に表していたらしい。我慢できないとばかりにぶふっと、千草が吹き出した。


「冗談だよ、金城、久しぶり」

「なんだよ、冗談かよ。お前がやるとシャレにならねえから勘弁して」


 からかわれたのだとわかって脱力した俺は崩れるようにして千草の隣に腰を下ろす。最近のショッピングモールはこんなところまでサービスが行き届いていて、ふんわりと座り心地がいい。


「本気でやりかねないじゃん、データ消去、終了ってさ。だからメールもくれないし電話も出てくれないのかなとか俺今一瞬でいろんなこと考えたからね」

「お前の記憶消したら俺のセイシュン全部なくなるな」


 千草は楽しそうに笑う。今日はとても機嫌が良さそうだ。少し見ないうちに随分優しい顔をするようになった。


「何してんの?ミナ。ひとり?」

「俺が一人でこんなとこに来ると思うか?」

「いや、ありえない」


 たとえどうしても必要なものがあって買い物に来たとしても、こんなところで座って休憩しているなんていうことはありえないだろう。用事が終わったらさっさと帰るに違いない。

 ということは連れがいるのか。だがそれもあまり想像できない。

 大学に入って友達が出来たとかそんなこと、ミナにはあるわけがないと思う。少なくともこれまで俺が見て来たミナはいつもそうだった。いつまでもそうであるとは限らないけれど、自分が何年も苦労して苦労してやっとたどり着いたその地位を出会って間もない誰かにあっさりと明け渡しているのだとしたら切なすぎる。


「デートなんだ」


 予想だにしない衝撃のセリフが千草の口から飛び出して、俺はまじまじとミナの顔を覗き込んだ。これまたミナ流の冗談なのかとも思ったが、その表情はいたって普通で、どこか少し幸せそうでもあり、純粋に事実を述べただけだと物語っていた。


 新しい友達か?なんてどぎまぎしていた自分があまりにもちっぽけだった。まさか彼女が出来ているとは。そりゃ、ミナだって男だし、性格には難有りだけど見た目は抜群だし、そんなことあってもおかしくないけれど、考えたこともなかった。恋愛などというものとは無縁のやつだと思っていたのだ。いや、高校の終わり頃に縁はあったのだけれど、相手は男だったし、あんなのは冗談みたいなものだ。ただ慕ってくれる後輩が出来て、そうして懐かれることがミナもまんざらではなくて、そんなものだと思っていたから、デートなんていう言葉がミナの口から飛び出すなんて俺的にはかなりの違和感…というかショッキングなできごとだった。


「…えと、お相手はどこに…」

「ああ、俺がアイス食いたいって言ったら買いに行った」

「マジで?」


 女の子を使いっ走りにするのか、こいつは。誰に対してもそのスタンスは変わらないということなのだろうか。俺が女だったらこんな男は嫌だと思うのだが、そんなものは本人同士が了承していればそれで成り立つものなのだろう。


「…つか、俺だって彼女いないのにミナに先越されるとかどうよ」


 人間関係に関してこの男に負けるというのは屈辱を通り越して絶望する。己の不甲斐なさと見た目重視の世の中に。


「あ、戻って来た」


 パッと顔を上げたミナの視線を追う。せめて彼女の顔だけでも拝んでやろうと。


「あれ?」


 視線の先にあったのは俺もよく知るあれ。大型犬みたいなあいつ。


「春山!?」


 三角のコーンに乗ったアイスを二つ、両手に持って足早にやってくる。そして俺の姿を認識した途端に苦虫をかみつぶしたような表情をした。


「あんたまだ千草さんの追っかけしてんすか?」


 久々に会った先輩だというのに挨拶のひとつもなく、失礼な態度はあの頃と全く変わらない。高校から大学へ進み立場も環境も一変してしまった俺たちとは違い、こいつはあの頃から続く時間を歩んでいるのだなとそんなことをふと思う。あの頃への郷愁というやつなのかもしれない。


「偶然出くわしたんだよ」


 俺の答えを全く信じていない目が、座っている俺を遥か高所から見下ろす。もともと背の高いやつだったけれど、会わなかった数ヶ月でまた成長したのではないだろうか。俺の身長は人並だし別にコンプレックスを持っているわけでもなんでもないけれど、男にとって高長身というのはステイタスであり、何とも腹立たしい気分になる。もちろん腹立たしいのは年下のくせに俺を見下ろすからだけではない。


「いや、マジで。卒業してからこっち、俺が電話したってメールしたって一切無反応だからね、この人。なのにお前とだけ遊んでるとかどういうことだよ」

「ああ、俺もそうだったなあ。あれほんときつい…」


 俺が怒り爆発させている横で、春山は遠い目をして力なく笑った。ただのほほんと幸せに生きていたわけではないらしい。もしかしたら俺よりもこいつのほうが頑張ったからこそ今ミナの隣にいるのかもしれない。それでもやっぱりムカつくことに変わりはないけれど。


「余計なこと言わなくていいよ。ほら、融けてる」


 バツが悪い、ということをさすがのミナでも感じるらしい。俺たちの会話を遮るように口を挟んだミナは、春山の手首を掴み、持ったままだったアイスからこぼれそうになっている雫をぺろりと舐めた。


「ああ、ごめん…」


 自分の分のアイスを受け取ったミナは満足げな表情でパクリと豪快にアイスに食らいつく。ミナの中での優先度は俺との再会を楽しむことよりアイスの方が上なんだろうなと思いながら、そんな感覚を懐かしむ自分もいる。


「千草さん追っかけてるんじゃなかったら何してんすか?一人で買い物?」


 おそらくこちらが普通の久しぶりに知人に会った時の反応だ。案外春山の方が俺との再会を喜んでくれているんじゃないだろうか。


「さすがに俺だってそこまで寂しくないわ。連れが買い物中で待ってんの」

「ふぅん」

「興味ないなら聞くな」


 先輩を先輩とも思わないこのやりとりが懐かしい。二つも年下のくせに生意気なやつだ。体育会系で育っている奴だし礼儀はあると思うのだけれど、俺に対してはライバル心が先に立ってしまうのだろう。それでも憎めないのはこいつのバカ正直な人柄の成せる技だ。


「いや、ほんとに千草さん目当てじゃないのかと…」

「疑り深いな、おい。つか、そうだったとしたって今更俺がそれをお前らに隠す理由がないだろが」

「それもそっすね」


 一体こいつの中で俺はどれだけおかしな人間なのかと苦笑する。だけど確かにあの頃はそんなふうだったかもしれない。たった数ヶ月前のことだけれど、随分遠く感じる。それだけこの数ヶ月にはいろいろなことがあったのだ。ミナに会わずに過ごす時間に慣れてしまうぐらいに。会いたいと思いながらもそれを許さない現状を諦めて受け入れてしまうぐらいに。


「達樹、そっちも垂れてきてる」


 俺の隣でミナが先程と同じように春山の手をぐいっと掴み、こぼれかけているそれを赤い舌で舐めとる。


「ちょ、千草さん、それ俺の」

「べつにいいだろ?」


 妙に見せつけるようにするなと思ったのは俺の気のせいではないらしい。


「金城、そこ場所替われ。デートだって言ったろ?空気読め。遠慮しろ」

「お、おう…」


 久しぶりの冷たい視線と厳しい声に俺は素直に立ち上がった。


「ええと、それは、マジなの?ミナはついにこいつに落とされちゃったってことなの?」


 春山がミナに抱くのと同じような気持ちを、ミナも抱くようになってしまったのだろうか。男同士で恋愛感情とか、俺にはよくわからないけれど、つまりそういう意味でこいつらは本気なのだ。あまり理解は出来ないけれど、そこに違和感を感じない自分がいた。ついにこの日が来てしまったのかと当たり前のように納得してしまう。


 掴んだままの春山の腕を引き、ミナは今まで俺が座っていた所に春山を座らせる。そして強い視線で俺を見上げた。


「いいかげん俺のことは忘れろ。何もしなくてもちゃんとお前は友達だと思ってるから。お前も早く彼女でも作ったらいい」


 ミナの言葉にぶわっと胸に広がるのは、神にでも許されたかのような安堵感。囚われていたものからの解放と、喪失の寂しさ。

 十年かかって今ようやく友であると認められたのだ。追いかけなくても忘れはしないと保証された。

 思わず涙があふれそうになり、ぐっとこらえる。まさかこんな所で泣くわけにはいかない。


「言っとくけど、俺はミナのこと春山みたいな感情で好きだと思ったことはないからな。ただ人として好きなだけだ。今も昔も。そこんとこ勘違いすんなよ、そこのわんこ」


 失恋したわけではない。何かが終わったわけでもない。ただ俺は認められたのだ。だから必要以上に追いかけなくてもいい。それだけのこと。新しい生活にちゃんと目を向けろと、ミナは俺にそう言いたいのだろう。友として。


「妙な嫉妬心向けられても困るし追いかけんのはやめるけどさ、だったらミナ、たまにはメールの返事ぐらい寄越せよ」

「ああ、まあ、暇だったらな」


 ミナはわざとらしく目を逸らし、それから悪戯っぽく笑った。


 十年という長い年月をかけて少しずつ削っていった壁がついになくなったような気がした。他人を排除しようと尖っていたミナが変わったのだと思う。変えたのはきっと春山だ。たった一年前にぽっと出て来たこの男が、俺の出来なかったことをやってのけた。


(もう俺が手伝わなくてもミナはちゃんとやっていけるんだな)


 クラスで孤立していた美しい少年を俺が何とかしてやりたいと思ったのが俺とミナとの最初の関わりだったことを思い出した。みんなの中で一緒に笑えるようにと、幼心にそう思ったのだ。ゴールラインを一番先頭で駆け抜けた時に一瞬だけ見せた笑顔がどうにも忘れられなくて。他人を拒絶する冷たい表情の下に隠れているものを知りたくて。


(随分手こずったもんだ)


 長い長い時間をかけて幼い頃の俺の思いは遂げられたけれど、独り占めしたかった彼はもう他人のものになってしまった。

 悔しいけれど、俺とミナは友達なのだから仕方がない。たいていの男友達はそうして恋人が出来、そのうち家族を作り、決して自分のものにはならないのだ。それが当たり前だ。けれどたとえ他人のものであっても友達は友達で居続けられるものだ。

 それが俺と春山の違いだ。


(せいぜいフラれないようにするんだな)


 心の中でそんな捨て台詞を吐いていると、背後から「金城」と声がかかる。ようやく買い物から戻って来た友人が悪い悪いと背中を叩く。


「待たせたな。何?友達?」

「おう、高校の時の連れと後輩。偶然ばったりとな」

「そっか。退屈してなくてよかったよ」


 並び座ってアイスを食べる男二人を不思議そうに眺めた友人は、きっときれいな人だなと思いながらミナを見ているのだろう。俺にそんな友達がいることを意外に思っているかもしれない。


「じゃあ、俺行くわ。またな、ミナ。春山も」


 そう言って手を挙げると、ミナは小さく手を振り返してくれた。ただそれだけのことが妙に嬉しかった。いつでもまた会える。


「いーなー、俺も恋してーなー」


 次の店に向かいながら不意に叫んだ俺を友人はぎょっとした顔で振り向き、合コンでもする?と呟いた。




<終>

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ロシアンルーレット 月之 雫 @tsukinosizuku

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