(24)
あたしたちの身元の照会も終わり、騎士団から解放されればとっぷりと日が暮れていた。
あたしの法力とテオの力があれば夜道なんて怖くはない。しかし友人であるハンスからの使者が馬車で迎えに行くとの報を持ってきたため、あたしは騎士団の団舎の手前にある大門の柱にもたれかかって待つことにした。
「中で待たないのか」
「形式上とはいえ取り調べ受けたあとだし……」
「妙なところで繊細だな」
「『妙』は余計。……はー。それにしても殿下はなにがしたかったのやら」
テオはツェーザル殿下を指して「未練がましい男」と評したが、あたしからすると納得がいかない。
いや、あのときのツェーザル殿下の歯に物が挟まったような言い方は、捨てた恋人を今さら懐かしがるような、そういう未練がましさはたしかに感じた。
けれどもあたしとツェーザル殿下のあいだにはなにもない。
たしかに婚約してはいたけれど、愛しあってのことではないし、まかり間違っても情を交わすようなことはなかった。
あたしは公爵に叙される予定のツェーザル殿下のもとで、豪勢とは言わないまでも苦労しない生活が送れるのであれば、愛なんてなくてもいいとさえ思っていた。
ツェーザル殿下だって、聖乙女だったあたしを妻にすることで王室と自分自身に箔をつけ、神殿とより強い結びつきを実現する。そのことがわからないほど彼は阿呆ではないハズだ。
そしてアンナ・ヒイラギはあたしよりも遥かに箔づけに向いている人材なのだ。
「幸運の運び手」と呼ばれる渡り人にして、聖乙女だったあたしを大きく上回る法力……。見た目は優れているとは言えないが、まあカワイイ系ではあるし、見ていられないほどのブサイクってわけでもない。
そしてあたしも別に取り立てるほどの美人でもなければ、目をそらすほどのブサイクでもない。
となればツェーザル殿下からすると、婚約者がある日突然あたしからアンナ・ヒイラギに変わったとしても、なにも問題はないハズである。
アンナ・ヒイラギはあたしより優れていて、そしてあたしたちは、いたってドライな関係だったのだから。
「あいつのこと、好きだったのか?」
「は?」
テオが急に妙なことを言い出したので、あたしの口からは気の抜けた声が出た。
すぐに顔の前で手を左右に振り、「ないないない!」と全力で否定する。
あたしが? ツェーザル殿下を? 好き?
まあ「好き」か「嫌い」かのどちらかを選べと言われれば、一応「好き」と答える程度の情はある。……それも先ほどの邂逅でだいぶ怪しくはなったが。
しかし「好き」か「嫌い」か「ふつう」から選べと言われれば、まず間違いなく「ふつう」を選ぶていどには、あたしはツェーザル殿下との婚約に未練などなかった。
「未練はまーったくないけど、横からかっさらわれたことには、腹が立つかな」
「なるほど。つまりはプライドの問題か」
「そうよ。あたしにだって一応プライドってもんがあるのよ」
「そうか」
「……他にもっと言うことはないの?」
「ああ、あんたがあいつのことを好きじゃなくて安心した」
テオの腰の陰で、ゆらゆらと彼のしっぽが本当にうれしそうに揺れている。
そんな姿を見てしまうと、やっぱり恥ずかしくなってしまうわけで。
「あんたっていっつもそうよね。隠すってことを知らない……」
「いい長所だろう?」
「……そうね。そういうことにしておきましょうか……」
今まであまり考えないようにしてきた、テオのこの愛の告白めいた言動。
しかしそろそろ真面目に受け止めた方がいいのかもしれない。
あたしが逃げ回ったとしても、テオの性格を考えると文句なんて言ってくるのは想像はできない。
しかし享受するばかりというのも、なんだかあたしの性に合わない。
テオがこうやってわりとストレートに愛情を表現してくるの見るにつけ、案外とツェーザル殿下との婚約がなかったことになったのは、あたしとっては僥倖だったのかもしれない。
聖乙女になるための長く辛い魔法女としての生活の中で、あたしの目的は成功だけになっていたように思う。
つまり魔法女の頂点である聖乙女にのぼりつめ、王子様と結婚して悠々自適の生活を送る――。
そこに、愛なんてなくても大丈夫だと思っていたけれども、それは本当にそうなのだろうか?
ふと亡くなった母親の姿を思い浮かべる。もう戻りたくないと思うほどの貧乏生活だったけれど、たしかにあたしは愛されていた。
そして今は――。
「テオ」
「ん? どうした」
「これからもよろしくね」
「ああ。言われずとも」
今はごめん。テオ。あたしには、そう返すことでせいいっぱい。
テオのことは「嫌い」か「好き」かで問われれば、すぐに「好き」と言えるけれど、今はそれを伝えられるほどの勇気はない。
意気地なしな自分は好きではない。だから、いつかはテオの思いに報いたい。
それがどういう形になるのかまでは、まだわからないけれども……。
会話が途切れたところでちょうどよくハンスの――ローゼンハイン家の家紋をつけた馬車が停まった。
あたしは車の中に乗りこんで、テオは御者の隣に座る。
それを見て、テオをいつかは解放奴隷にしてあげたいとは思うが、律儀な彼のことだ。以前の同郷人・ヨッヘムとの会話を思い起こしても、自力で借金を返済するまでは解放奴隷にはならないだろうことはうかがえた。
解放奴隷との結婚は、ありふれているとは言えないが、普通にありえる事柄だ――。
とまで考えて、思考が飛躍しすぎだと恥ずかしくなった。
――あたしは、あくまで可能性の話を考えただけで、そういう意味でテオのことが好きなのかまではわからない……。
そうやって心の中で取り繕ったものの、それはほとんどテオに対する感情の答えを出しているというものだ。
あたしはそんなにニブくないと自負している。だから、その答えにすぐに気づいてしまった。……今は、気づかなければよかったと、ちょっとだけ思っている。
けれども自覚したからといって、すぐさまなにかが変わるというわけでもない。
相変わらずテオに「好き」と正直な表明をするのは気恥ずかしいわけで。
――ああ、こんなことで悩むなんて!
いつの間にやら、愛なんてものをあたしはあきらめていた。
ツェーザル殿下との婚約が決まったときでさえ、あたしは冷たくそれを受け入れた。彼とのあいだに愛情が芽生えるという希望は、一切抱いていなかった。
今となってはそれでよかったと言えるけれども、もしあたしがそんな希望を抱いていたとしたら――今という未来は、なにか違ったんだろうか?
たとえば、ツェーザル殿下が婚約をなかったことにするという取り決めを拒否するとか。
そこまで考えはしたものの、その荒唐無稽さにあたしはひとりで笑いをこぼす。
そんな未来よりも、テオと隣り合って歩む未来のほうが、あたしにとってはひどく現実的なものに思えた。
今は車の中にいるから、テオの顔は見えない。
車の前部に設けられた小窓から見えるのは彼の後頭部だけだ。
けれども今すぐその顔を振り向かせてやりたいと、あたしは思った。
「? どうした」
そんな思いが通じたのだろうか。――いや、単なる偶然だろう。
それでも不意にこちらを振り返ってくれたテオの顔が目に入って、あたしはなんだかすごくうれしくなった。
夜の影が落ちた顔は見慣れているハズなのに、今はやけに新鮮に感じてしまう。
釣り長の黒い瞳に、同じく黒い毛が生えた犬の耳。茶褐色の肌に、ちょっとだけ白目が目立つ。
「なんでもない」
そうは言ったものの、あたしの声には「うれしさ」みたいなものがにじみ出ていた。
「よくわからんが、元気が出たのならよかった」
テオはそう言って薄く微笑んだ。
それに釣られてあたしの口の端も持ち上がる。
テオはそんなちょっとだらしのないあたしの顔を見て不思議そうな顔をしてはいたが、茶化すようなことはしなかった。
――テオと過ごす、こういう時間が好きなのだと、今さらながらにあたしは自覚した。
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