(25)
パレードの護衛という大仕事は、成功したとは言い難いものの、ひとまず惨憺たる結果にはならなかった。
となればもうあたしたちが王都にいる理由はない。
一応、騎士団から解放されたのが遅かったこともあって、大神殿にいるシュテファーニエへの報告は次の日に持ち越された。
しかしあの厳しいシュテファーニエも、ヘクターの厄介さをじゅうぶんに理解しているのか――あるいは、まったく別の理由があったのか、不思議とあたしの仕事ぶりを叱責するようなことはなかった。
それがあたしからすれば逆に不気味で、少々恐ろしかったのだが……。
そんなあたしの心情はシュテファーニエにはバレバレだったのか、彼女は鉄仮面のまま答えた。
「あの魔女の法力は聖乙女に匹敵するほどのものではありませんが……とにかくあの移動魔法が厄介だものね」
だから、アンナ・ヒイラギに次ぐ法力を持つあたしを叱責したりはしない、ということなのだろうか?
相変わらずシュテファーニエの前では昔のように背筋をただしてしまうあたしに、彼女は重ねてヘクターに関する推測を告げた。
「例の魔女は貴女が赴任した地区にも出現したと聞いたけれど」
「ええ。そのときも移動魔法で逃げられてしまいました」
「それなのだけれど、少なくともパレードのときの例の魔女は、王都の地下に張り巡らされた下水道を移動に使った可能性があると私は考えているの」
「移動魔法で地下に……」
「そう。目に見えていない場所へ移動するのはなかなか難しいわ。けれども、絶対に無理というわけではない。練習を重ねればできるようにはなる。そして地下の下水道を使えば、そもそもの移動距離が短くとも問題はないでしょうね」
「彼の法力の量は正確にはわかりませんが、たしかにパッと見てわかるほどの量は感じられませんでした。しかしあなたの言うように地下道を利用するならば、大量の法力を使って長距離を移動する、よりは現実的……なんでしょうね」
「それで貴女が赴任した地区も念のため調べてみたのだけれど、その街には地下墓地があるということがわかったわ。まるで蟻の巣のように張り巡らされた地下墓地を使えば、逃げおおせるのはそう難しい話ではないでしょうね」
鉄仮面だったシュテファーニエも、ヘクターの厄介さには色々と思うところがあるらしい。その柳眉のあいだには、かすかにシワが寄る。
ヘクターが地下道までもを逃亡に使うのであれば、地下に下水道がある王都や地下墓地のある街などは、彼からすれば天国みたいなものなんだろう。
そしてヘクターのことだ。きちんとそういう場所を選んで現れてはこちらをおちょくるようなマネをしているに違いなかった。
たしかに厄介だ。厄介だが、今のところ脅威というほどの脅威ではないのもたしかだ。
ヘクターは人を殺すような残忍なことはしていない。パレードの件の場合は、警備担当が迷惑を被る形になったが、しかしだれが警備に当たったとしても結果は同じであったということは、彼を眼前で見ていればわかることだ。
そこがまた、魔女を異端と定める神殿側にとっては、厄介な問題なのだろう。
「なにがなんでも、緊急に捕まえなければならない、ということはありませんが。貴女も気をつけなさい。あの魔女は貴女のことがどうも気になっているようだから」
「そうですかね……。たまたま近くに顔見知りがいたから話しかけたのではないでしょうか?」
「そうだったら杞憂でいいのですがね」
そんな鉄仮面のまま憂いの影を見せたシュテファーニエを思い出しつつ、あたしは荷物のチェックを終えた。
荷物はひとつ増えたが問題なくトランクに収まる。
増えた荷はパレードの日に着た、明るい黄色のドレスだ。持ち帰ったとして果たして今後袖を通すのかどうかはわからないが……「こういうドレスは一着持っておいて損はない」というハンスの言葉を信じよう。
「忘れ物はないよね?」
「ざっと部屋を見たが大丈夫そうだ」
「まあ忘れてもハンスに送ってもらうか、そうでなくとも代わりを買えばいいから問題ないんだけれど……」
テオとそんな会話をしているときに、客間の扉が控え目に叩かれる。
「ペネロペ。ちょっといいかい?」
「ハンス、どうしたの?」
扉から顔を出した家主のハンスは、どこか困ったように眉を下げてこちらを見る。
「ペネロペにお客さんがきているのだけれど……」
「客? ……心当たりがまったくないわ。いったい、なんていう人なの?」
一瞬、王都の屋台街で出会ったテオの同郷人・ヨッヘムの顔が脳裏をよぎる。
しかしこちらは彼の名刺を貰ったが、あちらはあたしたちの逗留先なんて知らないハズだ。この可能性はないとすぐに打ち消す。
となればますます心当たりがない。
王都に知り合いはたくさんいるが、わざわざ居所を探し出してまで訪問する人間に心当たりはまったくなかった。
不思議そうな顔をするあたしに対し、ハンスはひどく言いにくそうに突然の訪問者の名を告げた。
「突然ごめんなさい。どうしてもお礼がしたかったんです」
そう言ってどこか不安げな顔をしつつ、ソファから立ち上がってぺこりと頭を下げたのは、他でもないアンナ・ヒイラギだ。
ハンスと共に入ったローゼンハイン邸の応接室の上座にはツェーザル殿下まで揃っていて、あたしは頭痛を覚えずにはいられなかった。
つい先日、あんな気まずい会話をしておいてよくあたしの前に顔を出せるな、とツェーザル殿下には悪い意味で舌を巻く思いだ。
しかしまあ、婚約者になる予定のアンナ・ヒイラギに付いてくる、ということ自体は理解できなくもない。
あたしが逗留しているローゼンハイン邸の主は、言うまでもなく年頃の男性であるハンスなのだから、妙な噂を呼ばないためにも殿下は彼女に同行したのだろう。
けれどもツェーザル殿下の顔を見ても微妙に視線が合わないのを見ると、彼にも一応先日の一件を気まずく思うていどのデリケートさはあるようだ。
王族らしくなんでもない顔をしていて欲しいのも半分、そういう繊細さを持ち合わせていることに安心すること半分。
あたしはそんな複雑な思いで殿下を見ていたが、すぐに視線をアンナ・ヒイラギに戻した。
アンナ・ヒイラギは――あたし自身を棚に上げて言うならば――相変わらず垢抜けない女だった。
服は紺色をベースに白いフリルがあしらわれた地味なもので、遠くから見たらメイドの午後服に見えなくもない。
髪の色はのっぺりとした黒。取り立てて特徴のない茶色の目。目鼻の彫りは浅く平坦で、神秘的と言えなくもないが、華やかとは言い難い造形。
……そうは言っても髪や目の色、顔立ちなんて本人の努力ではどうしようもできない部分だ。
それにアンナ・ヒイラギが仮にド派手な美女だったとしても、きっとあたしは反感を覚えただろう。
アンナ・ヒイラギ本人を前にして、あたしはあるていど沈静化したと思っていた、彼女に対する負の感情をまざまざと呼び覚まされるのを感じる。
「お礼なんて別にいいのよ。私は頼まれた仕事をしただけだから」
その言葉に嘘偽りはなかった。
けれども内心、アンナ・ヒイラギが法力を自在に扱えていたら、ヘクターは捕まえられたんじゃないかとも思う。
しかしあのヘクターのことだから、もしアンナ・ヒイラギがきちんと法力を使えていたら、あんなに接近することはなかっただろうが……。
しょせんはタラレバでしかない。
「言いたいことはそれだけ?」
「いえ、あの……その……」
アンナ・ヒイラギは視線を泳がせていたが、ちらりと上座にいるツェーザル殿下と視線が合ったかと思うと、意を決したようにこちらを見た。
「あの……ペネロペさんには謝らなければならないと思っていて……」
「は?」
あたしの口から出た品のない声に、ツェーザル殿下がこちらに視線を向けたのがわかった。
同席しているハンスは、ちらりとあたしを見たものの、なにかしら口を挟む気はまったくないようだ。
アンナ・ヒイラギはと言えば、あたしの言葉に少しだけ顔色を悪くしたが、言葉を続けるだけの度胸はまだあるようだった。
「えっと、その……わたし、聖乙女の事情とかまったく知らなくて……その、そういうつもりじゃ、ぜんぜんなくって……」
「……じゃあ、どういうつもりだったって言うの?」
「あの、聖乙女……ペネロペさんは怪我を理由に引退したがっていると聞かされてて……でも、実際には違っていて……それで、わたしが聖乙女になったから殿下との婚約もなかったことになったって聞いてしまって……だから、ペネロペさんには謝りたくて……」
オドオドと視線をさまよわせながら言葉を続けるアンナ・ヒイラギに、あたしは胸のムカつきを抑えきれなかった。
「今さら言い訳じみたことを言って、あたしにどうして欲しいの?」
「え……?」
「許して欲しいの? 『いいのよ、全然気にしていないわ』って言われたいわけ? ……おあいにくさま、あたしってそんなに寛容な人間じゃないのよ。残念でございました!」
敵意に満ちた言葉を、アンナ・ヒイラギにぶつけた自覚はある。
彼女が目を丸くして明らかに傷ついた顔をしたのを見たとき、あたしの心に湧いて出たのは優越感などではなく、泥まみれになったような不快感だった。
アンナ・ヒイラギに醜い感情を抱き続けている、未練がましい自分は好きではない。
好きではないのに、口から出る言葉は止まらない。
「よかったじゃない。こんな世界で自分の居場所を見つけられて。親も友達ももう会えないんでしょう? でも今は聖乙女になれて、王子様とも結婚できる。あたしはあんたが聖乙女になるのを引き受けたせいで、全部パアだけどね」
「……ペネロペ」
ツェーザル殿下がたしなめるようにあたしの名を呼んだ。
けれどもその言葉にすらイライラするばかりで、一方でアンナ・ヒイラギをことさら傷つけるような自分の物言いに、自分で失望を覚えずにはいられなかった。
アンナ・ヒイラギは自分から仕掛けておいて、もうあたしの顔は見ていられなかったらしく、今はうなだれるように無言のままうつむいている。
それを見て、あたしの頭も少しは冷えた。
「……言いすぎたわ。殿下との婚約が解消したことはまったく気にしていないし、聖乙女を中途半端に辞めさせられたお陰で今は悠々自適の年金生活なの。今の生活だって、それなりに満足しているわ。……でも」
輝かしい道。今はもうない道。聖乙女として魔法女の頂点に立ち、その後は王族と結婚。夢に描いたエリートコース。
今はそこに、昔以上の情熱もなければ、意味も見いだせない。
でも――。
「あんたなんかに同情されるなんて、みじめったらしくて死にたくなる」
それがあたしの本音だった。
「ペネロペ……そんな風にアンナに意地悪することないだろう」
ツェーザル殿下はこちらをうかがうような視線を寄せつつも、しかしアンナ・ヒイラギをかばわずにはいられないようだった。
あたしの万感の思いを込めて吐き捨てた言葉を「意地悪」などと矮小化する殿下には、正直言ってムカついた。
だからあたしもまるで「ケナゲな聖乙女サマ」をいじめる悪役のような役回りをやめられない。
「あら、少しくらい意地悪してもいいんじゃないかしら? あたしはこいつのせいで聖乙女の座を追われたんだから」
「それは、君の力がアンナに及ばなかった……それだけの話だろう? 彼女はなにも悪くない。君の才能と努力が足りなかった。違うか?」
ツェーザル殿下は静かにそう言い切る。それは、たしかに正論だった。……だから、おもしろくない。
そもそも、あたしよりも優れた法力を持つアンナ・ヒイラギにそんな言葉をかけられるのならばともかくも、ツェーザル殿下にこんな風に言われる筋合いはなかった。
しかし相変わらずアンナ・ヒイラギはうつむいたままなにも言わない。
あたしに才能も努力も足りないんだと言い切るツェーザル殿下の傲慢さにも腹が立ったし、一番業腹なのは、あたしに才能で勝るアンナ・ヒイラギが、まるで性格の悪いキャラクターにいじめられてヘコまされたヒロインみたいに、ずっと押し黙ったままということだった。
「それで? わざわざあたしを悪者にするためにおふた方はいらしたのかしら?」
「……実は、ペネロペに頼みたいことがあるんだ」
「へえ? あたしをこんだけ腐しておいて、よく頼みごとなんてする気になれますね?」
「……これは、ペネロペにしか頼めないことなんだ」
あたしにしか頼めないことだと言われても、微塵も優越感は浮かばなかったし、うれしくもならなかった。
それよりもこんな流れで頼みごとができるツェーザル殿下の神経にはおどろいたし、頼みごとがあるその前に、空気が悪くなるようなことを平気で言えてしまえるアンナ・ヒイラギにもおどろいた。
案外と、このふたりは似た者同士でお似合いかもしれない。
「聞くだけ聞きます」
とは言え、ツェーザル殿下じきじきの頼みを断れるほど、今のあたしは偉い地位にはいないわけで。
「アンナと、偽の聖乙女との勝負を手伝って欲しい」
――かくして、あたしは聖乙女を辞めたあとだというのに、偽聖乙女との勝負とやらに参加しなくてはならなくなったのであった。
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