(8)
前任の魔法女はかなりの高齢だったが、では魔法女の義務とも言える魔獣退治の業務をどうしていたか。
どうやら隣接する地区の魔法女たちが業務を肩代わりしていたらしい。
伝聞調なのはテオがこれまた街で仕入れてきた情報だからである。
ちなみにテオは「強欲さが原因で辞めさせられた元聖乙女」などという流言を飛ばされるあたしの奴隷ということで、どうも街の人間たちには同情されているらしい。
この辺りは獣人の少ない――というかほとんどいない地区なのだが、その中にあっても悪目立ちしないていどには、あたしの評判によってテオの物珍しさはかき消されているらしかった。
この辺りでは珍しい獣人という、奇異の目でテオが見られないのは喜ばしいことではあるが、それはそれ、これはこれ。
どうもこの地区ではあたしの評判は地に落ちているも同然らしい。
おまけに前任の業務を肩代わりしていた魔法女のこともある。
ほとんど土地に縛られている魔法女には定期会合などは存在しないのだが、それすなわち今後隣接する地区の魔法女と出会わないことを指しているわけではなかった。
なにかの拍子に出くわしたら――もしかしたら後任ということで、なにか文句のひとつくらい言われるかもしれない。
魔法女を各地区に差配している神殿に文句を言えよ、と言いたいところだが、それができないこともまた、あたしにはよくわかっている。
もし出会ってしまって、ついでに文句のひとつを言われても、甘んじて受け入れるしかないだろう。理不尽な話だが。
一応、先手を打って隣接する地区の魔法女たちには手紙を送ってある。
「これからよろしくおねがいします~」という毒にも薬にもならない内容だ。
こんなあってないような内容のもん、送る意味あんのかと思わなくもないのだが、義理を通しておくのはどこでだって必要なのだ。
今後あたしが、隣接する地区の魔法女の助力を乞わなければならない可能性は、まったくないとは言い切れないのだから。
それにしても魔獣退治すらできなくなった魔法女をギリギリまで酷使するとは、神殿もなかなかの傑物である。
そこまでして引退させなかったのか――あるいは、当の魔法女が引退したがらなかったのかまではわからない。
なにせあたしは単に「この地区で魔法女として隠遁しろ」というお話をいただいただけの身分だ。「前任は高齢で引退した」という以上の情報を持たない。
それに、今さら前任の話を仕入れても仕方がない……と思っていたのだが、そうは問屋が卸さないというのが今の状況である。
けれどもまあ、テオのお陰もあって前任の情報はほとんど出尽くしただろう。
街の郊外の平地にある森で、若干足を引きずりながらゆっくりと藪こぎをしつつ、あたしは先行するテオの背を見て、それからゆらゆらと左右に揺れる黒い尾を見た。
なにはともあれ魔獣退治だ。
魔獣は普通の動物が空気中の
あたしはそのまさに変化する場面に立ちあったことはないのだが、学者が口をそろえて言っているのだからそうなんだろう。
魔素は決して悪いものではない。生活を豊かにする魔道具にも魔素は使われているし、魔法女しか使えない法力も魔素がなければどうしようもない。
けれども問題は、それを過剰に摂取してしまう動物がいること。
原因は様々だが、地震などで魔素が突出するようになったホットスポットに不用意に近づいてしまった、というのはよく例に出される話だ。
そうでなくても魔素は動物の体内に蓄積しやすいもの、らしい。
じゃあ人はどうなんだ、と思うのが普通だろうが、人と動物は別らしい。
正直あたしは怪しいとにらんでいるのだが、その分野に明るくないので真相はわからない。
人は神の加護を受けているから――などという、もっともらしい説が流布しているものの、どこまで本当なのか、神殿が本気なのかはわからなかった。
神殿と言いつつ、いるのはいずれも腹に一物を抱えた手練ればかりの伏魔殿。
たとえば人間が魔獣のように変化するという事実を――仮にあったとして――隠蔽しているなどと聞かされれば、「さもありなん」と思ってしまうだろう。
あたしは神殿を信頼してはいるが、その信頼は純粋無垢な類いのものではないのであった。
そんな風に陰謀論に片脚を突っ込みながら、森へ入ってそう深くない場所で魔獣を発見する。
普通の狼と同様に、群れを形成するために退治が面倒な
「うーん。魔狼か……」
「見て見ぬふりをするわけにもいかないだろう?」
「そうなんだけどね。ここ、魔狼が出るんだなって思っただけよ」
「これからいくらでも狩れるな」
「狩猟趣味はないんだけど……」
テオと軽口を叩き合いながら、しかし警戒は怠らずに魔狼との距離を縮めて行く。
「じゃあ気をつけて、お願いね」
「ああ、わかってる」
盾を手にしたテオが、剣を手に藪から飛び出して行った。
嗅覚に優れた魔狼は当然、接近者には気づいていたが、それが俊敏な動きで飛び出してきたので少々不意を突かれた形になる。
テオは大股で魔狼の一頭へと迅速に接近し、その巨躯へと潜り込むような形で前傾するや、その喉笛を鮮やかにかき切った。
魔狼の一頭は断末魔を上げる暇もなく頸動脈をかき切られ、たちまちのうちに絶命して、ドウと地に倒れ込んだ。
魔狼は群れを形成してはいたものの、その数は多くはない。全部で四頭。片手で数えられる。
魔狼は襲撃者に対して囲みこむように散開し出すと同時に、一頭がテオの背中に向かって飛びかかる。
テオはそれをなんなく盾で防御する。
が、飛びかかった魔狼はテオの盾に食らいついて離れない。
魔狼は魔獣の中でもかなり知恵が回ると言われている。
巨躯を誇る魔狼の一頭に取りつかれた形となったテオを、残りの二頭が挟み込んだ。
そのまま飛びかかるタイミングを計っているように、じりじりとテオを中心に円を描くようにゆっくりと移動する。
けれども魔狼がいくら賢くたって、圧倒的な力の前ではほとんど無力であった。
あたしの杖から放たれたふたつの炎の魔法が、矢のように木々の隙間を縫って魔狼に飛びかかる。
魔狼が風になびかせていた立派な毛に燃え移り、法力の火はたちまちのうちに魔狼の体を燃え広がる。
魔狼は悲痛な声を上げてもんどり打ち、火から逃れんと地面に体をこすりつける。
しかしそのていどでは法力の火は消えない。
完全に体勢を崩された魔狼たちに待つのは、死のみ。
まず盾に取りついていた狼を、テオが冷静に処理する。盾から腕を抜いて蹴り上げて、すぐさま魔狼に接近し、一閃。
一頭目と同じように喉笛をかき切られた魔狼は、首から血を噴き出しながら倒れ込む。
残りの魔狼を処理するころには法力の火もさすがに消えかけていたが、それは魔狼の命も同じことだった。
生きたまま丸焼きにされた魔狼を、テオは淡々と処理して行く。
そうしてようやく魔狼の退治が終わると、テオのぴんと立っていた耳の緊張が、ちょっとだけゆるんだ。
「ご苦労さま」
あたしがねぎらいの言葉をかけると、テオは振り返って汗をぬぐうような仕草をする。
魔獣退治は久々だった。特に、一年前の
神殿はなにもあたしを慮ってそうしたのではない。在任中の聖乙女が魔獣に殺されたなどということが起これば、神殿にとっては不名誉極まりない。
けれども聖乙女を引退させるにはまだ早いと――そのときは判断して――あたしを引き続き聖乙女として、その神輿を担いでいたわけである。
「まだ気にしてるの?」
急に無口になったようなテオに向かって、あたしはわざとおどけるように言った。
あたしが
テオはその他大勢の戦闘奴隷と同じように扱われて、あのときはあたしのそばにいなかった。
そんな風に思う必要なんてないと、何度言っても、だ。
あの奇襲によって命を落とした人は少なくなく、あたしが生きていたのはまだ運に見放されていなかったこと、そしてその生き残る運命を引き寄せるだけの不断の努力を続けていたことが幸いした。
もちろん亡くなった者が努力不足だと言いたいわけではない。
あたしは運が良くて、加えてだれが死んでもおかしくない乱戦のさなかで生き残れるだけの技能を持ちあわせていた。それだけの話。
そう、左脚だけで済んだのは運がよかった。
けれども神殿からすれば「それだけ」でも外聞が悪いのはたしかで、民衆はあたしの左脚が少々不自由になったことを知らないままだ。
「当たり前だ。一生の怪我が残ったんだ。気になるに決まっている」
「還俗して嫁に行くなんてこと、考えちゃいないから気にすることないわ」
神殿へと入った魔法女が還俗することは基本的に自由である。よほどの能力があれば引き止められることもあるだろうが、多くはごく普通に俗世へと戻ることを許される。
だからみな、気軽に魔法女になろうなどと思えるのだ。
もし水が合わなければ早々に還俗して、嫁に行けばいい。そう楽観的に考える魔法女は、なにも珍しい存在ではない。
不思議と魔法女の数が一定に保たれているからこそできる、神殿にしては楽観的な施策と言える。
……そして「嫁に行く」などという話をしたから、自然と思い出してしまった。
「殿下は気にしないなんておっしゃられていたけれど、実際のところはどうだったのかしらね?」
第七王子のツェーザル。あたしの婚約者だった男。
彼とのあいだには愛などなかったと言い切れるが、あたしだって人の子だ。一生治らない怪我を負って、でも「私は気にしない」なんて言われたら、ちょこっとだけでも情、みたいなものが芽生えてしまうのは、仕方がないことだと思いたい。
「オレだって気にしない」
「あれ? 気になるって言ってなかった?」
「それはみすみす怪我をさせたことだ。あんただってわかっているだろう」
「はいはい」
「……ずるいな。オレが言っても二番煎じになる」
「……二番煎じでもうれしいよ」
その言葉に嘘はなかった。
神殿は当たり前だがあたしに聖乙女以上の価値なんて見出していなかった。だから怪我をしたときも、なんて不名誉で恥晒しな女なんだと言いたげな空気を感じた。
聖乙女は完璧でなければならない。あたしだってそう信じてきたし、そうであろうと努力をしてきた。
貴族令嬢だった魔法女からすれば、見劣りのする出自だけれど、礼儀作法を必死で覚え、見苦しくない教養を身につけた。
理不尽をぶつけられることも少なくなかったけれど、決して乱れた心は表に出さず、いつだって笑顔で応えた。
その結末はご存じの通り。
……だから、あたしを心から気にかけてくれるテオの存在をうれしいと思うのは、人として当たり前だと思うのだ。
テオは普段は素直じゃないあたしの言葉に虚を突かれたらしく、ちょっとおどろいた顔をした。
そのあと、珍しく少し照れたような顔をするから、あたしもちょっと照れ臭くなってしまった。
でも、悪い気分ではない。
聖乙女が奴隷とはいえ男をそばに置くなんてと散々言われたが、今はあのときの自分の判断を褒めたたえたいくらいだ。
それくらい、あたしはテオと出会えてよかったと思っている。
「それじゃ、帰ってひと息ついて……お茶でも飲みましょうか」
「……ああ」
そうやってあたしの言葉に応えてくれるのが、なによりもうれしい。
……それはあたしが弱り切っている証なのかもしれなかったが、今は考えないようにする。
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