(11)
年金の加増という、聞く人が聞けばうらやましがること間違いなしの処遇を勝ち取ったものの、土地に縛られ続けるのであれば、あまり意味はないんじゃないかということには、わりと早くから気づいてはいた。
それと、大金をぶんどることに成功したものの、あたしがあんまり散財家じゃないってことにも。
貧乏が身にしみついているのだ。
こういう人間は大金を手にすると無軌道に散財しがちであるが、あたしはまったくの逆だった。
この先の人生、なにが起こるかわからない。国家がひっくり返ることだって、可能性はゼロじゃない。
となれば蓄財、蓄財、蓄財に走ってしまうのは別に変な話ではないと思う。
ケチっているわけではない。
テオにだって毎週子供の駄賃程度の金額は手渡ししている――給金自体は借金の返済にあてられている――し、身だしなみにだってちゃんと気を使っている。
しかしなにか大きく金を使ってやろうという気にはならなかった。
そもそも、大きく金を使うって具体的にどうすればいいのかわからなかった。
酒は飲まないし、魔法女は博打や買春はご法度である。
女であるならオシャレか、と短絡的に考えてみても、あたしが着飾ったとしてそれがどうなんだという気がしないでもない。
自分のために着飾る気は起きないし、だれかのためと考えていても、そのだれかは不在である。
結局、魔法女になって神殿の組織図の中で生きて行くことを選んだ時点で、なんだか「負け」が込んでいるような気がする。
あたしからすれば理不尽な運命の変転によって聖乙女の座を追われたのに、まだ神殿にしがみついて魔法女をやっているというのは、「負け犬」そのものに思えて仕方がなかった。
そんな風に夜の暗い部屋の中でひとりイライラと考え事をしていれば、激しく表の扉が叩かれる。
隣の部屋からテオが出てきて、応対しているくぐもった声が聞こえてくる。
テオがあたしの寝室の床で寝ていたのはこの家にきてから一週間ほどのことだ。今はあたしの寝室の隣にある部屋で寝起きしている。
ややあって寝室の扉が控え目に叩かれて、テオがあたしを呼んだ。
「魔法女様」
いつもだったら「ペネロペ」と呼ぶところにこれだったので、あたしはそれなりに事態を察してベッドからガバッと起き上がる。
寝室の扉をわずかに開けば、すぐにテオの黒い目とぴんと立った犬耳が目に入る。
「どうしたの? だれがきてるの?」
「街の方です。子供が帰ってこないのでこちらを頼ってきたようです」
「わかったわ。ちょっと待たせて。簡単な身支度をしてくるから」
「わかりました」
あたしは急いで取って返して壁に立てかけた全身鏡の前に立つ。
元聖乙女の威厳もなにもあったもんじゃない、寝起きの女が立っている。
急ピッチで赤毛にブラシを通し、下は寝間着のままで魔法女の黒いローブを身にまとった。
そうして魔法杖をローブの下にしまうと、また出入り口へと取って返す。
「ああ魔法女様!」
「子供がいなくなったの?」
家の外には意外と人が集まっていた。しかし顔ぶれはすべて女性だ。恐らく男たちはみな子供たちの捜索に出払っているのだろう。
あたしの言葉にいかにも善良そうな町人といった風体の女が、今にも泣き出しそうな顔で答える。
「そうなんです。昼間に出かけたっきり帰ってこなくて……」
「どうやら黒の森へ行ってしまったみたいなんです……」
「黒の森……」
黒の森は魔素が突出する穴がいくつか点在する危険な森だ。
そんな場所であるから魔獣があとからあとから湧いてくる。
神殿からは立ち入ってはならないと触れが出ているような場所で、もちろんそのことはいなくなった子供たちも承知していたハズだ。
しかし好奇心には勝てなかったのだろう。
牧畜や農耕をして暮らしている村人は魔獣の被害をたびたび受けるが、町人の子はそういった現実を見ないで育つから、魔獣の脅威と言うものを甘く見てしまったのかもしれない。
いずれにせよ、どうにも未だ帰らぬ子供たちが黒の森に入ってしまった可能性は高いようだ。
となれば――。
「他の方は黒の森へは立ち入っていませんよね?」
「男衆は入る気でいます……」
「今すぐやめさせて。これ以上被害者を出すわけにはいかない。森へは私が入ります」
女衆があたしに期待していたのはその言葉だったろうに、それを口にした瞬間、場の空気がちょっとだけ張りつめた。
それはあたしが身を呈して子供たちを救うなどという行動には出ないだろうという絶望的な観測か、あるいはあたしの力は魔獣には及ばないだろうというあなどりか……。
いずれにせよ、あたしを頼ってきた割には、あまり期待していなかったがゆえの空気のような気がしてならない。
しかしここで不機嫌になるのも大人げないと思い直し、あたしは至って平静を装い、女衆を帰して黒の森へと向かった。
もちろんテオもいっしょである。
というか、魔法を放つまでにかかる時間を考えれば、テオの存在は必要不可欠。
「眠い?」
「あんたは?」
「眠いーとか言ってられる場合じゃないでしょ」
「まあそうだな」
眠気覚ましにいつもの軽口を叩き合いながら黒の森へと向かう。
なんにもない平原に密集する森が見えてくる頃には、魔素がけぶる様子までもがありありとわかるようになる。
子供たちが迷って出られなくなっているかも、なんて事情がなければ近寄りたくもない場所だ。
黒の森はあまりにも危険だからと、魔法女だって立ち入らないよう勧告がなされている。
魔法女が関与できるのは森から出てきた魔獣を退治するときくらい。
近づくことすら「できるだけ控えるように」とのお達しである。
「さて行きますか」
「残業代は出してくれるのか?」
「出す出す。危険手当もね。出すからあたしのことちゃんと守ってよ?」
「もちろん。手当てがなくとも守るつもりではあるが」
「それは知ってる」
この地が黒の森と呼ばれるのは、濃度の高い魔素に晒された木々が黒く変色しているからだ。
といういわれは聞いていたものの、実際に目にするのは初めてだった。
手始めに森の入口で探査魔法を使う。途端に視界いっぱいに森を俯瞰した映像が流れ込み、脳みそを直接いじられたかのような不快感があたしを襲う。
視界に広がる鳥瞰図には光る点がいくつか浮かぶ。これが、生命の点であることは知っていたが、意外と数が多い。
点は魔獣が赤で示され、それ以外は白で示される。そして小さな点はまだ魔獣化していない動物で、大きな点は人間。
目当ての大きな点は森の中心部の手前辺りで動かずにじっとしている。
点の数は三つ、帰ってこない子供の数は三人。帳尻が合っていることを考えると、恐らくこの点が目当ての子供たちなんだろう。
大きな白い光の点が三つある、ということは、子供たちはまだだれも死なずに生き残っているということだった。
そのことにひとまずほっと安堵する。
しかしそれも時間の問題だろう。動かないのは動けないだけの理由があるのか、動かないで助けを待っているのかまではわからない。
ローブの上から下げたポシェットには包帯と軟膏を入れておいたが、これが活躍する場面が訪れないことを祈るばかりだ。
探査魔法の精度を下げることで、感じていた不快感が軽減される。
「だいたいの位置はわかったわ」
「じゃあ行くか。いつも通りオレが先導する。場所が場所だ。あんたも十分気をつけてくれ」
「わかった。それじゃあ光の魔法を使うわね」
今度は魔法杖の先に法力を集中させ、光を灯す。それはホタルのようにふわりと杖先から離れ、あたしたちのまわりを周回し出した。
魔獣に気づかれる可能性は高まるが、夜の黒の森に入るのだから明かりは欠かせない。
「急ぎましょう」
あたしの言葉にテオはうなずくと、盾と剣を構えて先行する。
黒の森の内部は、魔素が満ち満ちて呼吸をするのもなんだか苦しい気がした。
こんな場所に入り込めるなんて、子供の無鉄砲さとは恐ろしい。
片脚を軽く引きずりつつ、周囲を警戒しつつなので、すぐには子供たちのいるだろう場所へは迎えなかった。
途中、何匹かの魔獣を追い払う。いずれも小型の魔獣であったので、特に苦労はしなかった。
しかし中心部はどうだろう。精度を下げた探査魔法の中にあっても、不気味に赤く光る大きな点を森の中心部に見て、あたしはため息をつきたくなった。
中心部に近づくにつれ、魔獣の密度が高くなって行く。
先導するテオに合わせてどうにかこうにか接触を回避しつつ向かう様はスパイのようだと、場にそぐわない感想を得る。
「テオ、そろそろ……」
「そうか。じゃあオレがガキどもを呼ぶ。あんたは近くに身を隠してくれ」
魔法が使えるという大きなアドバンテージを持つあたしは、しかし片脚がやや不自由だ。
となれば魔獣と一度に接触したときに、足手まといになる可能性が高い。特に魔獣がひしめくこの森では、深刻だ。
あたしにもそれはよくわかっていたので、テオの言葉にうなずき、近くに見つけた木のうろの付近に身を隠す。
それを見届けたテオが、大きく息を吸って子供たちを呼ぶ。
何度かそれを繰り返し、夜闇に沈む黒の森にテオの声が響き渡る。
そして――。
「だれかー! たすけてえええーっ!」
まだ変声期を迎えていない子供の声が返ってきた。
探査魔法の中にあった三つの密集する白い点――子供たちが動き出す。
しかし、同時に大きな赤い点――魔獣が子供たちに向かっているのがわかった。
「テオ! 魔獣が子供たちに近づいてる!」
「方向はわかった。救出に向かう。ついてこられるか?」
「あたしは走れないから、テオ、行って!」
テオは一瞬だけ逡巡する目をしたが、あたしと視線が合うと「わかった」と言って身をひるがえした。
あたしは木のうろから這い出ると、探査魔法が示すテオの白い点を追う。
不自由な片脚を恨めしく思いつつ、脚を引きずりつつ向かった先には――。
「たすけて! たすけてえ!」
「騒ぐなガキども。いいか、あの魔法女の元へ行け。それくらいはできるだろう」
テオよりも巨大な、上背が三メートルほどもあろうかという
しかし巨躯を誇る魔熊を前にしても、テオの腰が引ける様子はない。
むしろその黒目は夜闇の中にあっても爛々と輝いているのがありありとわかった。
テオのそばにくっついていた子供たちは、涙と鼻水でぐしょぐしょにした顔をあたしのいる方へと向ける。
「オレが合図したら行け……いいな? さっき言ったように、あのデカブツから視線を外すな。走ったり、背中は見せるなよ?」
子供たちの腰は明らかに引けているし、膝はガクガクと震えていた。
それでもテオの言葉に頷いて、「行け!」との号令に従い、魔熊から視線を外さずすり足でずりずりとあたしの方へ、背中を向けてむかってくる。
幸いと言うべきか、魔熊は剣を向けるテオだけを見ていた。
あたしは子供たちとテオに当たらない位置を見極めて、魔法杖に法力を集中させる。
テオだけに相手をさせるには、あの魔熊は巨大すぎる。
テオが視線を外さないので、魔熊も攻めあぐねているようだった。
ゆらゆらとその巨体を左右へ動かしつつ、テオが隙を見せないかうかがっている。そんな様子だ。
あたしには、気がついていない。
ゆっくりとこちらへと向かっていた子供たちが、ようやくあたしの元へとたどり着く。
顔を見れば以前あたしの家にやってきたクソガキの一味だ。
魔法女にタカりにくるくらいのクソガキだから、黒の森へ無鉄砲に入れてしまうのだなあと、ひとりあたしは感心する。
それはそれとして――。
「テオ! 下がって!」
あたしの言葉を受け、テオは素早く後方へと飛び退く。
その突然の声と行動におどろいた魔熊は巨躯を立ち上がらせる。
そこに、あたしの杖先から飛ぶ巨大な法力の炎がぶつかった。
いつかの魔狼のように、たちまちのうちに魔熊の毛並みに炎が燃え広がる。
魔熊は悲痛な声を上げ、ぶんぶんと鋭い爪をもつ前脚を振り回す。
テオはそれをうまくいなすと、魔熊の懐へと大胆に踏み入って、剣の切っ先を魔熊の首へと突き刺した。
剣が引き抜かれると同時に、魔熊の首から血が噴き出す。
それでもいくらかは魔熊も抵抗の証を見せたものの、そのうちに血が足りなくなったのだろう、ドーンと音を立てて地に伏せる。
あたしとテオはそれを見届けてほとんど同時に息を吐いた。
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