第24話 みんな大好き雛子さん【最終話】

 ある日の夕方。

 清太郎君はオフィスに出勤し、夜遅くまで仕事をする予定だった。妻の雛子さんにもそのことを伝え、清太郎君は仕事に取りかかる。


 しかし参加しているプロジェクトの計画が急遽変更になり、その日は早めに切り上げることになった。


 夕方。予定よりかなり早めに帰ってきた。


「ただいまぁ……?」


 清太郎君が家に入ると、玄関には見知らぬ靴が三足。見た感じ男物だ。


 すると部屋の中から話し声が聞こえてきた。


「今、玄関から音が聞こえたけど?」


 男の声だった。


「大丈夫だよ。清太郎君、もう少し遅く帰ってくるはずだから」


 雛子さんが答える。


「まあいいや、早いところ済ませよう」

「早くヤッてよぉ……あ! 熱いっ!」


 一体ナニをしているんだ?

 声はキッチンの辺りから聞こえる。夫が居ない間に男友達を家に上がらせるなんて、危ない予感しかしない。

 清太郎君は静かに廊下へ上がり、扉の手前に張りついて耳をそばだてた。


「ほら、ヒナ。練乳あるよ?」

「んんっ! ちゅぱっ!」


 呆れたことに、雛子さんはまた練乳を飲んでいる。彼女の食生活が心配である。


「そういやヒナ? デキたって?」

「うん……実は、もうデキてるの」

「もちろん旦那さんの?」

「そうに決まってるでしょ!」


 僕の何かが出来上がったらしい。

 何のことだ?


「あははっ。てっきり俺らのかと思った」

「そんなわけないじゃん。みんなのことも好きだけど、一番は清太郎君なんだからぁ」

「旦那には言ったの?」

「清太郎君にはまだナイショなのぉ!」


 僕に内緒?

 ますます雛子さんたちがナニをしているのか気になってきた。全容を明らかにするためにも、もう少し泳がせて会話を聞いてみたい。


「ねえヒナ、ミルクは?」

「出せるけど……」

「飲んでもいい?」

「ちょっとだけだよ?」

「やった……ちゅ……」「んっ……美味しいじゃん」

「なあ、俺らも喉渇いちゃった。飲ませてよ」

「みんな、しょうがないんだからぁ」


 みんなで牛乳を飲んでいるらしい。

 ちなみに、清太郎君の家には牛乳が常備してある。シチューやクリームパスタなどの調理や、時間がない朝の食卓でコーンフレークに使うためだ。雛子さんが妙にミルクの提供を渋っているのは、また買い足しに行く手間を考えているのかもしれない。


「や、やぁん……床にシオ、溢しちゃった……」

「シオだけじゃないよね? 蜜まで垂らしてるじゃん」

「だってえ、それはみんな変に動くから……」

「まったく、仕方ないなヒナは。ほら、ここにまた栓をしてやらないと……」

「んはあ!」


 雛子さんが床に塩を溢してしまったらしい。

 色々と詰めの甘い雛子さんは、そういうミスを稀に起こす。先日も雛子さんは七味唐辛子の瓶を詰め替える際、蓋の締めが甘くて中身を床に溢してしまった。


「イクぞ……!」

「ひゃぅん? んんっくあぃ!」

「熱いの、出すぞ……!」

「んふあ! いいよっ! 出してええええっ!」


 何か熱い物体を取り出すようだ。

 オーブンでも使っているのかな。


「かけるぞ、ヒナ!」

「ふふっう、いいよ。ぴゅっぴゅっして」

「おっ……おおっ……くっ」

「やあん……すごい量……ドロドロだよぉ」

「ちょっと匂いが篭りすぎじゃね?」

「換気した方がいいかも。部屋に染み付いたら大変」


 それから騒がしかった部屋は少し落ち着いた。中でドタドタと動いている気配がしたが、静まり返っている。


 ふと清太郎君は我に返る。

 ここは自分の家なのに、どうしてこんな盗み聞きをしているのだ。僕はこの家の住人なのだから、堂々と部屋へ入ればいいのに。


 そして、清太郎君は扉を開けた。


「あっ……」

「あっ……」


 雛子さんと目が合う。

 彼女の周りにいたのは、いつも雛子さんと一緒に遊ぶ男友達。彼らもいきなり現れた清太郎君に目を見開いていた。無言の空間。その場にいた全員が固まっている。


「雛子さん、これは……?」

「あの、えっとね……?」


 清太郎君が見たのは浮気現場――ではなく、キッチンに置かれた大きなケーキ。他にも彩り鮮やかな料理が多数並べられている。

 雛子さんたちは全裸――ではなくエプロン姿だった。

 部屋に漂うのは、ケーキ生地や肉の焼けた香ばしい匂い。


「実はね……サプライズパーティを用意してたんだけど」

「パーティ?」

「今日は清太郎君の誕生日でしょ?」


 ケーキの上にはチョコレートの板が飾られており、「誕生日おめでとう清太郎君」と書かれていた。


「いつもヒナにはお世話になってるしさ、ちょっと協力してたんだよ」

「ほら、こういう飾りとか作ってさ……」


 部屋にはパーティの華やかな飾り付けがされている。これらは彼らが施したらしい。


「ほらほら、いつまでも立ってないで、座って座って!」

「あ、うん……」


 清太郎君は手洗いを済ませて席に着くと、先程のケーキが目の前に置かれた。蝋燭に火をつけて、部屋の灯りを消す。


「じゃあ、火を消してね」

「ふーっ!」

「ハッピーバースデー、清太郎君!」


 清太郎君が火を消すと、雛子さんたちはクラッカーを鳴らした。すると彼女はフォークでケーキを一口分取ると、清太郎君の前に差し出してくる。


「はい。あーん、して?」

「え、みんなの前で恥ずかしいよ……」


 そう言いつつも、清太郎君は口を開けてそのケーキを受け入れる。


「どう? 清太郎君? ケーキの味は?」

「うん……練乳の味が濃いね。でも美味しいよ」


 雛子さん特製、たっぷり練乳ケーキ。蜂蜜のかかった甘い甘いケーキだった。


「大好きだよ、清太郎君」

「ひゅーっ、熱いね、お二人さん」


 雛子さんは眩しいほどの笑顔を見せてくれる。昔、清太郎君が一目惚れした笑顔。出会った頃と何も変わっていない。

 ここに集まっている男友達も、この無邪気な可愛らしい笑顔が好きなのだろう。

 みんなが大好きな雛子さん。そんな彼女が僕の妻だと思うと誇らしかった。



【おわり】

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淫妻鈍夫ネトリダウト ゴッドさん @shiratamaisgod

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