(17)
それにしてもシュテファーニエの頼み――あたしが断るのは立場的に難しい――にはおどろいた。
聖乙女となったアンナ・ヒイラギやツェーザル殿下にあたしを近づけようなんて、意外である。
てっきり聖乙女の座を降りて――降ろされて、追い立てられるように大神殿を出されたのは、あたしの性格的に彼女らになにかをすると思われたからだと邪推していたんだけれども。
そしてそこまで考えて、あたしは心境に変化が訪れていたことに気づく。
聖乙女を辞めさせられた日には、あれだけ荒れてテオにも醜態を見せたというのに、今はどうだろう。
凪いでいる……というほどではないにせよ、アンナ・ヒイラギの話を聞かされても、意外と落ち着いていられた。
いや、以前のあたしだって、いくらなんでもシュテファーニエの前で不満を爆発させるほど、我慢ができない性格ではなかったけれども。
いざ魔法女としての生活を再び始めてみて、まあ隠遁生活も悪くはないかなと思えたのかもしれない。
慎ましやかに暮らすことは苦ではないのだ。大神殿にいたころは、もっと質素な生活をさせられていたのだし。
聖乙女になって、急に祭り上げられたような感覚にはなったものの、贅沢ひとつしたことがないのである。
まあ、いくら考えても聖乙女に返り咲くのは現実的ではないから――というのもあるとは思う。
今までの、長きに渡る歴史を紐解いてみても、そんな例はありもしないのだと、神官のひとりから釘を刺されたのだ。
もちろん、ハンスの「噂」が事実であれば、あたしを担ぎ出して「新例」を作り出そうとしている輩が、水面下で動いていないとも言い切れないのだが。
けれどもあたしの性格的に、仮に心の底から聖乙女に返り咲きたいとは思っていても、そういった連中に担がれるのをヨシとするかは未知数である。
いざそうなったときに、あたしはひねくれた答えを出して突っぱねるのか、あるいは渡りに船と手を組むのか……。
自分でも、自分がよくわからない。
ただわかっているのは、あたしは聖乙女の座を追われたときに、なにもかも失ってしまったような気になったけれども、それは違う、ということだろうか。
あたしには相変わらず法力があって魔法が使えて、薬の知識もあって読み書きもできる。
それになにより――。
「あの女は元気にしていたか? まあ、くたばっているところは想像できないが」
「ずいぶんな言い草ね……一応、あたしの恩師にあたる人なのに」
「オレにとっては別に恩師でもなんでもないからな」
「そうだけど。……まあ確かにシュテファーニエは殺しても死ななそうな迫力の持ち主だけれども……」
いつもの歯に衣着せぬ物言いでシュテファーニエを評するテオには、さすがのあたしもたじたじだ。
別にテオとシュテファーニエのあいだには確執なんてないとは思う。
たしかにテオはあたしに付いて回っていたから、大神殿の大神官を務めるシュテファーニエとも面識はある。
けれども言葉を交わしているところは見たことがない。
となれば単純に相性が悪いのかもしれなかった。
当のシュテファーニエにも、つい先ほどまでの打ち合わせの中で、ちょろっとテオについて聞かれたし。
「今もまだあの獣人の奴隷を置いているの?」
「ええ、まあ」
「そう」
「なにか問題でもありましたか?」
「いいえ。思ったよりも長く使っているのねと思っただけよ。それでここの公道なのだけれど――」
テオに関する会話はそれで終わり。
さしものあたしも、あの鉄仮面の下の本音までは読み取れなかった。
なんとなく言葉に含みがあるような気はするのだが……果たして。
「テオはさ、当たり前のこと聞くけど……奴隷辞めたいよね?」
「愚問だな」
「だよね」
「急にどうした」
「いや……甲斐甲斐しくあたしの世話なんかしてくれちゃってるからさ、なんか……勘違いしそうになる」
そこまで言って、あたしは「しまった」と思った。
これではテオに気があるようだし、なによりあたしらしくない弱音に聞こえる。
テオもそれを感じ取ったのか、ちょっとおどろいたようにわずかに目を丸くして、犬耳をピクッと動かした。
「あー……今のナシ! あたしらしくないっ!」
「別に悪感情でなければいくらでも勘違いしてくれて構わないんだが」
「……えー? それであたしが勘違いして『そんなに好きなら夜の相手をしろ』とか迫ってきたらどうするの?」
「構わない。――いや、歓迎だ」
今度こそあたしの顔は気恥ずかしさで赤く染まったに違いない。
「ちょっと、そういうのよくないよ」
「なんでだ?」
「そういう言い方してると、他の女の子が勘違いしちゃうって」
「他の女にはこんなことは言わない。安心しろ」
「いや、安心できないって!?」
なんとなくいつもはなにも感じないテオの顔に、「男」みたいなものを幻視してしまったあたしは、彼から思いっきり顔をそむけてしまう。
テオは恐らくいつも通りの涼しい顔をしているのだろう。それを思うと、ちょっぴり悔しい気持ちになる。
「……主人に対して好感情を持つ奴隷はそんなに珍しいか?」
「そりゃあね」
「しかし、地の果てまでも探しても、たったオレひとりだけという話でもないだろう」
「まあそりゃ……可能性の話をしたら、そうだろうけど……」
普通は自らのあらゆる権利を所有し、自由を奪ってこき使う奴隷の主人など、悪感情しか抱かないだろう。
テオの場合は借金を返済するために望んで奴隷になったとは言え、その「望んで」の中には「致し方なしに」という事情が含まれている。
たしかにあたしは奴隷の主人としては優しい方なんだろう。
テオに意地の悪い仕事を振ったりはしないし、ましてや鞭を振るって言い聞かせるようなこともしたことがないのだから。
けれども――テオがもともとの巧者だからという理由はあれど――魔獣との戦闘に参加させたりはしているわけで……。
あたしは知らず知らずのうちに難しい顔をしていたようだ。テオが「眉間にシワが寄っている」と自分の眉の間を指差した。
「だれのせいだと……」
「オレのせいなのか? うれしいな」
「……やっぱ、あなたってヘン!」
うん、テオは変だ。変人だからあたしを好いているような言動を軽率に取れるのだ。
あたしはさっさとそう結論づけて、わざとらしく話題を変えた。
「……そう。それで、明日もまた大神殿に行くことになるわけだけど」
「そういえば帰りに約束していたな。あんたの後輩だったか」
「後輩のイルマね。あたしと同じ聖乙女の候補だった子で、今は大神殿で魔法女の仕事をしている」
「ということはライバルだったわけか」
「まあそういうことになるわね。でもそれなりに仲良くはしていたわよ。表向きは」
「じゃあ仲が悪いのか?」
「イルマはあたしの陰口叩きまくってたからねえ。筒抜けだったし、別にあたしからしたらどうでもいい陰口だったけれど」
そんな後輩のイルマが、シュテファーニエとの打ち合わせを終えたあたしを捕まえて、相談したいことがあると告げてきたのだ。
無碍に断るのも今後に響くかもしれないと思ったのは半分。
大神殿内の噂くらいでもなにかしら耳に入れられるかもという打算半分。
つまり、あたしもほとんどロクでもない人間だと言うことだ。
イルマはイルマで、相談したいことがあるとは言っていたものの、本当に「相談したいこと」が存在しているかは怪しいと思っている。
さすがに彼女があたしを罠に嵌めるためにおびき出しにやってきた……とまでは考えてはいないが、一応、覚悟はして行ったほうがいいかもしれない。
翌日、あたしはそれなりに腹を括ってイルマに会いに行くことにしたのだった。
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