(12)

 その後、のんびりしている余裕もなく黒の森を脱出したあたしたちは、すぐに街へと戻った。


 道中、あの黒の森にいて無事だった理由を聞けば、前任の魔法女から巻き上げた獣避けの守りを持ってきていたからだったらしい。


 しかし大いに森の中で迷った挙句に魔熊に遭遇し、恐ろしくて動けなくなってしまった――ところにテオとあたしがきた、と。


 一応、軽率な行動を叱ってはおいたが、あれだけ怖い思いをしたのだ。しっかり反省はしているだろう。


 たどり着いた街では煌々とタイマツが焚かれ、ピリピリとした空気が漂っていたが、それもあたしたちが姿を現すと安堵と喜びに変わる。


 親と子が抱き合う感動的なシーンを見せられつつ、あたしはじっとりとした疲労感が湧いてくるのを感じた。


 それも多少、彼らのお礼の嵐で軽減できたものの、よくよく考えれば寝ているところを叩き起こされたのだった。


 あたしはどんなに忙しくても一日八時間は寝ないと満足できない人間なのだ。


 今すぐに寝たい……。


 そんな本音を押し殺して、周辺地域の住民に愛される魔法女な風を装う。


 実際、今回の件で住民たちのあたしに対する評価はかなり変わったようだった。


 そりゃまあそうだろう。普通の魔法女だったら魔素の濃さに酔ってマトモに動けなくなるなんてこともあり得たし、魔獣に八つ裂きにされて森の肥やしになったなんて結末もあり得た。


 そこを子供たち全員を助け出して帰ってきたのだから、マイナスを突っ切っていた評価も、ゼロから多少プラスくらいにはなるだろう。


 しかしそれはあたしだけの力でなし得たものではなかった。


 テオがいなければ、片脚が不自由なあたしはいい的だ。その点も強調しておくが、なぜか謙虚な態度と捉えられた。


 ……まあいいか。いい感じに受け取ってもらえたんだから、テキトーに受け流しておくか。


 後日またお礼がしたいという話もまとまり、眠気まみれのあたしはようやく解放された。


 とにかくお礼お礼お礼の嵐だった。クソガキたちのあたしたちを見る目も明らかに変わった。


 それだけでまあ、寝ていたところを叩き起こされた価値はあったと言えるだろう。


 ……睡眠は、あたしにとってはそれくらい大事なのだ。


「眠い」

「なんならオレが背負ってやろうか?」

「うーん……それは……」


 街の郊外に用意された家まではそれなりに歩く。


 眠すぎて足がおぼつかなくなってきたあたしは、普段だったら突っぱねるであろうテオの提案に、迷いを抱いた。


 あたしが立ち止まったままうだうだと、眠気で動かない頭で考えているうちに、テオはあたしの前で屈みこんで背中を見せる。


 あたしよりも、ずっと広い背中だ。


 当然だ。テオは人間よりも体格に優れる獣人で、それで男なのだから。


 そんな背中は意外と寝心地はいいかもしれない……。


 あまりに眠すぎたあたしは、我慢の限界とばかりにテオの背中に突っ込んだ。


「ん゛っ! ……あんた、おぶって欲しいなら先に言え」


 急にあたしが背中に突っ込んだことにおどろいたテオが、なんとも言えない声を発する。


 しかしあたしの脳みそにはそんな文句はもはや微妙に届いていないのだった。


 ゆるゆるとテオがゆっくり立ち上がるのがわかる。


「あり……がと……ね、テオ……」


 あたしのまぶたは重くて重くて、もう持ち上がらない。


 テオの背中は予想通り、思ったよりも寝心地は悪くない。獣人らしく体温が高くて温かくて、それがまたあたしの眠気を呼んでくる。


 あたしを背負ったテオがなにかを言ったが、その言葉はもうぐにゃぐにゃになった脳みそでは、うまく認識できないのであった。




 黒の森での一件以降、住民たちの態度は一八〇度変わったと言ってもいいくらいだった。


 あたしはと言えば「それがトーゼン」くらいのことは思っていた。


 だってあたしは現聖乙女には法力で負けるものの、他の魔法女たちの中では五指に入る――いや、現聖乙女に次ぐ実力だという自負がまだある。


 口では謙遜しつつ、内心では「もっと褒めた称えてもいいのよ?」くらいのことは考えていた。


 態度に出せばヤなやつだが、心の中はだれであろうと自由だ。


 そんなわけであたしも住民との日々のコミュニケーションは重要だと思い直し――そして称賛を受けるために――街へと足を運ぶようになった。


 以前はテオに任せきりだったが、それもよくないと思い直したのである。


 正直、情が湧けばこっちのもん、くらいの打算もある。


 けれどもこの先、何十年とこの地域にかかわって行くことになっているのだから、色んなことを知っておくのは選択肢としては悪くないと思っている。


 たしかにめんどうくさいという気持ちはある。気持ちはあるが、仲良くなっておけばなにかしらあったときにあたしを助けてくれたり、事前に耳打ちしてくれるなんてこともあるだろう。


 そういう利を取って、あたしは「めんどうくさい」という気持ちを奥に押し込めていた。


「あっ」

「うわっ、ペネロペだ!」

「なによその態度。まーたなにか悪だくみしてたの?」


 街中でテオを買い物に行かせているあいだ、ふと木箱が積まれた路地を覗き込めば、そこにいたのは街一番の商会の跡取り息子・マルセル。そして他に二人の取り巻きも「面倒なのに見つかった」とばかりの顔をする。


 この三人は黒の森へ無鉄砲に足を踏み入れ、そしてあたしにタカろうとした過去を持つクソガキたちである。あたしは心の中で「三馬鹿」と呼んでいる。


 三馬鹿はあたしの言葉に「どーする?」と顔を見合わせた。


 あたしの言葉の通りにまた悪だくみをしていたのだろう。なかなか懲りない連中だ。


 場合によってはまた尻を叩く必要性があるななどと、三馬鹿にとってはカンベンなことを考えていたあたしであったが、三馬鹿は意外にも「しょーがねーな」と悪だくみを打ち明ける方向に決めたらしかった。


「お袋たちには言うなよ?!」

「内容によっては言うわよ」

「ダメだって! そんなことしたらまたケツ一〇〇叩きの刑にされる!」

「悪だくみなんてしなきゃいいのよ。……で? 今度はなにをたくらんでいたの? モノによっちゃあ黙っといてあげるわよ」

「うーん……」


 マルセルは心底困ったというような顔をしてうなる。


 彼の脳裏では色々と計算がなされているのだろう。そしてその計算の結果、あたしを巻き込んでしまった方がいいと判断したのかもしれなかった。


 今ここで告げなければあたしの性格上、マルセルの親御さんに「なんか悪だくみしてますよー」と通報されると思ったに違いない。そしてそれは実に正確だった。あたしはそうする。絶対にそうする。


 そうした予測があった上で、あたしを巻き込んで共犯にしてしまえばいいと考えたのだろう。


 マルセルの顔にはありありとそういう変遷が見て取れた。


 ……家業の商会を継ぐにはまだまだ子供だな。


 そうは思うものの、そういう素直さはうらやましくもある。あたしにはもう、こんな風に素直に感情を出すことは許されないからだ。


 一方、感情と同じく、態度も素直だったらいいのになあなんて思ってしまうが、そろそろ思春期を迎える彼らは、どんどん気難しくなって行くに違いない。


 そう考えると、こうしてあたしに素直になにかを打ち明けようとしてくれる行為も、いつかなつかしく思うようになるのかもしれない。……これはちょっとババくさい考えだな。


 そんな風にあたしが色々と考えまくっていることも知らずに、マルセルたちは「悪だくみ」の内容を話し出す。


「あのさーペネロペはここ最近、洗濯物の色が変わるっていう事件は知ってる?」

「ああ……洗濯物を干していると、目を離したすきに服や布巾の色が変わっているっていう怪現象ね。どうにかできないかって相談されたけれど……」

「あれさー……魔女まじょの仕業なんだよ!」

「魔女?」

「え? ペネロペ知らないの?!」

「知ってるけど」

「えーっ?! ホントにーっ?!」


 騒ぎ出した三馬鹿を尻目に、あたしは面倒なことになったとばかりに思わず目を細めてしまう。


 魔法女と魔女は言葉の響きこそ似てはいるが、実態は似て非なるもの。


 簡単に言えば神殿に属するのが魔法女で、魔女はいずれの組織にも属していない非合法な存在だ。


 とはいえ法力を行使するなどの点において、魔法女と魔女の境目は曖昧である。


 両者をわけるのは、合法か、非合法かのほぼ一点のみ。


 魔法女と違って魔女は巷を騒がすことを至上とする、迷惑な連中だ。


 魔女はそこかしこで騒ぎを起こすが、今のところだれかを殺したりなんてことはしていない。


 それどころか悪徳な高利貸しから借金の証書を盗み出したり、高価な絵画をよく似た風刺画にすり変えたりなど愉快犯的な行動が多いせいか、魔女を義賊扱いする者もいるくらいだ。


 それがまた、神殿にとっては厄介で、頭の痛い問題なのである。


 いっそわかりやすい悪であれば公の場で非難できようものなのだが、そうではないので困っているわけである。


「あのねえ……魔女に近づいちゃダメだって、言われなかった?」

「それくらい知ってるよー」

「でもアイツは悪いやつじゃないし」

「そうそう。おれたちがイタズラして逃げてるときに助けてくれたんだ!」

「……どういうこと?」

「おれたちを隠してくれたんだよ! なんか不思議な布をかぶせられたらさーお袋たちからおれたち、急に見えなくなったみたいで!」


 そのときのことを思い出しているのか、三馬鹿は興奮気味に話してくれる。


 あたしの目はますます細くなるようだった。


 既にこの街に勢力を伸ばしている魔女がいるのに気づかなかったとは……不覚。


「ふーん。本当かなあ? 周囲の人間から姿がわからなくなる布なんて……」

「えーっ?! 信じてくれないのかよ?!」

「ホントーだって!」

「魔女の話だって……私みたことないし」

「じゃあ会わせてやるよ! 今街にきてるし!」


 さすがに三馬鹿の「魔女が今街にきている」との言葉にはおどろきの声を漏らしそうになった。


 ちょくちょく街には入り込んでいるというくらいの予測はしていたが、「今、まさに」とは。


 あたしはおどろきを隠して「え? 本当に?」とわざとらしくうれしそうな顔をする。


 三馬鹿はそれに満足したのか、胸を張って「こっち!」と案内までしてくれるようだ。


 テオがいない状況で会うのには不安があったが、こんな街中で白昼堂々殺人に及ぶなんてことはないだろうとあたしは一種高を括っていた。


 しかし三馬鹿が案内してくれたのは街の外にある、一本の大きな木が生えた、ちょっとした丘であった。


 これはちょっとマズったかもしれないとは思ったが、義賊だなんだともてはやされる魔女が、子供の前で、また子供ごと殺人に及ぶとは考えられない……否、考えたくなかった。


 もはやここまでくれば、それは楽観的な観測というやつだ。


 あたしは魔法女の黒いローブの下にある魔法杖に、そっと指を這わせた。


「おーい、ヘクター!」


 マルセルが名前を呼ぶと、丘の上の大きな木の下に座り込んでいた人影がもぞもぞと動く。


 近づいてみると、人影の足元には木の枝が積まれている。焚火でもするつもりなのだろうか?


 そして人影がちゃんとした人に見える距離まで近づくと、ようやく「ヘクター」の顔が見えた。


 ふわふわとした茶髪に、細目だが愛嬌のある顔をした、年の頃二〇代中ほどの黒いコートを着込んだが、座ったままの姿勢であたしたちを見上げた。

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