第6話 ジェットコースターの特等席
ある日、雛子さんは小学校時代の友人と共に旅行に出かけることになった。その友人がキャンピングカーを所有しており、それに乗せてもらい、遊園地へ向かうようだ。
当日の朝、清太郎君はアパート前でキャンピングカーに乗り込む雛子さんを見送った。外からチラリと見えた座席には、彼女の元同級生たちが座っている。妙に男友達が多いような気がするが、人間関係なんて人それぞれだろう。彼らは雛子さんを一瞥すると、ニヤニヤと笑みを浮かべた。
「それじゃ、行ってきまぁす」
「うん。楽しんできてね」
「いっぱい遊んでくるね」
雛子さんは色黒金髪の男の横に座り込むと、キャンピングカーは去っていった。
それから昼頃、清太郎君は雛子さんに電話をかけてみた。友人同士で遊んでいるところに悪いなぁ、とは思ったものの、雛子さんがハメを外し過ぎていないか気になるところではある。
「っはぁ、んぅ、清太郎君、どうしたのぉ?」
「あの、今日の夕飯どうするか聞いてなかったからさ。雛子さんは帰ってから食べる? それとも、食べてから帰って来る?」
「ハァッ、ハァッ……だ、大丈夫! 私、食べてから帰るから、清太郎君は好きなもの食べてていいからねッ!」
いつものように、雛子さんは電話越しでの息が荒い。遊園地にワクワクしていて、興奮しているのかもしれない。
「相変わらず、ここ、でっかい山だよなぁ、雛子ぉ。絶景だ絶景」
雛子さんと一緒に向かった元同級生たちだろうか。電話の向こうから、男の笑い声も聞こえる。
「そ、そうかなぁ?」
「ハハハッ。こっちの花もキレイだよ。スゥゥゥ……良い匂いがするじゃん」
「あぁん……ふふふっ」
確か、雛子さんの向かった遊園地は、富士山の近くだったはず。時計を見ると、とっくに遊園地に到着している時間。雪化粧の富士山や花畑など、自然豊かな光景が広がっているのだろう。
「ほら、もうちょっと奥までイッてみようか?」
「こ、こんな奥までイクの、初めてかも……!」
「前にも色々ヤッたけどさ、今回も雛子が楽しんだことないようなヤツ、体験させてヤるからさ」
「ほんとぉ? 期待しちゃうよ?」
どうやら雛子さん一行は遊園地を進んでいるらしい。
出かける前、雛子さんはその遊園地に小学校の遠足で行ったことがあると話していた。その遊園地の敷地は広く、一日だけでは全てのアトラクションを回り切れない。小学生の時には体験できなかったアトラクションに挑戦するつもりなのだ。
そのとき――。
「ひゃっ! ハアアアンッ!」
「おおおっ、すげえ噴水だ! こんなに飛沫が!」
「ふあぁぁぅ! んくぅ!」
「飛沫の飛距離、スゴくない? こんなスゴいの、初めて見たぜ」
「はぁっ……はぁっ……あっはっ!」
微かに水音が聞こえる。
大抵、遊園地には噴水が設置されているようなイメージがある。来場者を感動させるために、噴水の出力を上げているのだろうか。雛子さんも満足そうに息を吐いた。
「ほらほら、雛子、ここに乗って乗って」
「えっ、じゃあ、お言葉に甘えて乗っちゃおうかな……」
「そこ、一番快感を味わえる特等席だぜ?」
「でも、こんなに長くて大きいの、ちょっと恐いなぁ……」
一体、これから何に乗るというのだろうか。
「あのね、清太郎君。いっ今、ジェットコースターに乗ったの! コースがスゴく長くて、高さのある大きなヤツなんだけど……一番前の席だから恐くて」
「携帯電話持ったまま乗れるの?」
「ほら、ワイヤレスで会話できるの、あるじゃん?」
「ああ、そういえば、そんなイヤホン持ってたね」
雛子さんはワイヤレスイヤホンを持っている。
今しているこの会話も、それを使って行われているのだろう。
「ほら、揺れて落ちないように、しっかり奥まで挿して固定しろよ」
「あぁんっ、な、なかなか挿さらないよぉ……」
「ここに挿すんだよ。俺が押さえて、入れるの手伝ってやるからさ」
「えっ、あっ、けっこう、キ、キツ……!」
シートベルトかな? と清太郎君は思った。
ジェットコースターに乗る際、体を固定する必要がある。その固定具の使い方に、雛子さんは四苦八苦しているようだ。金具の挿し方が分からないのだろう。
「ほら、これで一番奥まで挿せたな」
「あっ、ンゥッ! こ、この体勢でヤるの……ホントにヤバいかも……!」
「おいおい、こっちの穴にも挿さないとダメだろ?」
「へっ、えっ、そっちも?」
別の男が会話に割り込んでくる。
固定具が複雑な構造をしているのだろうか。
聞こえてくる声からして、雛子さんが困惑しているのが分かる。二人がかりで固定具の使用方法をレクチャーしているらしい。
「こんなにガチガチ……ひゃっ! 急に動いちゃ……あぁん!」
「すっげえ激しいから、覚悟しろよッ! ほら、イクぜっ!」
「はっ……はっ……イッちゃう! イッちゃうってば! これヤバいって! んぅ! も……イク……あっあっあっ……っんはぁあああああああああああああああああああああん!」
雛子さんは絶叫した。
おそらく、ジェットコースター急降下の絶叫ポイントに入ったのだと思われる。しばらく雛子さんの叫び声が続いていたが、しばらく経つと無言になった。
雛子さんは絶叫アトラクションが得意だ――という話はあまり聞いたことがないが、本当に大丈夫だろうか。友人たちに合わせようと、無理をしていないだろうか。
「おいおい、大丈夫かぁ、雛子?」
「うぅん、はぁっ……あへぇ……」
「軽く気絶してたんじゃねえのか? さっきのヤツ、そんなにスゴかったか?」
「んもぅ……っはあっ……ホント、ヤバかった……体が、頭まで突き上げられて……」
先程の絶叫からしばらくして、そんな会話が聞こえてきた。
やはり雛子さんは意識が少し飛んでいたらしい。
「ほら、雛子。このフランクフルトでも味わいな」
「むふぅ……あフッ……」
フランクフルト?
どうやら雛子さんたちは売店に入ったらしい。そこで軽食を取っているようだ。
「ヨーグルトソースが美味いだろ?」
「ふぅんぅ……おいひい……ぶちゅ」
「おいおい、そんなにガッつくなって」
普通、フランクフルトに付けるものと言えばケチャップとマスタードだが、その遊園地ではヨーグルトソースというトッピングも用意されているらしい。
一体、どんな味なのか。清太郎君はちょっと興味が湧いた。
「そうだ! 雛子、もう一回乗らない?」
「ええっ……あんなハードなの、何度もヤッたらクセになっちゃうぅ……」
「クセになったら何回でも乗っちゃえばいいじゃん?」
「もぅ……じゃあ、また乗っちゃおうかな!」
何と、雛子さんは気絶したにも関わらず、もう一度ジェットコースターに乗ろうとしている。
さすがに、雛子さんの体調が心配だ。
「雛子さん、無理してない?」
「ううん。私は楽しいよ?」
「何かね、これまで隠していた自分を解放できているみたいでスッキリするの」
「そう? ならいいんだけど……」
「そんなに心配しないでいいからね。じゃあね」
「うん、じゃあね」
こうして、清太郎君は通話を切った。
隠していた自分を解放できる――確かに、今の夫婦生活の中では、思いっきり叫んだり、スリルや恐怖感を味わう機会は減ってしまった。雛子さんも清太郎君も、いつものように仕事や家事をして、夜は静かに眠って過ごす生活を続けている。
きっと、雛子さんはもっと非日常を求めているのだろう。子どもの頃のように、毎日感動できるような刺激が欲しいのかもしれない。
「今を楽しんでね、雛子さん」
清太郎君はベランダから遠くの空を眺めた。
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