(10)

 クンケルは信じられないものを見る目でこちらを見上げる。あたしはそれに応えるように、淡々と言葉を続けた。


「腸内環境を整える効果のある薬液、それも一回分……とうてい死ぬとは思えませんね」

「ばっ、ばっ、ばっ……!」


 クンケルはあたしを罵倒したかったらしいが、あまりの怒りのせいか、言葉にならないようだった。


「まあ狙ってやったんですけど、まさかこんなにもカタにはまってくれるとは思いませんでしたよ」


 まさかなんの薬か告げる前にひったくられるとは、さすがのあたしも想像していなかった。


 こちらの考えていた展開としては、整腸液の入った薬瓶を押しつけて飲ませたあと、毒だったとほのめかしてちょっと慌てさせてやろう……くらいの魂胆だったのだが。


 それがこんなにドッタンバッタンする結果になるとは思いもしなかった。


 いや、反省反省。


「そ、そ、そそれでも魔法女か~~~!」


 とうとうというか、当然の帰結として怒りを爆発させたクンケルは、顔を真っ赤にしてあたしを罵る。


 けれどもいくら手足をバタバタと動かそうとしても、テオが押さえ込んでいるのでまったくの無意味だった。


 結果として丸っこい肥えた肉の塊がベッドの上でゆらゆらと揺れているという、奇妙な光景が出来あがっている。


「魔法女も人間ですからね。は犯しますよ」

「間違いぃ?! 貴様はワザとやったんだろうがあ!」

「ワザとやったとしてもちょっとタチの悪いイタズラ扱いで終わりですね。実際に毒を盛ったわけでもなし。……というか、私が差し出したのが整腸液だったところに慈悲を感じて欲しいですよ」

「はあ?!」

「下剤を盛らなかった私に感謝して欲しいですね」


 聖乙女時代に培った、完璧な笑みを見せれば、今度こそクンケルは絶句して、顔を赤から青へと変えていた。


 下剤を盛らなかったのはひとえにあたしがそんな場面を見たくなかったからだ。


 だからクンケルに言ったセリフは正しくない。別に、手心を加えた結果、下剤を盛らなかったわけではないのだから。


 怒り狂っていたクンケルも、あたしがひとつも凹む様子を見せないので、徐々に勢いをそがれていったようだった。


 そしてトドメの下剤発言で、自らが醜態を晒す場面を意外にもありありと思い浮かべてしまったのかもしれない。


 あるいは、あたしみたいな小娘が本気で歯向かってきたことに、おどろいたのか。


 いずれにせよ、今やこの場の主導権はあたしにあった。


「さて本題ですけれども」

「な、なにが目的だ?!」

「あなたの診察です」

「嘘をつけっ! わしをここまでコケにしおってからに――」

「クンケルさん。体内で魔素が塊になっています。このまま放っておけば死にます」

「――へっ?」


 淡々と放たれた言葉を、クンケルはすぐには理解できなかったようだ。


 しかし顔は赤から青へと変わり、また赤へと変容した。


 ……こいつ、こんなにわかりやすくて商人なんてできているのだろうか?


 そんな疑問をあたしが抱くくらいには、クンケルの表情はわかりやすすぎた。


 おおかた、あたしの「このままでは死ぬ」という言葉を受けて顔を青くし、しかしすぐさまそれを、またタチの悪い嘘だと思ったんだろう。


 しかし残念。


「ウソじゃないですよ」

「信じられるわけがないだろう!」

「最近、めまいを覚えたことは? 起床時に手足のしびれを感じたことは? あと食欲は増進していませんか?」


 つらつらと魔素塊が体内にできたときの症状を並べ立てれば、またクンケルはわかりやすいほどにわかりやすく顔色を変えた。


「そ、そそそそんなまさか……?!」

「ウソだとお思いでしたら、他の魔法女の診察を受けてはいかがでしょう。まあ結果は同じですけどね」

「そんな馬鹿な!」

「ああそれと」

「なんだ! まだなにかあるのか?!」

「病状がかなり進行していますから、これほどの魔素塊を取り除けるのは私か、聖乙女くらいしかいません」


 口を大きく開けて、呆気に取られるクンケルを前に、あたしもため息をつきたくなった。


 あたしはなにひとつ嘘は言っていないが、こればかりは嘘をつきたかった。


 なぜなら聖乙女の治療を受けるにはまずくじ引きでアタリを引かなければならない。


 聖乙女の元には様々な魔素に由来する重病人が集まる。だがそれを片っ端から全員を治療するなんてことは、まったくもって現実的じゃない。


 だから神籤みくじに頼って治療する人間を決める。泣こうがわめこうが、いくら金や地位を持っていようが、それは絶対にくつがえらない。


 それはクンケルにだってわかっているハズ。


 だから彼は顔を青からさらに白へと変えたのだ。


「な、なにが欲しい?!」

「……では、ささやかでもよろしいので神殿に寄進でもしてください。金は天下の回りもの。損ばかりではないでしょう。そして地獄の沙汰も金次第とも言いますゆえ。……それと今までの行いを反省してください」

「反省?」

「散々と周囲に迷惑をかけておいて、いざ困ったことになったらその周囲を頼るのは虫がよすぎると思いませんか?」

「くっ……わしを脅して、それでも魔法女か?!」

「魔法女にどんな夢を見ているんですか? 私も所詮はひとりの人間ですよ?」

「ほ、本当にお前が治療できるのか?!」

「ええ。私は――元聖乙女ですから」


 これだけは言いたくなかった。


 あれだけ散々にあたしのことを悪罵していたクンケルが、聖乙女のことにだけは触れないのははっきり言って不自然だ。


 つまり、クンケルはあたしが元聖乙女だということを知らないか、気づいてない。


 だから最後まで聖乙女だった過去は隠し通すつもりだったが、仕方がない。


「私が気に入らないのでしたら今の聖乙女様を頼りにすればいいんですよ?」


 クンケルがここでつまらない嘘だと信じれば、別にそれでもよかった。


 悪口あっこうばかりのクソ野郎が魔素塊で死んだって、あたしの心はちっとも傷つかないのだから。


「魔法女が言っていいセリフではない!」

「じゃあ死ぬんですか?」


 クンケルはどうにかこうにかあたしを凹ませられないかと悪戦苦闘している様子だったが、それはすべて失敗に終わる。


 また絶句したクンケルを見て、あたしはわざとらしく深ーいため息をついた。


「……日ごろの行いが悪いから病気になった、なんてことは私は言いません。でも、日ごろの行いが悪いから素直に治療しようという気にもさせられないということは、ちょっと考えて欲しいですね」


 クンケルは急に力を失ったようだった。


 眉を下げて、怒りに膨らんでいた体がしおしおとしぼんでいくのが見えるようだった。


「……わしが、悪かった。だから、治療を頼む」


 その言葉で今日されたことすべてが帳消しになったわけではないのだが、今はその言葉を引き出せただけでもよしとするべきだ。


 素直じゃないと継続的な治療を続けて行くのは難しいのだから、これは必要な処置なのだ。


 ――と心の中で言い訳をしたものの、クンケルをしおしおにさせたことの大部分を占めるのは、単純に恨みであることは誤魔化しようがない。


 しかし魔法女である以上、きっちりとクンケルのことは助けるつもりである。


 聖乙女のときのように、過剰に視線を気にしなくてよくなったから、ああやってボコボコにしただけで、あれだけやっておいて「気に入らないから治療しません」などとはさすがに言えない。


 本心ではやはり、まだ、クンケルを治療することについては逃げられるものなら逃げたいと思ってはいるが。




 診察の結果、やはりクンケルの体内には魔素塊があり、今回の腹痛もそれが原因だった。


 あたしが法力を送ってやったお陰で腹痛も和らいだらしく、クンケルはますますしおれているようだったが、無視する。


 クンケルの体内にある魔素塊は今すぐ彼を死に至らしめるものではなかったが、しかし近い未来、死の原因となることは明らかなものだった。


 そういうことを言い聞かせ、たとえ商売でも魔素の濃い場所は通らないようにと厳命し、宿をあとにするころにはすっかり日暮れを迎えていた。


 コトを最初から最後まで見守っていた宿屋の主人の視線は、なんとも言い難いものだった。


 別に尊敬の目であたしを見てはいなかったが、そこにはあなどり、みたいなものもなかった。


 ただやや恐ろしいものを見るような視線だったような――。


 ……ただでさえあたしに関する悪い噂が飛び交っているのだ。考えたくもない。


 対照的なのは宿屋の娘で、きらきらとまるで素晴らしい宝石でも見たかのような目であたしを見ていた。


 たぶん、あれだけ横柄だったクンケルを、しおらしくさせたからだろう。


 宿屋の主人にはぜひとも娘の視線を見習って欲しいところである。


「お疲れ様だな」

「当たり前よ。まったく、変なのあたしに押しつけないで欲しいわ」

「帰ったらハーブティーを淹れる」

「おねがいね」


 あたしを心からねぎらってくれるのは、今のところテオくらいのものだ。


 以前なら「心にもない言葉なんていらない」と突っぱねられるあたしも、今は上辺だけでも優しい言葉を欲しいと思ってしまう。


 たとえ上辺だけだとしても、その言葉をわざわざ口にしてくれた思いは、それなりに尊いものなのだと、今ならわかる。


 そう考えるとあたしは「いい」聖乙女ではなかったかもしれない――。


 けれどもいくら考えたってもうすべては終わったことだ。


 あたしは聖乙女としてではなく、一介の魔法女として生きて行かなければならないのである。


 それが現実だ。

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