(20)

「テオってアウレリアの出身だったのね」

「アウレリアは獣人ばかりだから、ことさら意外というほどでもないだろう」

「まあね」


 アウレリアの商会に勤めているという、テオの昔馴染み・ヨッヘムと出会ったその日の夜。あたしはテオに用意されたホットミルクを飲みつつ、ローゼンハイン邸の客室に備えつけられた白いカウチでのんびりとしていた。


 テオはあたしにホットミルクの入ったマグカップを渡すと、カウチの斜め横にスツールを置いてそこにドカッと腰を下ろした。


 テオが異国人だという事実には、彼が言うようにことさら特別な感情は湧かなかった。この国には昔から獣人が少なかったこともあって、薄々、そうではないかなとは思っていたし。


 テオのことに関心がないわけじゃないけれど、根掘り葉掘り過去をほじくり返すようなマネはしたくなかったから、今までにテオの過去にまつわるパーソナルな部分にはあまり踏み入ったことはない。


 ただ、パーソナルな部分でも、たとえばテオの好物はスモモであるとか、そういうことくらいは知っているし、聞いたことがある。


 しかしテオの過去について知っていることと言えば、妹さんの治療費が嵩んで奴隷身分になったということくらいか。


 テオがどこで生まれて、どう育って、どんな友達がいたかなんてことは、あたしはまるで知らない。知ったとしても、どうということはないという最大の理由があるからだ。


 あたしの知るテオは、あの違法な奴隷オークションで出会ったときから始まって、それでじゅうぶんじゃないかと思っている。


 けれどもまあ、それはそれとしてテオのパーソナルな部分をまったく知りたくない、というわけではないのだけれども――。


「借金の肩代わりを申し出てくれるなんて、いい友人ね」

「お人好しすぎて心配になるがな」

「……解放奴隷になりたいんでしょ? フイにしてよかったの?」

「……まあたしかに、あいつに金を借りるだけ借りて行方をくらます手もあるが――」

「鬼畜」

「する気はない。もののたとえだ」

「わかってるわよ」

「……しかし、食いっぱぐれないという点においては、あんたの奴隷でいるのはラクだな」

「向上心のない答え。……でも、今のあたしも同じ気分だから、説教できないわね」


 神殿の組織図を出るという選択を取らず、魔法女として飼い殺される道を選んだあたしには、あたしの奴隷でいるほうがラクだと――どこまで本気かはわからないが――告げたテオを非難する権利はないだろう。


 そういえばテオは、あたしのこの選択をどう思っているだろうか?


 どこか、高潔な印象もあるテオのことだから、もしかしたら内心ではあたしのことを意気地のないやつだと思っているかもしれない。


 そう、考えたのだが。


「似た者同士だな」


 あたしを責めるでもなく、珍しくふわりと柔らかな――でもどこかニヒルな――笑みを浮かべて、テオはそう言った。


 それだけで、あたしはテオの気持ちをわかった気になれた。


 テオがあたしのことを内心で軽蔑している姿なんて想像は、結局想像にすぎないのだ。


 なんとなくテオならば、解放奴隷になったあとも、あたしが乞えば従者としてそばにいてくれそうな気がした。


 それは決して都合のいい空想だとか、自惚れではないハズだ。


 いつだって――そう、あたしが聖乙女でなくなったって、寄り添ってくれたテオだから、きっと……。


 その日はいつになく心地よく眠れたのは、きっと気のせいではないだろう。




 聖乙女を披露するパレードまでまだ日に余裕のあるうちに、あたしたちは王都を散策することにした。


 といってもあたしの脚はずっと歩き続けることには向いていない。休み休みしつつ、久方ぶりの王都のあちこちをテオと歩いて回る。


 なにもなつかしさに浸るために散策をしようと思ったのではない。


 友人にして逗留先の邸宅の主であるハンスから、気になる噂のいくつかを仕入れていたため、王都を歩いて人々の噂話に耳を傾けようという気になったのだ。


 あたしの思った通り、市場やら屋台街やらを通れば、それだけで勝手に噂のほうからあたしの耳に飛び込んでくる。


 王都に住まう人々にとって、今最高にホットな噂話は、聖乙女に関するものだった。


「偽の聖乙女?」


 邸宅に戻ってきていたハンスとゆっくり話す機会があった際、彼から聞かされたのはそんな耳を疑うような言葉だった。


「あれ? 聞いたことはない?」

「ぜんぜん」

「まあ神殿にとってはどうでもいい存在なのかもしれないけどね」

「そうかしら?」


 それなりに民衆への体面というものを気にせざるを得ない神殿が、偽聖乙女の存在を無視するというのは、あまりあり得ない話のように思えた。


 となれば、神殿内部でも揉めているのかもしれない。


 当たり前のように、神殿という組織は一枚岩ではない。


 現在の聖乙女であるアンナ・ヒイラギを追い落としたい一派が、偽の聖乙女の存在をことさら糾弾しないことで、彼女の地位を脅かしている――というのは、ありえない空想とは言い切れないだろう。


 そういう気持ちを込めてハンスを見れば、彼は肩をすくめて「藪をつついて蛇を出したくはないんだよ」と笑った。


 もしかしたらハンスは反アンナ派に神殿でも存在感のあるシュテファーニエがいることを、既につかんでいるのかもしれない。


 神官となった時点で俗世にいたころの縁とは切り離されるが、それは建前、表向きの話。


 未だシュテファーニエの生家である公爵家は、彼女を通じて神殿にある程度の影響力を持っているというのは、有名な話だった。


 つまり貴族社会に生きるハンスからすると、シュテファーニエは敵に回したくない相手に違いない。


 ……あたしからすると、仮にシュテファーニエが元公爵家令嬢というバックグラウンドを持たなくとも、彼女を敵にしたくはないが。


「それで、偽の聖乙女は神出鬼没でね。突然現れては辻で過激な説法を繰り返しているようなんだ」

「突然現れる……」

「正体は魔女じゃないかという噂もあるね」


 神出鬼没、突然現れる……。


 そんな特徴を聞けば、イヤでも思い出すのは街の子供たちを懐柔していた魔女のヘクターの顔だ。


 糸目の割には妙に愛嬌のある顔立ちに、ふわふわの茶髪を風に揺らす姿が思い起こされる。


 ヘクターはあたしの魔法を射出する速度を上回る、移動魔法の使い手だった。優れているのは速度だけではなく、まるで煙のようにあたしの前から完全に姿を消せたことを考えると、その移動魔法は長距離でも使えることは明らかだ。


 シュテファーニエと出会ったときに改めてヘクターの件は報告しておいたが、彼女の反応はやはり鉄のようだった。


 神殿の見解としては、魔女はときたま現れる災厄のようなもので、彼ら彼女らが組織化しているなどとは認めていないのだ。


 ……現実には魔女の谷、と呼ばれる本拠地らしきものがあるらしい、というのは、一部の魔法女には知られている。


「偽の聖乙女は傷病人救済を掲げて次々と奇跡を起こしているらしいけれど……」

「仕込みじゃないの?」

「まあ、普通に考えればそうだろうね」


 とは言ったが、もし偽の聖乙女が魔女であれば法力を有しているのだから、本物の聖乙女や魔法女のように魔素治療はできるだろう。


 ヘクタークラスの法力を持つ魔女がごろごろいるとは考えたくはないが、もし彼自身が偽の聖乙女の活動に関わっているとすれば、魔素治療ができる点はことさらおかしくはない。


「神殿――特に現聖乙女派にとって頭が痛いのは、偽の聖乙女の存在もそうだけれど、流言飛語の類いだろうね」

「それも偽聖乙女の一団が流しているのかしら」

「それがそうとも言い切れない。……今の聖乙女に民衆は不信感を抱いている。そこから自然発生したものもあるだろうね。前にも言ったけれど、前聖乙女からツェーザル殿下を寝取ったとか、見目麗しい男性を侍らせて贅沢三昧をしているとか、渡り人だから……つまり同国人ではないから傷病人救済を嫌がっているとかそういうもの」

「貧困な発想だわ」

「バッサリだね」

「だってそうじゃない」


 しかしあたしの婚約者であった第七王子のツェーザル殿下は寝取られたわけではないが、取られたことはたしかだ。王室は、現聖乙女にして「幸運の運び手」と言われる渡り人のアンナ・ヒイラギとの婚姻を画策している。


 その他は言わずもがな。根拠のない噂に過ぎない。


 いくら渡り人という特別な存在であるとはいえ、アンナ・ヒイラギは神殿預かりの身だ。贅沢三昧なんて神殿が許すハズがないし、傷病人救済を拒否するなんて神殿の威信にかかわることを許容するわけがなかった。


 けれどもそのあたりの事情は民衆には伝わっていないのだろう。


 アンナ・ヒイラギが未だに魔法の基本すら使えていないという最大の事実を、神殿側も王室側も、民衆に対して伏せているからだ。


 こればかりはどうしようもない。あたしにできることはせいぜいアンナ・ヒイラギが早く法力を使えるよう、天に祈りをささげることくらいか。


 神殿や王室には同情心はわかない。珍しい渡り人に浮かれて、先の見通しが甘かった。そう思うのは、あたしが少なからず神殿や王室に含みを持っているから、というわけでもないだろう。


 いずれにせよ――。


「アンナ・ヒイラギが聖乙女としてモノにならない限りは、解決しないんじゃないかしら?」

「同感だね」


 あるいは、さっさとアンナ・ヒイラギに見切りをつけて新たな聖乙女を据えるか……。


 いずれにせよ神殿にとっては頭の痛い問題だろうが、身から出た錆だ。どうにかこうにかしてもらうしかないだろう。


 ちらりとあたしの脳裏をよぎるのは、あたしが聖乙女に返り咲くという前例のない空想。


 けれどもすぐに「ありえない」と言い切れる。この「ありえない」には色んな意味が込められていた。


 少なくとも魔法女として神殿には奉仕するが、聖乙女として奉仕することは二度とない。


 そう言い切れるだけの消化不良の怨念が、あたしの中には未だ渦巻いていた。

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