(14)

「それじゃあペネロペ。ペネロペは魔獣はどうして生まれるかは知っているよね?」

「魔素を体内に取り込みすぎるとなる」

「そう。魔女も同じだよ。魔獣と同じ要領で魔女は出来あがる。でも全員じゃない。魔女への変容に大部分は失敗し、死に至る。それは君も知っての通りだ」

「……そう。でも、『おどろくべき事実』ってわけでもないわね」

「そうかい。ところで魔女って呼称は正しくないと思うんだよね。魔人と呼ぶのが正確だと僕は常々思っているんだけれど――」

「魔女だろうが、魔人だろうが、どっちでもいいわ。変わりがない」


「魔女」という呼称は恐らくは「魔法女」に対応して作られたものだろう。


 神殿の法に従うのが「魔法女」、従わないのが「魔女」。


 そもそも法力を使えるのは女神様の加護を得られる女のみ……というのが神殿の主張するところである。


 ハナから法力を使える男の存在は認めていないのだ。


 あたしは別におどろいてはいなかった。


 魔素を取り込んで魔獣になる動物がいる一方、そうはならずに死んでしまう個体がいるということは、聖乙女として魔素のホットスポットなどを巡ったときに感じていたことだ。


 けれども神殿の見解では「魔素を多いに取り込んでしまった運の悪い個体が魔獣化する」……。微妙に、現実に即していないというのがわかる。


 ものすごく気になるというほどの齟齬ではないが、まあ気になるっちゃあ気になる差異ではある。


 しかし今日、ヘクターはその疑問に対し解を示した。


 ……ただし。


「それが本当のことだという証拠がどこにあるの?」

「おっと。そうくる?」

「当たり前でしょう。これくらい、あなただって想定していたハズ」

「証拠ね……ひとまず男は法力を使えないという神殿の欺瞞はひとつ暴かれたけれども?」

「だから? 出世ルートから完全に外れたあたしには、もう関係のないことだわ」

「達観してるねえ……。それじゃあもうひとつ。神殿はなぜほとんど無償で魔素にあてられた人間を治療しているのか――」

「魔女を生み出さないため、でしょ」

「そう。神殿の既得権益を守るために、魔女の芽を摘んでいるというわけ」


 ……なんとなくわかってきたのは、このヘクターという男は神殿の存在が気に入らないということくらいか。


 完全なあたしの邪推になるが、ヘクターは過去に神殿の治療を受けられなかったのかもしれない。その結果、魔女になったとかは……それなりにあり得そうな妄想だった。


 しかしヘクターは饒舌でありながら、そこのところは語るつもりはないらしい。


「そして法力を強める修練法は神殿が秘匿している……。万が一魔女が現れても法力を操れないようにするために」

「それのなにがいけないのか、わからないわね」

「本当に?」

「神殿の犬にそれを聞くの?」

「君が犬だとすれば……まるで迷い犬だ。僕にはそう見えるよ。渡り人に失脚させられた元聖乙女様?」


 ヘクターの言葉に、カチンとこなかったわけじゃない。けれども実際には事実を述べられただけにすぎない。ここは冷静になるべきだ。


 あたしは自分自身にそう言い聞かせて、丘の下から吹いてくる風に茶髪を揺らすヘクターを真正面から見た。


「それで私を怒らせられると思ったら大間違いよ。聖乙女の座は実力で決まる。私の実力が渡り人には及ばなかった。なら、大人しくその座を去るのが聖乙女のルールってものよ」

「大人しく婚約解消を受け入れるのも聖乙女のルールなのかな? だとしても君がそれに納得しているようには見えないね」

「あなたには関係のないことだわ」

「いいや、あるね」

「そう」

「君よりも価値のある女を見つけるや婚約を一方的に解消する王室に、まだ聖乙女としての力はあるのに、さっさとその座から引きずり降ろして、どこの馬の骨ともわからない渡り人に媚を売る神殿……。恨み辛みを抱くことは、卑しい行為なんかじゃないさ。正当な感情の発露だよ」

「……あなたがよっぽど既存の体制が気に入らないということだけは、よくわかったわ」


 ヘクターは嘘はついていない。なにもかもが事実で、だからこそ甘美に響く。復讐の味はきっと甘いだろう。


 けれども神殿に骨を埋めるつもりで世間を捨てたあたしが、今さら俗世に戻ってなにができるだろう。


 当たり前だが、法力を――神殿の関知する範囲内で――自由に使えるのは魔法女だけ。魔法女を引退したあとに法力を使うのはご法度である。


 仮に魔法女を辞めたとする。法力を使えない、世間にも疎いただの小娘のあたしが、どうやって生きていけるだろう?


 正直に言って、その想像は怖かった。


「私はね、年金をがっぽり貰って悠々自適の隠遁生活を送っているの。それを手離せるわけないじゃない」

「どうかな。屈辱は毒だよ。時が経てば経つほど、君を蝕む」


 ヘクターの言葉を鼻で笑うだけの余力は、まだあたしの中に残っていた。


 それは虚勢だ。みじめな虚勢だ。


 本当はなにかもメチャクチャにしてやりたい衝動は、あたしの中にある。


 あるけれども、それを表に出せるほどの度胸はあたしにはないし、メチャクチャにしてやれるほどの力も、現実としてない。……渡り人くらいの法力の持ち主であれば、別かもしれないが。


「あのね。あんたの身柄を拘束して、それを手土産にまた私が神殿でのし上がってやろうって思っていないとでも?」

「ふふ、そうしてみるかい?」


 ヘクターは面白げに笑った。


 あたしは間髪入れずにローブの下に隠し持っていた杖から拘束魔法を放つ。


 魔法を打つ速さはあたしの自慢のひとつだった。


 ――しかし。


「――っ! 移動魔法!」

「……やれやれ、ちょっとヒヤッとしたけど、どうも僕の方が速かったみたいだ」


 先ほどまで悠々と焚火の前に座っていたヘクターは、次の瞬間には近くの大木の上にいた。大振りの枝に手をやりながら、黒いコートの裾をはためかせて、あたしを見下ろす。


「君のお仲間もずっと見ていたし、そろそろ僕はおいとまするよ。それじゃあね。気が変わったらいつでもおいで。魔女の谷は君を待っているから」

「まっ――」

「――ペネロペ!」


 丘の下からテオが駆け寄ってくる。それと同時にまたヘクターは移動魔法を使ったらしく、ほとんど一瞬のうちに姿を消した。


 移動魔法はそう長距離は使えるものではない。それがあたしの中の常識だったが、急いで周囲を見渡しても、ヘクターの姿はどこにもない。気配を軽減する魔法も併用しているのかもしれなかった。


 しかしヘクターが高難度の魔法である移動魔法を使いこなしている上に、恐らくそれなりに長距離で行使できることを、あたしは脅威と受け取る。


 ――それは神殿の威信にかかわる脅威。


 ――魔法女の五指に入ると自負する、元聖乙女としての脅威。


 もしもヘクターが女に生まれて、魔法女を目指していたとすれば、きっとあたしは聖乙女になれなかった。


 ヘクターはそれだけの実力の持ち主だと、あなどることなく評価すれば、そういうことになる。


「ペネロペ、大丈夫か?」


 呆然とヘクターが消えた大木を見上げるあたしの顔を、上背のあるテオが覗き込んだ。


 それでようやく我に返ったあたしがまずしたことは、焚火の火を消すことだった。


 足で土をかけて火が完全に消えたのを見やってから、あたしはテオの顔を見上げる。


「……いつからいたの? 気づかなかった」

「あんたの姿見えないから、街中を捜しまわったあとだからな……そうずっといたわけじゃない」

「そう」

「あの男……魔女、なんだな」

「ええ……それも、とんでもなく強い。あんな魔女がいるなんて、神殿はまだ知らないハズ」


 神殿側が関知していれば、聖乙女の地位にあったときに知れていたハズだからだ。


 しかしヘクターという魔女は神殿の目をかいくぐって、本人の弁が正しいのであればあちらこちらで法力を使っているに違いなかった。


「あとで神殿に報告しておかないと……」

「……なあ」

「ん?」

「あんたは……魔女にはならないのか?」

「はあ?」


 思わず品のない声が出る。


 テオの表情は相変わらず「無」といったところだが、その黒い瞳はどこか決意を固めたような光を放っている。


「よくわかんない非合法の組織に属する趣味はないわよ。火あぶりなんてごめんだし」

「まあそうだな」

「いきなりなに? あの魔女みたいなこと言い出して」

「いや。あんたが決めたことならそれでいい」

「……なにかひとりで納得してない?」

「あんたの行くところなら、オレはどこまでも着いて行く。……それを伝えたかった」


 テオの言葉にあたしの中で一拍置いてうれしさが湧き出す。


 しかしそれはたちまちのうちに、気恥ずかしさや照れに変わった。


「――そ、そりゃそうでしょ! あなたはあたしの奴隷なんだからね!」


 照れ隠しにあたしはテオに背を向けた。


 だから、テオがどんな顔をしてその言葉を受け止めたのかはわからない。


 ただいつもみたいに無表情でいるんだろうなと思いつつ、あたしは「帰るわよ!」と、いつもより声を張って歩き出したのだった。

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