(27)
「アンナ・ヒイラギってそんなに魅力があるのかしら?」
魔素が突出する危険な森――黒の森へと向かう道すがらの馬車の中で、あたしは思わずそんなつぶやきをこぼす。
女から見ても「あ、男にモテるわ」と理解できる女がいるのはわかる。
けれども、アンナ・ヒイラギはハッキリ言って平々凡々などこにでもいる村娘と大差がない。
そこらの村娘と違うのは、アンナ・ヒイラギがあたしをしのぐ法力の持ち主で、現聖乙女であることくらいか。
女も惚れるような
けれどもまあ、ツェーザル殿下にだって女性の好み、というものはあるのだろう。
アンナ・ヒイラギは好みだが、あたしは別に好みではなかった。それだけの話なのかもしれない。
「あんたのほうが魅力的だがな。オレにとっては」
珍しく同じ車の中に乗っているテオは、あたしのそんなつぶやきを拾って言う。
「またそういうことをサラッと言う……」
「思ったことは口にしなければ伝わらないんでな」
テオの言葉にあたしはちょっとドキッとする。ときめきではなく、図星を突かれたときの「ドキッ」だった。
あたしはテオのことを明らかに好いている自分に気づいていたが、それを素直に伝えるのを気恥ずかしく思う自分にも気づいていた。
――でも、たしかに言わなければ伝わらないわよね。だけど今はそういうときじゃないし……。もう少し、身の回りが落ち着いてから気持ちを伝えたい……。
先延ばしにしていることには気づきつつも、たしかに今は気持ちを伝えるような状況ではない。
テオが車に同乗しているのは、聖乙女と偽聖乙女との勝負にあたしがかかわっていることをあまり喧伝したくないから……らしい。
見る人が見ればテオがあたしが所有する奴隷だというのはすぐにわかる。この国で旅装ではない獣人は珍しいのだから。
そしてあたしは前の聖乙女で、その仕事をしているあいだはテオを連れ回していたから、わかる人にはわかるのだろう。
勝負を手伝えとは言われたものの、当然ながらあたしは浄化には参加しない。というか、できない。そんなことをしたら勝負にならなくなってしまう。
あたしたちの役目は浄化しているあいだは無防備になる上、そもそも攻撃魔法がマトモに使えないアンナ・ヒイラギを護衛すること。
ちなみに他にも護衛がつくのだが、それはアンナ・ヒイラギの教育係という厄介な仕事を押しつけられたあたしの後輩・イルマであった。
どこまでもアンナ・ヒイラギのお守りをしなければならない運命には、ご苦労様としか言えない。
そしてこの勝負の見届け人は神殿からはシュテファーニエ、王室からはツェーザル殿下が選出されている。
アンナ・ヒイラギからすれば――一応は――身内しかいない状況は、あたしからすると首をかしげざるを得ない。
見届け人というものは、勝負をする両者の、中立な立場の人間が務めるものではないのだろうか?
その点はテオも情報に敏いハンスも、あたしと同じように首をかしげていた。
しかし偽聖乙女の側がそれでいいと了承したのでは、あたしが疑問を呈する理由は一切ないわけで。
もちろんそういうわけであるから、なにかしらの罠は最初から疑っている。
たとえば偽聖乙女が捨て身をもってアンナ・ヒイラギを亡き者にしてしまおうだとか考えているのだとすれば、それは阻止せねばなるまい。
様々な可能性を検討しているうちに、あたしはなんとなく頭が痛くなってきた。
聖乙女を辞めさせられて、魔法女として田舎で悠々自適の年金生活を送るハズが、なぜか聖乙女の勝負の護衛なんてものを引き受けてしまっている。
案件の背後にシュテファーニエがいるのでは断れないも同然であるから、仕方がないと言えば仕方がないのだが……。
人差し指をコメカミに当ててぐりぐりと動かすあたしを見て、テオもさすがに心配げな目を向ける。
「オレは別にあの女がどうなろうと知ったことではないし、オレはあんたを守るが……まあ一応気をつけておいてくれ」
「わかってるわ。油断はしない。いつだってそうよ」
そんな会話をしたところで、馬車の動きがゆるゆると止まる。
いよいよ仕事の始まりだ。
しかしアンナ・ヒイラギのお守りなんかで一日を潰すのだと思うと、やはりため息は禁じ得ないのであった。
「勝負の内容は単純です。黒の森の中心部を相手に先んじて浄化した方の勝ちとします。――よろしいですね?」
黒の森を前にして、相変わらずの鉄仮面のまま告げるシュテファーニエに、アンナ・ヒイラギは緊張した面持ちでうなずく。
一方の偽聖乙女――アンネリーゼも自信満々の笑みを浮かべて優雅にうなずいた。
――アンネリーゼって名前は、絶対アンナにかぶせてつけたんだろうな……。
あたしはそんなことを思いつつアンネリーゼを見る。偽の聖乙女の噂は色々と聞いていたが、本人を見るのは初めてだった。
恐らく、民衆が想像するだろう「聖乙女」という言葉にぴったりの女だ。
つまり見るからに清楚を体現したかのような、おっとりとした笑顔に、可憐な容姿。腕も脚もほっそりとしていて優雅だ。
もしこの女がアンナ・ヒイラギのように突然現れて聖乙女の座をかっさらっていったとしたら――。
やはりムカつくが、自信に満ちあふれた美女だということを考えると、自分に自信がなさげで平凡な女であるアンナ・ヒイラギよりも、納得感は強いような気がする。
ムカつくものは、やはりムカつくが。
「魔獣への攻撃は許可しますが、勝負する相手への攻撃は許可しません。相手への攻撃が確認された時点で、攻撃した側は勝負を下りたものとみなします」
シュテファーニエの近くに立つツェーザル殿下は、いつも通り麗しい容姿であったが、その顔はどこか憂い気であった。
愛するアンナ・ヒイラギがこれから黒の森へ立ち入るのだ。まあ、心配なんだろう。
――あたしが
そんな思いが脳裏をよぎるも、これではまるでツェーザル殿下に気があるみたいだと思って、鳥肌が立った。
ツェーザル殿下のことは今は忘れよう。なにはともあれ、アンナ・ヒイラギの護衛である。
テオが言ったように、あたしだってアンナ・ヒイラギが怪我をしようが、最悪死んでしまおうがハッキリ言ってどうでもいい。
どうでもいいが、仕事は仕事だ。引き受けたのであればしっかりとこなさなければ、あたしの名に傷がつく。
「――それでは、始めましょう」
シュテファーニエの言葉に、あたしはアンナ・ヒイラギを見た。
聖乙女だけが持つことを許された大きな
にわかに不安になる。
ツェーザル殿下に依頼されたときも、大神殿へと赴いてシュテファーニエと打ち合わせをしたときも、アンナ・ヒイラギは「場の浄化くらいならできる」と聞いていたが……本当だろうか?
ガチガチに緊張しているアンナ・ヒイラギを見て不安に思っているのは、同じく護衛についているあたしの後輩のイルマもそうらしい。
明らかに「失敗すんなよ……」というような目でアンナ・ヒイラギを見ている。
気持ちはわかるが、今はプレッシャーをかけても仕方がない。
ここでアンナ・ヒイラギが負けるようなことにでもなれば、神殿の威信にかかわる。
あたしをしのぐ法力を持つアンナ・ヒイラギは、普通に考えて偽の聖乙女との浄化勝負で負けるハズはないのだが……。
それにしてもこの護衛の人選はシュテファーニエが決めたのだろうか?
だとしたらどう考えてもアンナ・ヒイラギにはプレッシャーだろう。
前の聖乙女に、前の聖乙女が所有する奴隷。それから教育係の魔法女。
イルマがあたしに愚痴りまくっていた姿を思い出すと、彼女とアンナ・ヒイラギがうまくいっているのかどうかも怪しいところだ。
処世術に長けたイルマのことだから、アンナ・ヒイラギにはいい顔しか見せていない可能性もあるが。
……なんにせよ、アンナ・ヒイラギにちょっと同情してしまうくらいには、この人選は酷だなと思ってしまう。
かと言ってこれ以上の人選も思い浮かばないのはたしかだ。
アンナ・ヒイラギを護衛するという点で言えば、これ以上ないほどいいパーティであることには違いない。
イルマも聖乙女の候補に上がるくらいの法力の持ち主で、今も大神殿付きの魔法女をしているのだから。
そしてあたしとテオの実力は言わずもがな。
偽聖乙女ももちろん護衛役を連れていた。しかし三人の護衛役はいずれもローブを目深にかぶっていて、顔はよく見えなかった。
しかし獣人はいないようではある。となれば仮に接近戦に持ち込まれても、瞬発力と膂力に優れたテオが上手いことさばいてくれるだろう。
「……ぐずぐずしてないで、行くわよ」
「――は、はい!」
緊張した面持ちのまま黒の森を見上げていたアンナ・ヒイラギに声をかける。
正直に言ってこの先が思いやられるが……とにかく黒の森へ入らないわけにはいかないのだ。
「とにかくあなたは浄化に集中して。魔獣は全部あたしたちがどうにかするから」
「はい! よろしくおねがいします!」
アンナ・ヒイラギの声は緊張か、恐怖か、あるいは両方からか、少し震えていた。声量も以前会ったときより妙に大きい。
……やはり不安だ。
不安だが、アンナ・ヒイラギはやらなければならないのだ。
あたしが護衛の仕事を引き受けたからアンナ・ヒイラギを守らなければならないように、彼女も聖乙女の仕事を引き受けたのだから、この浄化勝負に勝たなければならない。
ちらりとテオとイルマを見る。テオは相変わらず落ち着いているが、イルマはやはり不安げにあたしを見ていた。
テオはいつも通りで大丈夫だろう。
イルマは黒の森へ立ち入ったことはないが、まああたしに次ぐ法力の持ち主だ。ヘマはしないだろう。
「……それじゃ、とにかく頑張りましょう」
鼓舞になっているのかはさっぱりわからなかったが、あたしは取り繕うようにしてそう言った。
……やはり不安はぬぐえないが、やるしかないのだ。
あたしたちの向かう先は、「頑張る」しかないのである。
アンナ・ヒイラギがまたやたらに大きな声量で「は、はい!」と言った。
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