第12話 動物園のゾウさん

 その日も、雛子さんは昔の同級生と遊びに出かけることになった。


 朝、自宅前にキャンピングカーが止まり、雛子さんはそれに乗り込んだ。例に倣って、男友達が多い。髪を染めたり、ピアスを入れたり、体格のガッチリした男たちだ。

 彼らは雛子さんを車内に迎え入れると、にやりと笑みを浮かべた。


 今回のイキ先は動物園。

 前回、遊園地で遊んだメンバーに加え、さらに数人の男友達が同行する。随分と賑やかな団体である。

 正直、清太郎君は彼女のことを羨ましいと思った。大人になった今でも、こんな風に遊びに誘ってくれる友人が沢山いるのだから。清太郎君は昔の友人たちとあまり会っておらず、時折SNSでオンラインになることで生存を確認し合う程度しか交流がない。


「それじゃ、イってきまぁす」

「イってらっしゃい、雛子さん」


 清太郎君は雛子さんを見送ると、ぼんやりと休日を過ごした。ベッドに寝転がって実用書を読み、昼食は冷凍庫に余っていたチャーハンをフライパンで温める。平凡で退屈な社会人の休日である。


 テレビの情報番組をBGMに皿洗いをしていると、机上に置いていたスマートフォンの着信音が鳴った。電話の相手は雛子さんらしい。清太郎君は急いで手を拭くと、応答画面にスライドした。


「もしもし? 清太郎君?」

「どうしたの?」

「特に理由はないんだけど、清太郎君と話しながらの方が楽しいから電話しちゃった」


 せっかく友人同士で出かけたのだから、友人同士で交流をすればいいのに――清太郎君はそんなことを思った。


「雛子さん、そっちはどんな感じなの?」

「うん、えっと、今、動物園を歩いてるところだよ?」

「そうなんだ」

「これだけ人数が多いと大変だよ。ホントに中学校の遠足に来たみたい」


 そのとき、「おい雛子、こっちのゾウを見ろよ」と電話口の向こうで聞こえた。

 相変わらず、男友達は騒がしい。機嫌がいいのか、笑い声が多く聞こえる。


「すごい……ゾウが、こんなに沢山……」

「なかなか壮観だろ?」

「みんな……大きいね」


 どうやら、その動物園ではゾウが沢山飼育されているらしい。一頭育てるだけでも飼育スペースや食費などのコストが膨大なのに、それが何頭もとなると、かなり規模が大きな動物園なのだろう。


「あっ……はぬんっ!」

「おお! すげぇ、こんなに水を撒き散らして! やっぱり近くで見ると迫力があるよな」

「んぅ! くぁ!」

「うひゃ……飛沫が、こんなに高く上がったぞ?」


 ゾウが水浴びをしているのだろうか。鼻で大量の水を撒き散らす姿は有名である。


「ほらほら! 一通り回るんだから、早くイかないと!」

「ひゃぅ、うぅん!」

「イクよ雛子! 次はこっちだ!」

「ああっ、ちょ……待っ……ああん!」


 確か、雛子さんのイッた動物園は、敷地面積がかなり広かったはずだ。展示されている動物を全て見るとなると、一日ではとても足りない。


「ほら、みんな待ってるんだから、早くイかないと!」

「イ、イクから! もう少し、ゆっくりヤらない?」

「じゃあ、俺、先にイクよ?」

「や、やっぱり待ってぇ。一緒にイキたいの!」


 何とも忙しない動物園巡りだ。

 自分なら数日に分けてゆっくり動物を見に行く。入場料と時間に踊らされて見る動物園など、あまり楽しいものではないだろう。


「ここから、ペース上げるぞ!」

「オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"ッ!」

「ははっ、すげえ鳴き声だ」


 何やら動物の鳴き声が聞こえる。電話越しでも驚くくらい大きい声だ。

 一体、何の動物だろうか。ホエザルかな。


「オ"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ッ!」

「やべえ、すごい吠える。発情期だな、こりゃ」

「ア"ア"ア"ア"ア"ア"ーッ!」

「ほら、雛子、イクぞ?」


 鳴き声は一段と大きくなったが、なぜかそこで止んだ。

 雛子さんたちが場所を移動したのだろうか。


「おいおい、こんな場所でトイレしちゃってるのか?」

「わっ、臭ぇ臭ぇ! めっちゃ出てるじゃん!」

「発情期だからマーキングしたいんだろ? ははっ」


 男たちの声が騒がしい。

 どうやら、展示されている動物が、来場者の前で排泄行為をしているようだ。動物たちは人間に排泄行為を見られることに羞恥など感じないだろうし、動物園でそういう場面に出くわすことは珍しくないだろう。


「はぁ……はぁ……んぅ……やっぱ、結構疲れるね」


 ようやく雛子さんの声が戻ってきた。

 かなり息が荒く、徒歩での移動に疲れているようだ。


「雛子、まだまだイクよ?」

「少し、何か飲ませて……」

「ほら、ここから自分で出せよ」

「んっ……ちゅぶっ……ゴクッ……ゴキュ……」


 雛子さんは男に差し出された何かを必死に飲み干そうとしているようだ。彼女が何かを飲み込む音はしばらく続いた。


「雛子さん。疲れてそうだけど、楽しい?」

「うん。スッゴい楽しいよ。忘れられない思い出になりそう」

「それならいいんだけど……」

「でも、そういう気遣いしてくれる人は清太郎君くらいだよ? ここにいる友達、グイグイ来るからさ、正直疲れちゃうこともあるよ?」


 清太郎君からの言葉に、嬉しそうに答える雛子さん。

 友人付き合いも結構だが、何度も交流を重ねるのは大変である。


「だから私、清太郎君と結婚したんだよね。清太郎君の傍なら安心できるから」


 不意にそんな言葉をかけられ、清太郎君の顔は少し赤くなった。

 どうやら自分で思っているよりも、彼女の夫としての役目を果たせているらしい。


「あ、そうだ。清太郎君にお土産買って帰るから、楽しみにしてね」

「うん、分かった」

「じゃあね」

「じゃあね」


 こうして夫婦は通話を切った。

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