第3話 鯛のシオ釜焼き
その日、雛子さんは高校生時代のクラスメイトと同窓会に出かけた。開催地は自宅から遠いため、一泊二日の予定である。
清太郎君は自宅のダイニングテーブルで一人寂しく夕食を済ませると、寝室のベッドに横たわった。
雛子さんがいない寝室は、無駄に広く感じる。妻が一晩いなくなるだけで、こんなにも悲しい気持ちになるだろうか。
清太郎君は寂しさを紛らそうと、ベッドに横たわったまま、雛子さんに電話をかけた。
無性に、妻の声が聞きたい。
待機音がいつ終わるのかと、ドキドキする。何時間も待ったような気分だ。
やはり、雛子さんも就寝したのだろうか。そんなことを考えていると、ようやく雛子さんが応じてくれた。
「ど、どうしたの清太郎君? こんな時間に」
「雛子さん、同窓会は?」
「ああん、うん、楽しいよ?」
そのとき、電話口のすぐ向こうで、「誰? 旦那?」と尋ねる男の声がした。
一体どこの誰だろう。
清太郎君はその男に少し嫉妬を抱きつつ、雛子さんの声だけに耳を傾けようとする。
「今、男の人の声が聞こえたような……」
「ああっ、まだお店で同級生と飲んでるの」
「へぇ、同窓会って、結構長くヤるんだね」
「つっ、積もる話も沢山あるから……」
清太郎君は時計を見た。時刻は午後10時半を指している。
そのとき、「うおっ、すげえシオだ!」と先程の男の声がした。続けて「やべえ! こんな量出るんだ!」と叫び、かなり感心している様子。
シオ……?
何のことだろうか。
「雛子さん、今、シオって――」
「あっうん、りょ、料理の塩が凄かったの」
「塩分が高いってこと?」
「あの、ほら、あるじゃない? 塩を沢山使った料理が」
世の中、大抵の料理には食塩が使われていると思うが、一体何の料理を指しているのだろうか。
清太郎君は頭をフル回転させ、塩を大量に使う料理を記憶の中から見つけ出す。
「鯛の塩釜焼きのことかな?」
「そうなのッ! それなのッ! アハッ、思ってたより、スッゴい量のシオでッ!」
「どう? 美味しい?」
「す、すんごいのッ! びっくりするくらい大きくて、もうカチカチで、スッゴく熱くて……もう……ああん!」
そんな変な声を出してしまうほど美味しいのだろうか。
それならば一度自分も食べてみたいものだ――と清太郎君は鯛の塩釜焼きに思いを馳せる。
「こ、こんなの初めて……蕩けちゃう……」
電話の向こうにいる雛子さんも、すっかりご満悦の様子。
確か雛子さんは山奥の田舎育ちで、海の幸にはあまり縁がなかったはずだ。初めて見る鯛の塩釜焼きに感動しているのだろう。
「カチカチの中から……あんッ……どんどん、出てくるぅ……中が、ふわふわでッ、真っ白お」
「鯛は白身魚だからね。外見はピンク色だけど、身は真っ白いよ」
「ピ、ピンクの中から、真っ白のッがぁッ……どんどん……す、すごいでしょ?」
「うんうん、凄い凄い」
あまりの美味しさに、鯛の身をほじり出すように食べているのだろうか。雛子さんはかなり興奮しており、息遣いが荒くなっていた。
そのとき――。
「うぉッ! 雛子ッ! ここ、締まるッ、ここ締まるッて!」
「イクイクイクイクぅ! 私、も、イッちゃうからぁ! あっあっ、んふぅ、んぐうううううううっ! っはぁあああん!」
男性の声と雛子さんの声が同時に聞こえる。二人とも狂った獣のように叫んだ。こんな声を出したら、他の客に迷惑ではないだろうか。
「ど、どうしたの? 今『しまる』とか『いく』とか聞こえたけど?」
「うぅん……はぁっ……あのね、えっと……あぁ……」
雛子さんの息遣いは激しい。
酔いが回っているのだろうか。
「これから今飲んでいる居酒屋さんが閉まっちゃうらしいから、みんな焦ってるの。だから、次の店へ二次会にイこう――っていう話だよ」
「えっ、まだ飲むんだ」
「そりゃ、色々溜まってるからね。こんなもんじゃまだまだ発散できないよぉ」
「そっか。雛子さん、楽しんできてね」
「はぁい、ありがと、清太郎君。朝まで楽しんでくるからね」
電話口の近くにいる男も「俺もまだイク」と、同窓会を楽しむつもりらしい。
普段は専業主婦で家事をしている雛子さん。たまには外に出て息抜きも必要だろう。
こうして、清太郎君は電話を切った。
妻の声が聞けて、寂しさも和らいだ気がする。雛子さんが帰ってきたら、もっと雛子さんを大事にしよう――そんなことを思いながら、清太郎君は瞼を閉じた。
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