(3)

 テオとの出会いは数年前にまでさかのぼる。あたしが聖乙女になってしばらく、ようやくその振る舞いも「らし」くなってきたころの話だ。


 畏れ多くも陛下のお膝元である王都で、大規模な違法オークションが行われるとの情報が入った。扱うものは盗品や、拉致された違法な奴隷。オークションの参加者はそれを承知でやってくる。


 内偵によって判明したこの違法オークションを取り締まるべく動き出した警吏騎士団に、様々な事情があって聖乙女であるあたしも参加することになった。


 あたしが手入れに加わったのは、ひとえに拉致されて奴隷となった人間の保護をするとの名目で、神殿側がしゃしゃり出たからである。


 手入れはすべて騎士団に任せて、あとで保護した人間のケアをすればいいとはあたしも思った。


 けれども一方、神殿の権力を拡大するためには、こういった実績が必要なのだということも理解していた。


 聖乙女が所属する大神殿を束ねる大神官長は、聖乙女であるあたしの威光があれば、手入れもスムーズに進むだなんてテキトーなことを言っていた。


 たしかに、聖乙女の法力には様々な用途がある。だれかを救うこともできれば、だれかを呪うこともできる。ただ、人間にしゅをかけることは非常時を除いて固く禁じられている。


 それでも聖乙女が呪いをも扱うことは、民衆にも広く知れ渡っていることだ。


 過去の聖乙女は戦争があった時代には他国の王族を呪ったと聞くし、自らの貞操を守るために襲撃者のナニを腐らせたという伝承もある。


 だから、そういった伝説も含めた聖乙女の威光があれば、大神官長は犯罪者どもが恐れおののくと、そう言いたいらしいのであった。


 どこまで本気で言っているのかはわからない。大神官長がそんなおめでたい頭の持ち主であって欲しくないとの思いから、あたしは方便だと思ったが、真実はどうだろう。


 どちらにせよ違法オークションの手入れにあたしが参加することは確定事項であり、拒否権など存在しないことはたしかであった。


 聖乙女だなんて言われて、褒めそやされ、持ち上げられてはいたものの、結局のところあたしたちは神殿の権力を盤石とし、そしてときにそれを拡大するための道具でしかない。


 けれどもしかし、あたしもそれを承知で聖乙女という地位を利用していた。己の生活のために。それと自尊心を満たすために。


 利用し、利用される。それが健全な関係かはわからないが、少なくとも対等に綱引きができているあいだは、まあそれでいいんじゃないかとあたしは思っていた。


 違法オークションの場所は、闘技場や劇場としても使われる、円形の多目的ホール。


 目を引く赤髪を持つあたしはフードつきの白いローブに身を包み、魔法女たちに護衛されながら騎士団と共にホールへと向かう。


 ホールにいくつも設けられた出入り口に立てば、客席はすべてではないにせよ、それなりに埋まっていた。壁に張りつくように設けられたバルコニー席には、階下の客席よりも身分の高い客が座っているのだろう。


 この客席のいくつかは内偵に入った警吏騎士が埋めているのだろうが、それ以外はすべて犯罪者である。


 バルコニー席の出入り口を封鎖する準備も迅速かつ静かに終えた警吏騎士団の合図と共に、あたしはローブをはぎ取り、聖杖せいじょうの先で床を叩いて鳴らす。


「――不届き者どもを引っ捕らえよ!」


 和やかかつ下卑た談笑で満ちていたホールの視線が、あたしに集まった。


 それとほとんど同時に騎士たちがバルコニー席へとなだれ込み、趣味がいいとは言えない仮面をつけた人間たちを捕らえて行く。


 次々に、あちらこちらで悲鳴が上がる。


 あたしたちはホールのレッドカーペットが敷かれた階段を駆け下りて、奥の舞台へと向かった。向かう先は舞台裏に設けられた空間である。事前の内偵情報から、そこにオークションにかけられる盗品と、拉致されて奴隷として売られることになっていた人たちがいるハズだった。


 その情報は正確で、舞台裏に踏み込んだあたしたちの目に拉致された人々が飛び込んでくる。


 オークションにかけられる予定であったからか、拉致された彼ら彼女らは身綺麗で、身につけていた衣服もそう悪いものではなかった。


 けれどもその瞳は生気を失い、恐怖に怯え、絶望に染まっていた。


 ほとんどは子供で、若い女が多く、獣人も何人か混じっていた。


 表でなにが起こっているのか理解していない被害者たちに、あたしたちが神殿からの使いであること、救出しにきたことを伝えると、うつろだった瞳に光が宿った。


 幾人かは歓声を上げ、涙を流して喜びを分かち合うように同じ被害者と抱き合った。


 あたしは魔法女と共に被害者たちにかけられた拘束の魔法を解いて行く。


 泣きながら礼を言う被害者たちに、「騎士たちがきたら彼らにも言ってあげて」とあたしは微笑を浮かべて告げる。あとから手柄をかっさらったと恨まれるのはごめんだった。


 ひとりひとりに声をかけ、ときに優しく手を握ってやって、あたしはもう大丈夫だと被害者たちを元気づける。


 その中において、ひとりだけ喜びも怒りもしない被害者がいた。


 夜の闇をそのまま切り出したかのような、見事に真っ黒な髪と、真っ黒な瞳に、茶褐色の肌をした犬か狼の男の獣人。


 彼は拘束魔法を解かれるあいだ、身じろぎもせずあたしをじっと見つめていた。


 その瞳には一種の気高さがあった。奴隷として拉致されても、その心は鋼のように屈しはしない――。そんな、他の被害者たちとは違う異質な彼を見て、あたしはちょっとおどろいた。


「なあ」

「はい?」

「あんたが聖乙女なのか?」

「ええ」


 短い言葉を交わす。


 猫を被っているあたしは、ニコニコと慈愛に満ちた笑みを向けたのだが、彼の耳はぴくりとも動かなかったし、その瞳には馬鹿みたいにニコニコしているあたしが反射しているばかりだった。


 聖乙女と知って、こういう反応をするのは珍しかった。


 大抵の人間はあたしが聖乙女だと知ると畏れ多い気持ちを抱くようだったし、そうでなければ嫉妬や猜疑といった負の感情に満ちた目を向ける。


 けれども彼はそのどちらでもなかった。


 恐らくあたしが聖乙女であろうと、ただの魔法女であろうと、彼はそのまま受け止める。なんだかそんな感じがして、あたしは奇妙な気分に陥った。


「聖乙女様」

「どうしました?」

「被害者の方たちの拘束魔法はすべて解きました。けれども表がどうなっているか――」

「わかりました。ご苦労様です。万が一に備えて貴女たちは被害者の方たちのそばで待機をして。私が様子を見てきます」

「承知しました。どうかお気をつけて」


 ハッキリ言って、あたしは油断していた。


 あたしの法力が国一番だという事実が、あたしを傲慢にさせていた。


 つまり、あたしが聖乙女と知って魔法攻撃なんてしてこないだろうと、高を括っていたのだ。


 舞台の脇に設けられた階段をのぼり、緞帳どんちょうから騒々しいホール内を見た。


 騎士団の大捕り物は続いていたが、逃げまどう客人たちの姿はもうそれほど多くはない。この様子ならあと一〇分もあれば、おおかた決着が見られるだろう。


 あたしはそう結論づけて、くるりときびすを返す。


 舞台脇の階段には、あたしに着いてきた魔法女のひとりが立っていた。魔法杖を握りしめる姿はどこか悲壮感があり、その平凡な瞳はなにかに怯えているようだった。


 あたしは彼女に心配の声をかけようとした。


 けれども――。


「あ、あんた! どういうことだ?! 話と違うじゃねえか!」


 舞台に飛び乗った中年の男が、あたしを見つけてそんな言葉を口走る。


 あたしはそいつがなにを言っているのかさっぱりわからなかった。


 けれどもすぐに気づく。


 男はあたしの肩越しに――うしろにいる魔法女に言ったのだ。


 頭だけ振り返ったあたしの視界に、こちらへ杖を向ける魔法女の姿が目に入る。魔法杖の先はあたしに向いている。あたしのうしろにいる違法オークションの関係者らしき男ではなく、あたしに。


 ヤバイ。


 しまった。


 やられる。


 そんな単語が脳裏をすさまじい勢いで駆けて行った。


 しかし杖の先から魔法が放たれる、まさにその瞬間、あたしを害そうとした魔法女の体が大きくそれた。同時に、放たれた拘束魔法は見当違いの方向へと飛んで行く。


 魔法女の体が、つるつるぴかぴかの舞台の床にドッと倒れ込んだ。


 そして代わりに先ほどまで魔法女が立っていた場所には、彼がいた。黒い髪に黒い瞳、茶褐色の肌、気高い態度――。あたしが声をかけた犬だか狼だかの獣人の男。


 どうやら彼が隙だらけの魔法女の背中にタックルをかまして倒したらしい。


 あたしは素早く聖杖を裏切り者の魔法女に向け、拘束魔法を放つ。続いてあたしの後ろでは中年男が騎士に床へと引き倒された。


 獣人の彼はそれを見届けたあと、切れ長の目をゆっくりとあたしに向けた。

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