ロシアンルーレット19

 2学期の最終日、世の中はクリスマスで浮かれ気分だというのに俺はどんよりと重たいため息をこぼす。白く吐き出された息がそのままずしんと足元へ落ちて地を這っていきそうなぐらいに重い。

 一年生の校舎を後にし、後は帰宅をするのみなのだが、なかなか足が進まない。三年生の校舎から出てくる人影をちらりと横目で確認し、けれどそこに望んだ姿はなくがっかりする。偶然出会う幸運も今日はないらしい。


「どうした、達樹」


 隣を歩く友人がウザさ満点に肩を組んで顔を寄せてくる。


「クリスマスイブに学校が半日で部活もないなんてこんな幸せに浮かれないなんてお前どうかしてるぜ」

「彼女もいねーのに?」

「だから探しにいこうって話じゃん。クリスマスなのに相手がいない寂しい女子は狙い所だ」

「俺パス。本命いるからそういうことはしないの」


 ムダに力強く俺の首をホールドする友人の腕を押し戻し、興味がないと首を振る。一人の人を必死に追いかけて追いかけて相手にされずにいるのに、他の人と遊ぶ余力なんて俺にあるわけがない。


「マジで?それ初耳」

「まあ、片思いなんだけどさ。でも他に遊び相手探そうとは思わないから」


 片思い故に、明日からの冬休みが憂鬱で、こうして重たい空気を垂れ流しているわけだ。明日からは千草に会えない。約束なんてしてもらえる仲ではない。クリスマスだって正月だって、千草と会えないのだから楽しいわけがない。


「へえ、なんかちょっと意外だな」

「そうか?まあ誰か別のヤツとやってくれよ」


 もしかして結構軽く見られているのだろうかと少し不本意に思いながら友人と別れると、ふと目をやった校舎の中に千草の姿を発見した。職員室や事務室などがある校舎で生徒の姿はほとんどないけれど、何をしていたのか1階の廊下を歩くその姿は間違いなく千草のものだった。

 校門に向かっていた俺は回れ右をして千草のいる校舎に走る。帰路につく人の流れに逆らう動きで、少し迷惑な顔をされるけれどそんなことを気にしている暇はない。


「千草さんっ」

 先ほど歩いていた第一校舎から三年生の教室のある第二校舎へ向かう渡り廊下のところで追いついて呼び止める。千草は足を止めるといつものように嫌そうな顔をして振り返った。俺の姿を見つけるといつもこんなふうに眉間にしわを刻むのだ。けれど実際にはその表情ほど嫌がられているわけでもない気がするので、癖みたいなものなのだろうと俺は勝手に理解している。


「なんだ?」

「何ってことはないけど、千草さんの姿が見えたんで」

「わざわざ走って戻ってきてまで声かけてくれなくていいよ」


 俺が校門を出ようとしていた姿を校舎の中から千草も見ていたのだろうか。俺が千草を見つけた時にはこっちを見ている様子なんて欠片もなかったのだけれど。


「そりゃ見つけたら戻ってきますよ。明日から冬休みなんだから、千草さんに会えないじゃないっすか」


 意気込んでやってきた俺とは違って千草は興味なさそうにふーんと言っただけだ。千草にとって俺に会えないことなんてその程度のことなのだ。わかってはいたけれどやっぱり切ない。


「冬休み、どっか遊びにいきませんか」

「行かない」


 ダメ元で誘ってみれば、即答でばっさりだ。


「あー、受験生っすもんね。冬休みに遊んでなんかいられないっすよね」


 そんな理由などなくとも千草が俺と遊ぶ約束をしてくれるなんていうことはなさそうなのだが、そこはあえて正当な理由をつけて己を慰める。しかし千草はそんな俺の切ない思いを知ってか知らずか、少し視線をそらしてしれっと呟いた。


「いや、もう推薦で受かったから」


 そんなこと完全に初耳で、俺は馬鹿みたいに口をぽかんとあけたまま、しばし時が止まる。

 そもそも世に言う受験生的な必死さを千草に見たことがないし、少し前に明日試験があるとは聞いたけれど、そんな簡単に決まってしまうものだとは思っていなかった。正直、大学入試のスケジュールなんて一年生の俺には全然ピンとこないのだ。どのタイミングで何回試験があってどのタイミングで合否が決まるのか、なんて全く知らなかった。一般的に冬休みが勝負だみたいなことが言われるので年明けが大変な時期なのかなとぼんやり思っていたぐらいだ。もう終わっていただなんて全くの予想外だった。


「マジっすか。おめでとうございます。なんだ、それならそうと言ってくださいよー」

「別にお前に報告する義務はないだろ」

「そりゃそうっすけど…。一番におめでとうって言いたいし、受験生だからって気を使わなくてもよくなるし」


 ぶつぶつとぼやく俺を千草は鼻で笑う。


「そんな殊勝な気遣いしてもらった覚えはないけどな」

「これでも俺は俺なりに思うところがあるんです。それはともかく、だったら冬休み遊んでくれたっていいじゃないすか。合格祝いとかしましょうよ」


 嫌だと再びずばっと切り捨てられるのだろうと思っていたのだけれど、千草は拒否も許諾もなく、ふと何かを思いついたように俺の手首を掴んで引っ張った。


「ちょっとここ座れ」


 立っていれば胸あたりまである渡り廊下の壁にもたれるようにしてしゃがまされた俺はわけがわからず目の前の千草を見上げる。まるで主人におすわりを言い渡されたわんこのようだと自ら思って軽く吹き出す。


 千草にとって俺はそんなものなのかもしれない。俺が本気で好き好きと尻尾を振ったって、千草はよしよしとペットの頭を撫でるぐらいにしか思ってくれないのだろう。いや、頭を撫でてくれれば上等か。たいがいうざいから静かにしていろと叱られて終わりだ。それでもペットとしてそこにいさせてくれるだけお前は特別扱いされているのだと金城は言う。喜んでいいのか悲しんでいいのか微妙だ。


 だけど俺はやっぱり人間でありたい。俺が思うのと同じように千草にも俺を好きになってもらいたい。もっと対等に思いを交わしたい。いつだってそう願っている。


 素直に従った俺をしばらく満足げに見下ろしていた千草は、ふと身を屈めると見上げる俺の顎に片手を添えて、唇に軽くふんわりしたものを…。


「ぅええええぇぇぇっ!?」


 千草が俺にキスをした。そんなありえない現実に混乱して素っ頓狂な声を上げてしまった。


「何その反応」


 感触を味わう間もなくあっという間に離れてしまった千草はおかしそうに腹を抱えて笑っていた。


(なに、俺、からかわれたの…?)


 急展開にまるで状況がつかめない。


「おまえが言ったんだからな。忘れたのか?」

「え…なに…?」

「合格したらキスしてくれって言ったろ?ご褒美だ」


 そんなこと、言った記憶はあるけれど、まさか本当にしてくれるとは思わないし、言った俺自身も別に本気というわけではなかった。いや、もちろん本当にしてくれるなら嬉しいが、してくれるわけがないものとして言っただけなのだから、まさか実際にこんな事態が起こるとは夢にも思っていなかったのだ。


「ご褒美って、俺何もしてないけど…」

「理由がいるのか?」


 見つめると千草は機嫌悪そうに眉間にしわを刻み、話は終わりだとばかりに背を向けて歩き出す。


「ああっ、ごめんなさい、待って」


 慌てて立ち上がって千草を追いかけ、背後からしがみつくようにぎゅっと抱きしめた。声をかけたぐらいではきっと千草はそのまま行ってしまうから、こうして物理的に押しとどめるしかないと思ったのだ。


「調子のってんなよ、馬鹿」


 低い声とともに肘が腹に突き刺さる。


「うぐっ…すんません…」


 両手を上げて降参した俺を冷たい視線で一瞥すると、千草は無言のままで三年生の校舎へ入っていく。


(あれ、なんか失敗した…)


 最初は機嫌が良いのかと思ったのだけれど、そういうわけでもなかったのだろうか。千草の感情の流れは未だに掴みきれない。どこまでが許されてどこから拒絶されるのかボーダーラインが見えてこないのだ。


 冬休み前最後のやり取りがこれでは浮かばれない。明日からの千草不足の日々を思うと切なくて、俺は力なく壁に体を預けた。

 だが頭を抱えてズーンと沈んでいた脳内は、先ほどのやり取りを反芻して反省しているうち、次第に転じて興奮状態になる。


(千草さんとキスしちゃった…)


 突然のことに動揺しすぎてどんなだったか全然思い出せず、自分の残念な脳みそを呪ったけれど、唇の柔らかい感触だけはまだ自分の唇に残っているような気がする。


(うわ…うわ、やべー)


 こらえてもこらえても顔がにやけてしまって、叫びながら校庭中を走り回りたい気分になる。

 どうしてそんなことをしようという気になってくれたのか、気分屋の千草の真意はわからないけれど、キスをした事実は紛れもなく現実だ。


(金城に自慢しちゃおうかな。でも言ったら絶対千草さん怒るよな)


 抑えきれない感情を持て余し壁をガンガン叩く様はきっと傍から見たらかなり危ない人だっただろう。

 突然背後から頭をグーで殴られ我に返るとそこには去って行ったはずの千草がいた。さっきと違うのはその手に鞄を持っていることと足元が上履きではなくなっていること。


「お前気持ちわりーわ。帰るぞ」


 すたすたと校門へ向かって歩いていく千草を慌てて追う。


(もしかして一緒に帰ってくれるのか?)


 今日は一体どうしたというのだろう、いつになく千草が優しい。気まぐれでとてもわかりにくいけれど、多分これはずいぶん優しくされている。神様から寂しい俺へのクリスマスプレゼントなのかもしれない。


「千草さん、メリークリスマース!」


 勢いのまま後ろから飛びつきたい気分だったが、やるとまた怒られるので、横に並んで腕を絡めとった。すかさずきつい視線が飛んできたが、その程度は許容範囲内だ。


「今度は俺からキスさせてください」


 耳元に顔を近づけこっそりと囁けば、千草はくすぐったそうに首を縮めて耳を赤くした。


「嫌だね。今回限りだ。今すぐ忘れろ」


 俺の手を振りほどき、その言葉を胸に刻み込めとでも言うように俺の胸を人差し指でトンと押した。珍しく大きな声を出した千草に驚かされる。


(もしかして、照れてる…?)


 そう気付いてしまったら背中の辺りがぞくぞくする。

 本当に今日の千草はどうしたというのだろうか。可愛くてたまらない。


「おまえ、自転車だろ?俺、バスだから。じゃあな」


 あっさりと別々に帰ろうとするつれないところも愛しくてしかたがない。


「俺自転車とってきます。後ろ乗せますから待っててください。ねえ、絶対待ってて」


 念押ししても千草は待っていてくれそうにないので猛ダッシュで自分の自転車を取って戻る。案の定そのまま校門を出てバス停に向かおうとしている千草を途中で捕まえて自転車の後ろに乗せると、可能な限りゆっくりと漕ぎだした。


(今日はきっとホワイトクリスマスだな)


 空は青く雪雲など全く見つからないけれど、今日の千草があまりにも珍しく、そんな失礼なことをぼんやりと思った。

 背中にしがみつく温もりが愛しい。


 キリスト様はどうやら俺の味方らしい。



<終>

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