第17話 潜り込むウツボ

 その日、雛子さんはいつもの男友達と共に水族館へ遊びに行くことになった。

 キャンピングカーが自宅前に停車し、雛子さんはそれに乗り込む。


 一方、清太郎君は在宅ワーク中だ。急にクライアントから修正の要望が入ったため、今日中に作業をコミットし、中央リポジトリにプッシュしなければならない。

 清太郎君は愛用しているラップトップの前に座り、メモされた修正内容を見直した。様々な点が変更されており、修正には半日ほどかかりそうだ。


 しばらく作業をしていると、雛子さんから電話がかかってくる。


「どうしたの、雛子さん?」

「もうすぐお昼だけど、清太郎君は何しているのかなぁって」

「え、もうそんな時間か」


 壁に掛かっている時計を見たら、もうすぐ正午になろうとしていた。


「冷蔵庫に清太郎君のために冷やし中華を作り置きしていたんだけど、出かける前にそれを言うの忘れちゃったような気がして……」

「えっ、そうなんだ……あっ、本当だ。ありがと、雛子さん」


 そのとき――


「ハッハッハ、いやぁ、デキる妻だね、雛子ちゃんは」


 雛子さんのすぐ近くから、男友達の声が聞こえてくる。有名な水族館という、多くの人が集まる場所のためか、電話の向こう側は結構騒がしい。「すっげえ」とか「綺麗だねえ」とか、そんな歓声を上げている。


「ほぉ、これがアワビちゃんか」

「はぁん……んぁっ……」

「なかなか美味そうじゃねえか。こんなにじっくり見るのは初めてかもしれんな」

「ああん……もう、そんなことばっかりぃ……」


 男が展示されているアワビについて何か言っている。

 アワビは高級食材であり、その知名度も高い。実際に生きているアワビを見て、「美味しそう」という感想を言う者も多いだろう。


「でっかいウツボだなぁ、おい」

「やぁん……大きい」

「この穴に潜り込みたいらしいな」

「ふふっ、潜っちゃえ……あんっ……はぅん」


 次はウツボを見ているらしい。細長い体を持つ蛇のような魚だ。

 普段は穴に潜り、頭だけを出している海のギャング。


「おいおい、ウツボなら、こっちにもいるだろ?」

「わっ、こっちはギンギンに赤くなってる……」


 おそらく、トラウツボのことだろう。

 赤っぽい体色のウツボで、サンゴ礁などに生息している。体型は普通のウツボとほぼ一緒だが、頭に二本の突起が出ていることが特徴だ。

 お洒落で可愛らしいウツボなので、一度じっくり是非見て欲しい、と清太郎君は考えている。


「すごい、こんなに伸ばしちゃって……」

「ほらほら、雛子に食らい付こうとしてるぞ?」

「やだぁ……すごい威圧感」


 トラウツボが穴から体を伸ばし、口を開けて威嚇しているのだろうか。

 あの姿もなかなか可愛いものだ。


「さぁ雛子! とっておきのショーが始まるぜ!」

「オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"ッ!」


 何か、変な動物の声が聞こえる。以前にも聞いたことがあるような気がするが。

 水族館であんな声を出す動物と言えば、アシカかオットセイだろうか。ショーでボールを鼻に乗せる姿は有名である。パンパンと音が聞こえることから、手を叩いているのかな。


「おわぁ、すっげえ飛沫だ!」

「今の派手にイッたなぁ。結構跳ね上がったぞ?」

「うわ、口の中に入った! しょっぺえ!」


 今度はイルカのショーだろう。

 客の前でイルカが大ジャンプし、客席にまで飛沫が来る。男たちも歓声を上げた。


「アハハハッ、ポタポタ垂らしながらの、よちよち歩きだ!」

「可愛いなぁ、雛子お?」


 最後はペンギンのショーかな。

 海中での泳ぎが上手い分、陸上での歩行が下手な鳥類だ。しかし、あのよちよち歩きは可愛らしく、水族館や動物園を散歩する姿は見ていて癒される。


 楽しそうだなぁ。

 僕も水族館に行きたかったなぁ。


 清太郎君は進めた作業をコミットしながら、水族館で遊ぶ雛子さんを羨んだ。


「楽しそうだね、雛子さん……」

「あはっ……清太郎君も、今度イッてみない?」

「うん。行ってみたい」

「私からリードしてあげるね。それから、今日の写真も送ってあげるよ」


 しばらくすると、雛子さんから何か写真が送られてきた。

 広げてみたら、アワビの裏側の写真だった。かなりアップで撮影しているのか、全体像は分からない。なぜか写真加工も施されているようで、実際の色もよく分からないが。

 どうせなら、アシカやイルカの写真を送ってくればいいのに、写真のチョイスが謎である。

 そんなミステリアスな部分も雛子さんの魅力であり、清太郎君はその写真を保存した。

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