(22)

 さっと恰好よく飛び出られたわけではなかったものの、公道に出たあたしに反応して、周囲にいた騎士やら魔法女やらがワラワラと現場に集まってくる。


 ヘクターの仲間だと誤認されないように、あたしは魔法杖をフリルがいっぱいのドレスの袖から取り出し、彼へとその切っ先を向ける。


 それでどうやら周囲の騎士や魔法女は、あたしが私服で護衛に就いていた魔法女だとわかったのだろう。


 またたく間にツェーザル殿下とアンナ・ヒイラギが乗る車――そして、ヘクターが平然と立っている車を取り囲む包囲網が形成される。


 しかしヘクターはこれだけの人数に包囲されても、へっちゃらな顔だ。


 当たり前か。やつは移動魔法の巧者である。恐らく、このていどの包囲網をくぐり抜けることなど朝飯前なのだろう。


 でなければ、こんな往来ド真ん中、それもツェーザル殿下とアンナ・ヒイラギの真ん前に現れるなどという暴挙は起こせないだろう。


 沿道に立つ民衆は頭が急にカラフルになって動物の耳までもが生えて大騒ぎだった。


 けれども徐々に事態を把握した者も増えてきて、視線が突如として現れた謎の男――ヘクターへと集まってくるのがわかる。


 テオもあたしが飛び出してからすぐに公道へと駆け出てきた。


 けれども残念ながら、魔女を相手に法力を使えないテオができることは限られている。


「テオ、ヘクターが殿下になにかしようとしたら……かばえる?」


 獣人であるテオの身のこなしは、ここにいるだれよりも身軽だろう。となれば殿下をかばって連れて逃げるには、彼はうってつけと言えた。


 普通だったら即答が難しいような場面ではあったが、テオは少しもあたしを疑うような目を見せずに答える。


「それくらい。お安い御用だ」

「さすが」


 剣の先やら槍の穂先やら杖の先やらを向けられても、ヘクターは相変わらず涼しい顔だ。


 しかしヘクターが片手にぶら下げている麻縄でぐるぐる巻きに緊縛されている男は、顔色を変えてどうにかこうにか彼の手から逃れようと暴れている。


 ヘクターは顔色を変えずに緊縛された男の脇腹に蹴りを入れた。鈍い音がして、それからヘクターの口が少し動いたが、ここからではなにを言っているのかさっぱりだ。


 その間にもわたしたちはじりじりと包囲の輪を縮めて行く。


 しかし、輪を小さくしていくのもヘクターへの攻撃を考えると、やりすぎは禁物だ。同士討ちなんてことになったら、笑えない。


 特にヘクターは移動魔法を使うのだ。移動魔法を発動させるまでの時間がどれほどかは不明だが、それを少なく見積もっても悪い結果にはならないだろう。


「気をつけて! あいつは移動魔法の使い手よ」


 魔法杖を軽く握り直して車のヘリに立つヘクターを見上げる。


 ちらりと未だ車から降りていない――というか、この状況では降りられないツェーザル殿下とアンナ・ヒイラギを見た。


 ツェーザル殿下は右腕でアンナ・ヒイラギの前を遮り、彼女をかばうような姿勢をしている。


 一方のアンナ・ヒイラギは恐怖に顔を引きつらせているばかりで、聖杖せいじょうを構えるなんてことすらしていなかった。


 そもそも、逆だ。普通は法力を使える聖乙女がツェーザル殿下を守るべき場面だ。


 けれども悲しいかな、アンナ・ヒイラギは法力をまともに使うことができない。


 ヘクターの超至近距離というイイ場所を占有していながら、彼女は拘束魔法を打つことなどできないのだ。


 もしかしたら、ヘクターはそれをわかっていてこんな大胆な行動に出たのかもしれない。


 もしそうだとしたら……ヘクターはアンナ・ヒイラギが無力な女だという情報をどこで得たのだろうか?


 大神殿の聖乙女による傷病人救済のくじ引きがここしばらく行われていないことから察したのかもしれないし――どこかから、情報が漏れている可能性も大いにあり得た。


 しかし今はそんなことを考えている暇はないし、それはあたしの仕事でもなかった。


「やあペネロペ。久しぶり」

「会いたくなんてなかったわ」

「そうつれないことを言わないで」


 ヘクターは片手にぶら下げた男をぶらぶらと揺らしつつ、しかし成人男性ひとりの体重を片腕で支えているとは思えないような涼しい顔をして、あたしに向かって空いているもう片方の手を軽く上げた。


 取り囲む騎士や魔法女がちらちらとあたしを見やるのがわかる。沿道に立つ民衆の視線は、もっとあけすけだった。


「今日はずいぶんと娘らしいドレスだね。似合っているよ」

「それはどうも。でも、あなたに褒められても毛の先ほどもうれしくはないわ」

「ひどいなあ……」

「……それで、今日の用向きはなんなのかしら? まさか、その片手にぶら下げてる男を献上するためにきたってだけじゃないでしょう?」

「そのまさかだよ。こいつはから新たな聖乙女様への献上品というわけさ」

「その彼はなんなの?」

犯罪者テロリスト。反王室組織の鉄砲玉。今日のパレードをめちゃくちゃにするために、手投げ弾を用意していたんだけど……無粋だからやめさせた。お祭り騒ぎに水を差すような真似は無粋としか言えない。そうだろう?」


 そうしてヘクターはその糸目からのぞく黄味がかったグリーンの瞳を手元に向ける。


 ヘクターがテロリストだと断じた若い男は、信じられないものを見るような目で彼を見上げる。


「……じゃあ、髪の毛がカラフルになったり、動物の耳が生えたりしたアレは?」

「お祭りなんだから、これくらいいだろう? わざわざ犯罪者を捕らえて連れてきてあげたんだから、魔女の存在を喧伝することと相殺ということで」


 テロリストが反王室組織に所属していたとすれば、狙いはツェーザル殿下なのだろう。もしかしたらその婚約者とも噂されるアンナ・ヒイラギも標的に入っているかもしれない。


 ヘクターはテロリストが「手投げ弾を用意していた」と語っていた。それが本当ならば、運が悪ければ殿下とアンナ・ヒイラギは死んでいたかもしれない。


 それを未然に防いだことを、魔女の存在を喧伝することで相殺できるのかは、よくわからなかった。


 どう考えても暗殺を未然に防いでみせることのほうが、厄介で重大だろう。


 ……つまり、ヘクターたち魔女は王室側に恩を売りたいと考えている?


 それとも非合法集団である魔女らしい、単なる気まぐれ?


 それらはいくら考えても正しい答えは出ないし、そもそもヘクターに問いただしたとしても答えてくれないような気がした。


「ちなみに、僕らとこの犯罪者くんとはなんの関係もないよ」

「そんなセリフ、信じられると思う?」


 事前情報では反王室組織に魔女がかかわっているというものもあった。その確度がどれほどのものかはわからない。


 しかし偏見もあるが、魔女であれば平気で仲間のフリをして近づいて、相手を売り飛ばすことくらいはしそうに思えてしまう。


 特にこの、終始一貫してこちらを面白がるような微笑を浮かべているヘクターならば。


「君は信じてくれるんじゃないかな?」

「どこからそんな自信がくるの」

「僕は僕の感性を信じる。それだけさ。……それじゃあここらでおいとましようかな。――そこの奴隷くん!」


 ヘクターは突然そう言うや、テロリストだと言う男をぶら下げていた片腕を、大きくうしろへと引く。


 そのまま勢いに任せて、テロリストの男を放り投げた。縄でふん縛られた男は、まっすぐにテオへと向かう。


 かなりの勢いがついたテロリストの男を、テオは受け止めざるを得ない形になる。


 避けてもよかったし、獣人であるテオであればそれくらいはできた。


 けれどものちのちのことを考えて、テロリストらしい男が頭を打って死んでしまったりしては困ると思ったのかもしれない。


 テオは男を受け止めたものの、すぐに粗雑に男をレンガ敷きの公道に放り投げるようにして横たわらせた。


 あたしはヘクターが男を放り投げた瞬間に拘束魔法を打ったが、しかしそれは当然のようにかわされてしまう。


 移動魔法を使ったヘクターは、車が止まっていたすぐ近くの四階建てのアパートの屋根に降り立っていた。


「それじゃあ犯罪者くんのことはよろしく! あと犯罪者くんの仲間は六番街にある『ネルケ』っていうアパートの三〇二号室に集めておいたからね! お土産にどうぞ!」


 あたしはもう一度、拘束魔法をヘクターの周囲をかこむようにして素早く三回打ったが、彼は移動魔法で煙のように消え去ったので、そのどれもが外れた。


 高層アパートの屋根の上などにのぼられては、さすがのテオにもどうしようもない。それは、他の騎士にとっても同じことだった。


 唯一、一部の魔法女だけはヘクターを追って移動魔法を使ったが、その速度は彼の足元にも及ばない。


 こちらが移動魔法の準備をしているあいだにも、きっとヘクターは二度三度と移動魔法を使って、すでに逃亡を完了させているに違いなかった。


 ツェーザル殿下とアンナ・ヒイラギは無事だったが、警備を担当した騎士団や魔法女たちの面目は丸つぶれである。


 あたしは中空に向けていた魔法杖をゆっくりとおろして、深いため息をついた。

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