(9)
「なんだこの貧乏くさい赤毛の
腹痛の患者がいる――と呼び出され、片脚を引きずりつつ、えっちらおっちらと駆けつけてみたらこれだ。
いかにも「わたくしは不機嫌です」といった威圧的なオーラを出している中年男は、じろじろとあたしの舐めるように見る。
主に、集中的にあたしのやや不自由な片脚や、胸を見ているのがありありとわかった。
あたしは部屋の出入り口に控えていた、宿屋の主人を見返って呆れた視線を送る。
それに対し主人は首をかすかに左右へと振り、「どうにか抑えて」というようなジェスチャーをした。
中年男は金払いのいい客だ。チップもバラ撒くようにたくさんくれる。ただし性格には難がある――というのはテオが数日前に仕入れてきた情報で知っている。
なんでも、王都に本店を持つクンケル商会の会長らしい。
この街へは商いのためにわざわざ訪れているらしい。
らしい、らしいと伝聞調なのは、まずあたしにそんな情報をあらかじめくれてやる人はこの街にはほぼいないからである。そしてあたし自身、特に情報収集の必要性を感じていなかったというのもある。
あたしは魔法女だ。ときに病を治療し、ときに魔獣を退治する。基本的にそのふたつさえしていれば、あとはなにをしても構わないのが魔法女という職業だった。
もちろん「なにをしても」には神殿の規律に反するようなことや、名声を落とすようなことは含まれない。当たり前だが。
話は戻ってテオ曰く、このクンケルという男は街ではすこぶる評判が悪かった。
横柄な態度で街の人を顎で使おうとするのはもちろん、女癖も悪い。それは、あたしの胸ばかりをじろじろと見る態度から、実感を持って察することができる。
けれどもこの街に
面前で女を品評するやら、体を無遠慮に触るやら、果ては街でも評判の若い娘を納屋に連れ込もうとしたなどという噂まであった。
さすがに最後のは単なる噂だと思いたい。そうでなくともクンケルという男はまさしく「女の敵」ってやつのようなのだから。
だからクンケルが街にくると住民は表向きでは歓迎して、裏では年頃の娘を隠してはクンケルに辟易としている。らしい。
こんな悪評にまみれた人間にはお近づきになりたくないというのが、人の心である。もちろんあたしだって人なので、そう思った。というか、今でさえそう思っている。
「……私が診ますからあとは下がっていいですよ」
聖乙女だったときと同じく、取り繕った一人称を使って、あたしはうんざりとした顔をしている宿屋の娘を部屋から下がらせることにした。
十中八九、あたしが駆けつけるまでクンケルの相手をさせられていた上に、あれやこれと不躾なマネをされていたに違いない。でなければこんなあからさまに困った顔などしようはずもない。
その推測は当たっていたのか、あたしの言葉を受けて宿屋の娘は明らかにホッとした顔をする。
宿屋なんてのは客商売だし、娘はあたしよりもいくつか年下というくらいの年齢に見える。そんな彼女が嫌そうな顔を隠そうともしないと言うのは、このクンケルという男を端的に表しているようだった。
「なんで下がらせる? 華のある顔で気を紛らわせていたと言うのに、気の利かん女だ! 嫁にも行かず魔法女をやっているだけはあるな!」
あたしはあまりのストレスに歯ぎしりをしたくなった。
すさまじいまでの無神経。嫌われるのもむべなるかなと言いたくなるほどの破壊力が、クンケルというクソ野郎の言葉にはあった。
こんな輩を診察せねばならないのかと思うと、頭が痛くなってくる。
あたしは様子を見守る宿屋の主人を再び振り返る。「帰ってもいい?」という言葉が口から飛び出しそうになった。
しかしあたしよりも明らかに怒髪天を衝いているテオが目に入って、いくらか落ち着きを取り戻せた。
テオはあたしの三歩ほど後ろに立ったまま、釣り気味の目をさらに釣り上げてクンケルを見ていたし、耳の毛も逆立っているように見えた。
あたしはテオを落ち着かせようとなにかしら声をかけるべきかと思った。
が。
「ん? なんで獣人がいる? おい主人、そこの小汚い獣人を外へ出せ!」
今度はあたしがブチ切れそうになった。
テオのどこが小汚いって言うんだ。テオほどの心身ともに美しい獣人は早々いないと自負しているあたしは、持っていた薬箱の取っ手を力いっぱい握りしめる。
きっとこのクソ野郎はわざと相手を怒らせて、主導権を握るタイプのクソ野郎だ――。
……とでも思わなければ、この重い薬箱をクソ野郎の鼻っツラにぶつけていたところだ。
「彼は私の助手です」
「助手ぅ?! 獣人にそんなことができるわけないだろう!」
「差別的な発言ですね。私たちと獣人は見た目は違いますが知能に差異はありませんよ」
「女のくせに口答えするんじゃない!」
早々にいくら横暴な
「帰ってもいいんですか?」
このままなにもせずに帰ってもいいと言うのであれば、僥倖だ。
うしろのテオは殺気立って、なにか言いたげであったし、あたしもクソ野郎の診察なんて正直に言えばしたくなかった。
しかしまあ、クンケルは気勢を失うことなく横暴な態度を改めない。
「お前は馬鹿か?! わしが死んだらどうする!」
どういった人生を歩めばここまで人間性が腐ってしまうのか、悪い意味で舌を巻く思いだ。
あたしだって性根は立派じゃないけれど、初対面の人を相手に取り繕うくらいはする。
でもクンケルはそんなことはしない。
やりたい放題できる神経はうらやましいと言えばうらやましいが、絶対に見習いたくはなかった。
「どうもしないです」
けれどもあたしは目の前にいるクンケルを見習って、取り繕いもせずにそう答える。
実際、この男が死んだとしてもあたしはなにひとつ困ることなんてない。いっそ清々しいまでのクソっぷりを拝ませられたあとでは、罪悪感など湧いてきそうもなかった。
さしものクンケルもあまりに飾り気のないあたしの言葉に、一瞬だけ勢いをそがれたようだった。
けれどもすぐに気を取り直して、猛烈に怒り出す。それこそ頭の血管が切れてしまいそうなくらいに。
「わっ、わしが年にどれだけ神殿に寄進していると思って~~~!」
しかし次の瞬間にはクンケルは「うっ」と腹を押さえて唸りだす。
そういえば彼は腹痛に襲われているところなのだった。クンケルのクソっぷりに押されてあたしはすっかり忘れていたが、当の本人もそれは変わらなかったらしい。
……ここまできて、あたしはクンケルという男に、「相手を怒らせて主導権を握る」なんて芸当はできないような気がしてきた。
つまり、単なるバカなオッサンというわけである。
そんな推論を出したあたしの脳裏にひとつの思いつきが流れ星のごとく走った。
「仕方ありません。病人を放置しておくわけにはいきませんから……」
そうしおらしく言って、あたしはクンケルが寝かされているベッドのそばの床に薬箱を置き、その中から薬瓶をひとつ持ち出す。
それを目ざとく見たクンケルは、「よこせ!」とひったくるようにしてあたしの手から薬瓶を奪った。
そして、そのまま薬瓶のフタを外して一度に中身の薬液を飲んでしまう。……どういった薬なのかも聞かずに。
「あらら~飲んじゃったんですかあ?」
あたしはそれを見て、目いっぱいニタニタといやらしい笑みを浮かべてやる。
クンケルはそんなあたしを見て、ぎょっとした目で空になった薬瓶を見やり、続いてあたしの顔を見た。
「ど、どういう意味だ?!」
「そのままの意味ですけど」
「なんだ?! 毒か?! 毒を盛ったのか?!」
盛ったもなにも、あたしの手からひったくって飲んだのは自分だろうに。
けれどもあたしはなにも言わずにニタニタと笑うだけだ。
「そ、そんなことをして許されると思っているのか?!」
「誤解ですよ。ただ散々嫌な目に遭わされたので、もしかしたら間違ったという可能性はなきにしもあらず」
「こっ、この
腹痛で苦しんでいた割には俊敏な動作でクンケルが立ち上がる。そしてそのままあたしに向かって握った拳を振り下ろそうとした。
けれどももちろんというべきか、肥満気味に加えて腹痛に見舞われていたクンケルの拳はへろへろだった。
おまけに素早くあたしの前に出たテオにあっさりと腕を取られた上、後ろ手にされてベッドシーツに顔をこすりつけるハメになった。
「やめろー! やめろー! しぬしぬしぬっ!」
クンケルは無様な声を上げてテオの手から逃れようとするが、もちろん失敗していた。
バタバタと動かすクンケルの脚が目障りだったのか、テオは膝に体重をかけて制止させる。
「この人殺しぃ!」
「単なる整腸液を飲ませて『人殺し』、ですか」
「……へ?」
間抜け面を晒すクンケルを、あたしは真顔で見下ろす。
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