第20話 犬のお散歩

 雛子さんと清太郎君はよく他愛のないことでも通話する。互いの声が好きで、聞いていると相手がナニをしているのか想像力を掻き立てられ、まるで付き合いたてのような緊張感を覚えるからだ。


 その日も清太郎君と雛子さんは今度の休日の予定について電話で話していた。清太郎君は自宅から。雛子さんは友達の家に行った――らしい。


 そのとき、電話の向こうからワンワンと犬の声らしき音が聞こえた。


「雛子さん? 今、犬の鳴き声が聞こえたけど」

「ああっ今ね、友達に頼まれて犬をお散歩させているところなの。可愛らしいんだよ、これが」


 ちなみに雛子さんは根っからの猫派だったはずだ。彼女の実家でも猫を飼育しており、よく猫カフェにも出かける。

 それとは対照的に、雛子は犬が苦手だったような気がする。鳴き声がうるさくて、周りに序列をつけるところが苦手らしい。

 だから犬の世話なんて務まるのか、清太郎君は不安に思った。


「へぇーそうなんだ。どんな犬なの?」

「すっごく大きくてね。私にもなついているの」

「犬種は?」

「えっとね……よく分かんない。私、そういうのあんまり詳しくないから。別に種類なんて分かんなくてもいいのよ。可愛ければいいの。可愛ければ」


 雛子さんにはそういう大雑把なところがある。


「バフッ! バウバウバウ!」

「ほーら。よしよし。いい子ね」

「ワオーン!」


 変な声の犬だな、と清太郎君は思った。鳴き声がやけに低く、まるで成人男性を連想させる。気のせいか。


「ほーら、よしよし」

「チュブッ! ブブッ!」

「やぁん。くすぐったいよぉ。はあっ、ううん」


 犬が雛子さんを舐めているらしい。

 かつて雛子さんは犬がベロベロと舐めてくるところも嫌がっていたような気もしたが、清太郎君の覚え間違いだったかもしれない。今の雛子さんの声は歓喜に満ちている。


「それじゃ、ちんちん!」

「ワン!」

「あらあら。よくたってますね。えらいえらい、撫でてあげましょう」


 犬が前足を上げて立つポーズをしているのだろう。雛子さんの命令を聞くなんて、かなり躾されているようだ。意気揚々な声からして、雛子さんも上に見られるのが嬉しいらしい。


「ここにマーキングしたいの?」

「ワンワン!」

「ちょ、ちょっと待って! そんないきなり――」

「ワン! ワンワンワン! ワォーン!」


 犬の鳴き声が激しくなる。電話の向こうでは、ガタガタと何か激しく動く音が聞こえた。犬が急にオシッコを始めて雛子さんが慌てているのか。


「あん! いっ! うぐっ!」


 プシャーッ!

 水が噴射される音。犬のマーキングする際の音だろう。


「はあっ……はあっ……すごい量……」

「クゥーン……」

「よっぽどマーキングしたかったのね。こんなに出しちゃって……すごく匂うし、びちゃびちゃだよぉ」


 雛子さんと犬の声が大人しくなり、しばらく静寂が続いた。


「はぁ……たくさん運動したから疲れちゃった」

「犬の散歩って、結構な運動になるんだね」

「うん。犬の世話って大変……でも楽しかった」

「楽しそうでなにより」

「今度は私が犬になってみようかな……」

「え? 犬になる?」

「あ、ごめん。何でもない!」


 そこで通話が途切れた。

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