(28)
「じゃあ、あたしが探査魔法で周囲を警戒。イルマとテオが魔獣を倒す。で、聖乙女様はそのあいだに適宜浄化して進んで行きましょう」
普通であればここは聖乙女であるアンナ・ヒイラギが指示を出すところなのだろう。
しかし彼女は使い物になるのかどうか怪しく、結果、流れ的にあたしが指示を出すことになった。
この四人の中では黒の森へと入った経験があるし、年長者――テオの正確な年齢は知らないが――であるから、仕方がないと早々にあきらめてしまう。
アンナ・ヒイラギは自分が指示を出すべきだという自覚もないのか、あたしの命令に真剣な顔でうなずいた。
アンナ・ヒイラギはここで自分で命令できないからといって癇癪を起こすようなタイプの女じゃないが、唯々諾々と従われるのも、それはそれでなんだかムカつく。
集約すれば、とにかくあたしはアンナ・ヒイラギのすべてが気に入らないんだろう。
彼女がどんな容姿で、どんな性格をしていて、どんな育ち方をしたか、そんなことは一切関係なく、アンナ・ヒイラギであるというだけで、あたしはこいつが好きになれないのだ。
それはひどく幼稚な感情に思えた。そして正当な怒り方ではないようにも感じた。
……とにかく今は黒の森の攻略に集中しよう。
アンナ・ヒイラギはちらりとあたしがついている長杖に目をやった。
パレードの護衛のときに目立つからとか、その他諸々の理由で見送った長杖を今日は持ってきている。これで歩行にもあまり負担がかからないハズであった。
アンナ・ヒイラギはこのとき初めてあたしが「杖があったほうが楽」、というていどには脚が不自由なことに気づいたのだろう。
けれどもその視線に言い訳めいた言葉を口にする気にはなれなかった。
そもそも「聖乙女だったときに
「探査魔法を使うわ」
そう言ってあたしは法力を体にめぐらせ、一方で外に放出する。
視界がぐわんと歪んで、黒の森の入口を見ていながら、その当の森の鳥瞰図を知覚する。
入口からすぐのところを四つの白い点が移動していた。これが偽の聖乙女・アンネリーゼ一行だろう。
精度を上げれば個別に認識できるようにはなるものの、その場合、今いる場から動けなくなるので、精度はこのままでいい。
アンネリーゼらの位置を確認し、次にあたしたちのいる場所を確認する。
黒の森の入口近くに白い点が四つ、離れて結構な数の白い点。これらはシュテファーニエと魔法女たち、ツェーザル殿下とその護衛騎士たちだろう。
黒の森の中心部――最深部に到達したか、浄化できたのかどうかはシュテファーニエが連れてきた魔法女たちの、探査魔法で判別する。
高精度の探査魔法を使わなければならない関係上、その魔法女たちにはかなりの負担がかかるだろうことはわかっている。使っているあいだは、その場から動くこともできないだろう。
アンナ・ヒイラギが法力をマトモに使えないがゆえに偽聖乙女の跋扈を許し、あげくそんな仕事を引き受けるハメになった魔法女たちはご愁傷さまといったところだろうか。
「さあ進みましょう」
探査魔法を維持したまま、あたしは長杖の先を黒の森へと向けた。
アンネリーゼたちはすでに出発している。こちらも急いだほうがいいだろう。
テオには今日ばかりはアンナ・ヒイラギを守るように言い含めている。……彼がイヤそうな顔をしていたことが、ちょっとだけうれしかったのは秘密だ。
そしてツェーザル殿下は出発前にアンナ・ヒイラギに声をかけるかと思ったが、そんなことはしなかった。
勝負だから公平に、ということなのだろうか? それとも単にそういうことはここへくる前に済ませていたのかもしれない。
あたしはガチガチに緊張したアンナ・ヒイラギを見ながら、これならちょっとムカついてでも、声をかけてくれたほうがよかったかも、と身勝手なことを思う。
「……黒の森ってこんなに息苦しいんですか?」
「いや、以前入ったときより明らかに息がしにくくなっている」
「つまり、魔素が濃い……ということですよね」
「そうなりますね~……」
探査魔法に集中しているあたしを除き、三人はそんな会話を交わしている。
たしかに今日の黒の森は妙に魔素が濃くて動きづらい。
実際に森へ入って五分もしないうちに、群れからはぐれたのか、魔狼の一頭と交戦することになった。
結果は言うまでもなく、圧勝。群れではなかったので難しい戦いではなかったのだが、アンナ・ヒイラギはこの一戦だけで怖気づいてしましおうなくらい顔を青くしていた。
イルマが取り繕うように「聖乙女様は獣の死骸を見るのにも慣れていませんから……」と言っていたが、効果のほどは言うまでもないだろう。
それでも人は順応性があるので、何戦かすればアンナ・ヒイラギも身のこなしが見られるようになってきた。
といっても魔獣が現れるとあたしが予告したら、そのうしろに素早く下がる……といったていどのものだが、恐怖で立ちすくまれるよりはずっといい。
「先輩、アンネリーゼの一行はどれくらい進んでいますか?」
「そんなに変わらないし……そんなにこちらとも距離が離れていないわね」
「つかず離れずといったところか」
「そんな感じ。魔素がけぶっているせいで見えないだけなのかも」
「それは相当近いですね~」
「――!? 待って!」
鋭いあたしの声に敵襲かとテオとイルマは周囲を見回し、アンナ・ヒイラギは
しかしあたしの視界に映っているのは、魔獣の赤い点ではなかった。
固まっていたアンネリーゼ一行の四つの点が急に消えたかと思うと、あたしたちの近くに白い点がひとつ現れたのだ。他の三つの点も、気がつけば森の全域に散らばっている。
それをどう捉え、どう伝えるべきなのか逡巡しているうちに、あたしたちの耳に「助けて!」という甲高い悲鳴が届いた。
「え? なんなんですか?」
「気をつけて! アンネリーゼ一行の姿が見えなく……違う。散開したわ! それで、白い点があたしたちの近くに……!」
「そ、それってどういうことですか?! センパイ!」
「あたしにもわからない! とにかく周囲に気をつけて!」
アンナ・ヒイラギの顔は不安に歪んでいたが、テオは冷静に周囲を警戒し、イルマも魔法杖の先をあたしが示した方角へと向けた。
そのあいだにも「助けて!」という悲鳴は断続的に聞こえ、そしてそれはこちらに近づいてきているようだった。
「アンネリーゼさんたちになにかあったんじゃ……」
「……だからなに?」
のん気にそんなことを言うアンナ・ヒイラギにイラ立って、あたしは思わずトゲのある声を出す。
偽の聖乙女であることが明らかなアンネリーゼたちがここで死んだって、それは自業自得だ。あたしたちが今気にするべきことではない。
「困っているなら助けてあげましょうよ!」
アンナ・ヒイラギはまったく平和ボケしたお花畑の頭脳の持ち主のようだ。自分が今置かれている状況を、まったく正確に把握していない。
あたしの眉間には自然とシワが寄り、イルマはあたしの機嫌をうかがうように、ちらちらと気づかいの視線を向ける。
アンナ・ヒイラギにはなにか言ってやりたかった。
しかし口を開いたその瞬間、あたしはおどろくほど迅速に法力が放出される気配を感じた。
だがそれを警戒するように言葉を発するには、その魔法がこちらへ到達する速度はあまりに速すぎた。
この魔法には見覚えがある。直感的にあたしはこの魔法を放った主がだれなのかを、知った。
そして次の瞬間には、その場にはアンナ・ヒイラギとあたしだけが残る。先ほどまで近くにいたテオとイルマの姿はない。
探査魔法の範囲内にはいたが、ここからはかなり離れてしまっている。
ふたりは――移動魔法をぶつけられたのだ。
「やあやあやあこれなるは聖乙女アンナ様、それから
優雅な女の声が響き渡る。
けれどもあたしには、もう、その正体はわかりきっていた。
「ア、アンネリーゼさん……?」
木の影から優美な足取りで現れたアンネリーゼ――いや、
「ヘクター……」
忌々しげにその名を呼べば、アンネリーゼ……もとい、ヘクターはニヤリと不敵に笑うのだった。
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