(29)

 とっさに大声を出して警戒を呼び掛けたのは失敗だったのだろう。あれで位置を特定されたのかもしれない。


 あたしはそんな風に状況を分析しつつ探査魔法を解除し、ヘクターの魔法攻撃に備える。


 まだ状況が理解できていないらしいアンナ・ヒイラギも、しかしアンネリーゼ――もとい、ヘクターには近づこうとはしなかった。わからないでもわからないなりに、なにか不穏なものを感じているのかもしれない。


 アンナ・ヒイラギの肩をつかみ、うしろへと押しやる。


「――あたしが合図したら、最大出力で法力をヤツにお見舞いして。絶対よ」


 そのときにアンナ・ヒイラギにささやけば、彼女は戸惑いの目を向けつつも何度かうなずいた。


 他方、優雅な白衣びゃくえを身をまとっていたアンネリーゼの姿は、煙がひるがえるようにしてたちまちのうちに黒いコートを着た男の――ヘクターの姿に変わる。


 変身魔法はそれなりに法力を消費する。変身を解いたということは、彼もやる気なのか。


「あたしたちを殺しにきたの?」


 直截なあたしの物言いに、斜め後ろにいるアンナ・ヒイラギがぎょっとするのがわかった。


 あたしの言い方にびっくりしているのか、それとも自分を殺しにヘクターがやってきたことにおどろいているのかはわからない。平和な脳みそのお持ち主であるから、あんがいと後者も当てはまっているかも知れなかった。


 ヘクターはその糸目を上に弧を描き、油断ならない不敵な笑みを浮かべている。それでもどこか愛嬌が名残り雪のように残っているのは、逆に不気味だった。


「うーん……直接手を下したくなかったから、こんな危険な場所に誘い出した。そういう可能性もあるとは思わないかい?」

「直接手を下したほうが早いわよ」

「不意打ちで暗殺だなんておもしろくないし、エレガントじゃないだろう?」

「じゃあ、魔獣に食い殺されるのが『エレガント』だって言うの? わけがわからないわ」

「別世界からやってきた、王子様の婚約者であるケナゲな少女が魔獣に食い殺される悲劇の方が面白くないかい? 民衆は、そっちの方が面白がるね」

「……吐き気がする」


 ヘクターに魔法杖を向けて拘束魔法を放つ。それに呼応してヘクターもコートから魔法杖を取り出してあたしたちに向け、魔法を放った。


 そのふたつは真正面からぶつかりあって互いの効果を打ち消し合う。


 相変わらず、魔法の速度は互角――いや、わずかにヘクターのほうが上だろうか?


 いずれにせよこちらが魔法を打っても移動魔法を使われれば、また逃げられてしまうだろう。


「こわいこわい。さすがは元聖乙女様。油断してたらすぐにやられちゃうね」

「それはどうも。……それで、あなたのお仲間は? 周りにはいないようだけど」

「表に出て、ちょっかいをかけにいったよ。だから今森の中にいるのは僕ひとりだけ。安心して欲しいな」

「……どうしてあなただけ残っているの?」

「僕が頼んだんだ。また君と話したかったから」


 ヘクターは糸目をかすかに動かす。ウィンクのつもりなのだろうか? まったくできていないし、面白くもない。


「話? 魔女になる件ならお断りしたと思うけど」

「そんなこと言わずにさ。もうちょっと検討して欲しいなーって」

「魔女……?」


 当たり前だがそんな話は初耳なのだろうアンナ・ヒイラギが、今度はびっくりしたような目をあたしに向けてくる。


 パレードで遭遇したあとなのだから、魔女がなんであるかくらいはさすがに習っているだろう。ならば、魔女が異端であり、拘束の対象であることもわかっているハズ。


 そんな魔女にあたしが勧誘されていたことがそんなにおどろきなのだろうか?


 しかし今はアンナ・ヒイラギと悠長におしゃべりをしている暇はない。


 だがヘクターは今度はアンナ・ヒイラギにも視線を向けた。


「なぜ魔女が聖乙女を狙い始めたかわかるかい? 魔女は民衆の鏡……民衆は今の聖乙女が気に入らないのさ。それは、君たちも肌で感じているだろう?」


 アンナ・ヒイラギが息を飲むのがわかった。


 アンナ・ヒイラギはどれほど今の状況を――法力での治療もままならない状況を、どう思っているのだろう。


 ゆっくりと身につければいいと言われているのかもしれない。実際に、あせってもいいことなんてなにもないだろう。


 けれども民衆からすれば、聖乙女は治療の仕事をサボっているようにしか見えない。


 なぜなら聖乙女は、難度が高く、医者では手が出せない魔素治療ができて当たり前。そういう認識でいるのだから。


 これはなにも聖乙女となったアンナ・ヒイラギひとりの責任ではない。


 どうせすぐに治療できるだけの技術が身につくだろうと高を括ったらしい神殿の落ち度であり、同じように見積もって聖乙女となることを承認した王室だって、そうだ。


 けれどもアンナ・ヒイラギだって軽率だった。彼女が聖乙女の具体的な仕事を聞かされもせずに引き受けた可能性は高い。教えなかったことが罪ならば、聞かなかったことも罪だ。


 アンナ・ヒイラギはどんな思いで聖乙女を引き受けたのだろうか?


 居場所が欲しかった? 衣食住を保障して欲しかった? だれかに求められたかった?


 いくら考えても答えが出ないのは当たり前だ。あたしは、アンナ・ヒイラギではないのだから。


 しかし民衆の不満に偽聖乙女の出現……引いては今の状況は、確実にアンナ・ヒイラギが法力をマトモに扱えないことに起因していることはたしかだった。


 そう思うと聖乙女としての職務をまっとうできていないアンナ・ヒイラギには腹が立つ。


 しかしそれ以上に、傲慢な物言いのヘクターに腹を立てる。


「民衆の代弁者のつもり?」

「そういうわけではないんだけれど……。魔女としての活動は――僕の場合は男だから魔法女にはなれない。そういう鬱憤晴らしもあるし、仲間には魔法女の仕組みシステムが気に入らないから魔女をやっているヤツもいる。その辺りは結構自由なんだよね、魔女は」


 ひょうひょうとした口調ながらも、ヘクターは変わらず魔法杖をあたしたちに隙なく向けている。


 おしゃべりに興じるヘクターへと向かって、あたしは二発魔法を打った。しかしたちまちのうちに放たれたヘクターの魔法で、それらは打ち消されてしまう。


「おしゃべりの最中に魔法を打つなんてナンセンスだよ」

「戦いに美学なんてないわ。少なくとも、あたしにはね」

「言うねえ」


 ヒューっとヘクターはおちょくるように口笛を吹く。


「まあ、そういう、狭量な僕たちのささやかないやがらせなんだよね」

「いやがらせ? 偽の聖乙女としての活動も?」

「そう、そう。別に幸運の壺やらなんやらを売りつけてるわけじゃないし、ボランティアみたいなものだよ」

「神殿にとっては、とんだ迷惑よ」

「神殿……ね。君はいつまで神殿に縛られ続けるつもりなんだい?」


 ヘクターの言葉に、内心少し動揺した。


 神殿に縛られている、というのはあたしも実感としてあることだった。


 けれども神殿の外に出て、果たしてあたしは以前のようにそれなりに余裕のある暮らしぶりができるだろうか? ……そう思うと、あの貧乏生活に戻りたくなくて、足がすくんでしまうのだ。


 ヘクターの糸目からグリーンの瞳が覗く。その鮮やかな色が、あたしの心を見透かしているような気がして、気持ち悪い。


「君は神殿なんかに収まる器じゃない。君がいれば――僕たちはもっと大きなことができる。もう一度聞くよ。僕たちといっしょにくる気はない?」

「ないわね」


 あたしが即答したのが意外だったのか、ヘクターは微笑を浮かべていた顔をちょっとだけ崩し、「おやっ」というような表情を作る。


「そんなに意外? でもね、あなたがいくら言葉を重ねようとお断りなものはお断り。悠々自適の年金生活を手離して、犯罪者になるつもりはないわ。あたしには、神殿に反逆するだとか、御大層な思想なんてこれっぽっちもないの。たしかに、あたしからすればこの国を救う価値なんて感じられない。でも滅ぼす価値もない。ただ、金を絞り取るだけの価値はあるの。残念だったわね!」


 ひと息に言い切れば、ヘクターはもとの微笑を浮かべた顔に戻っていたが、その下ではなにかを考えているようだった。


 そしてややあってあたしから視線を外すと、今度は確実にアンナ・ヒイラギへと目を向ける。


「君は?」

「……え?」

「このまま神殿でこき使われる人生でいいのかい? 聖乙女と言ってもてはやしはするけれど、神殿に取って聖乙女は権力を拡張させるための単なる道具にすぎない。それくらいは、君にもわかるはずだ。でも、魔女になればそんな生活とはおさらばできるわけだけど……どう?」


 あたしの思い違いでなければ、ヘクターにはあたしを勧誘したときほどの情熱は感じられなかった。


 言葉もなんだか上滑りしているような印象を受ける。


「ペネロペさんがダメならわたしを……ってことですか?」


 それは、単なるあたしの錯覚ではなかったらしい。


 ちらりとアンナ・ヒイラギを見やる。彼女は聖杖せいじょうをぎゅっと抱えたまま、震える声で続ける。


「……お断りします」

「おっと。僕の言葉が信用ならなかった?」

「いいえ。そうではないんですけど……。わたし、たしかに神殿にも居場所がないし、聖乙女にって送り出してくれた人たちのところにも今さら帰れません。それに法力というものも、上手く扱えません……。――それでも、わたしを応援して、支えてくれている人たちが少なくてもいるんです! だから……その人たちの期待を裏切るわけにはいかないんです」


 アンナ・ヒイラギの本心を、あたしは初めて聞いた気がした。


 ――なんだ、案外と根性あるところもあるじゃないの。


 そう思うとなんだかウダウダとアンナ・ヒイラギを心の中で貶めるのはやめたくなった。


 見直した、というわけではないが、少なくともアンナ・ヒイラギは、彼女なりに自分を取り巻く状況を理解している。


 それだけで今は、ひとまずこの黒の森から彼女を無事に脱出させてやろうという気になれた。


 あたしはヘクターへと向かって、時間を稼ぐためにあたしが同時に出せる最大数――五つの魔法を連続して射出する。


 それを打ち消すべくヘクターも魔法を打つ。


 それが次々にあたしの打った魔法へと当たって、効果を打ち消して行く――そのさなか。


「アンナ! 最大出力でヤツを撃って!」


 その瞬間、強烈な法力の放出を感じた。


 今はアンナ・ヒイラギが持つ聖杖は法力の射出速度と威力を倍加させる、攻撃用の魔法道具マジックアイテムだ。


 そこにあたしをも遥かにしのぐアンナ・ヒイラギの法力が加わる。


 それはさながら横向きの竜巻のような形で射出された。


 黒の森の木々を猛烈な勢いで凪ぎ払う轟音が周囲に響き渡る。


 あたしにも、ヘクターにも、絶対に出せない高威力の法力が、地面をえぐり木をえぐり、黒の森を走った。


 手加減なし――というか、手加減できないのだろう、あまりの威力を誇るアンナ・ヒイラギの法力を見て、あたしはヘクターは死んだかなと思った。


 しかし、というか、半ば予想はしていたが、ヘクターは生きていた。


 それでも不意の移動魔法の位置調整に失敗したのか、彼は木の枝の上で体勢を崩したかのような恰好で着地しようとしているのが、あたしにはスローモーションで見えた。


 ――ああ、また逃がしてしまう。


 そう悔しく思う心が湧き出た瞬間――。


「ぐあっ」


 ――ヘクターが垂直に吹っ飛んだ。


「――どうやら、いいタイミングだったようだな」


 呆気に取られたあたしとアンナ・ヒイラギは木の枝に華麗に着地した――テオを見上げる。


 視界の端ではテオに吹っ飛ばされ、魔法杖を取り落としたヘクターが、無様に地へと落ちるところだった。

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