第10話 ムスコの高校受験(漢字編)

 ある日、雛子さんが倫太郎君の家に家庭教師として出かけているとき、清太郎君のスマートフォンに電話がかかってきた。

 画面の文字を見てみると、そこには「叔父さん」と表示されている。


「もしもし? 清太郎君?」

「あ、叔父さんですか?」


 電話の相手は、雛子さんが家庭教師をしている倫太郎君のお父さんである。

 一体、叔父さんが僕に何の用だろうか。


「お世話になります。今日はどうしましたか?」

「いつも雛子さんにムスコがお世話になってます。雛子さんを紹介してくれた清太郎君にもお礼を言っておきたくて……」

「別にいいですよ、そんな……」

「いえいえ、雛子さんが家に来てから、ムスコがヤる気を出すようになりましてね。おかげで色々助かってますよ」


 雛子さんからも、食事中の会話で倫太郎君のことがよく挙がるようになった。彼のポテンシャルは高いらしく、教えたことをどんどん飲み込んでくれる――と。

 倫太郎君も叔父さんも満足してくれているなら、雛子さんの家庭教師は大成功していると言ってもいい。最初は清太郎君も不安だったが、上手くイってくれたようだ。


「今もムスコが雛子さんのレッスンを受けてましてね。雛子さんもムスコを大成させようとハッスルしてますよ」

「そうなんですか」

「これでまた、ムスコが一段と大きくなれますよ。いやぁ、本当にありがたい」


 やがて電話の向こう側から、雛子さんの声も聞こえてくる。何やら、倫太郎君にレッスンしているらしい。


「おやおや、今日は漢字の授業ですか?」

「はぁい。そうなんですぅ。今、ウォーミングアップが終わったところで、これから本番なんです。お父さん、今日も見てイキますかぁ?」

「そうさせてもらおうかな。早速、入らせていただきますよ」


 どうやら、雛子さんのレッスンに、叔父さんも加わるつもりらしい。

 図形に、有性生殖に、漢字まで、あらゆる教科を問わず教えてくれるのだから、雛子さんのレッスンはかなりお得だ。


「んはぁっ……くぅ……んもぅ、お父さんったら積極的なんだからぁ。倫太郎君だけとヤるつもりだったのにぃ」

「ムスコの成長を見るのが楽しいんですよ。人生ずっと仕事ばかりで、なかなかそういう機会がなかったものですから」


 叔父さんは一流企業の営業マンで、かなり忙しい日々を送っていたはず。働き方改革で少しは休暇も取れるようになり、今こうしてムスコの勉強を見てヤれる機会も増えたのだろう。


「んもぅ……ここ、一本足りないでしょ?」

「ああっ。そうだった、そうだった。今すぐ足すから――ねっ!」

「んぅ……んくぅ……はい! よくできました!」

「ハハッ、雛子さん、なかなかキツいね」


 どうやら漢字の画数が一本足りなかったようだ。清太郎君も大人になった今でもそういうミスをたまにしてしまう。「博」という漢字を書くとき、最後の点を抜かしてよく書いていた。

 誰しもそういうミスはあるだろう。


「これ、何て言うか分かるかな?」

「菊、でしょ?」

「じゃあ……んふっ、んんっ……あはっ、これは何て言うか、覚えているかな?」

「潮……だよね?」

「ふふっ、倫太郎君、だいぶ覚えてきたね」

「もうお姉ちゃん何度もヤってるから、すっかり覚えちゃった」


 漢字の読みをクイズしているのだろう。


「雛子さん、この構え、もうちょっと中を広げた方がいいかもしれないね」

「あんっ……そうですね。その方が……見栄えもいいし、ぐっと奥まで入るからぁ」

「ほら、しっかり中に収まった」


 構え?

 門構えのことかな。

 漢字の部首である。門の間が狭すぎるとシャープになって見栄えが悪いのは確かだ。


「この棒は、どんどん伸ばして、このナカを貫いちゃってッ、出しちゃっていいからね」

「うん、分かった……出すよっ?」

「ああっ、うんっ……そんな感じ。何度も何度も繰り返してヤれば、覚えられるからっ!」


 申や串は、中を貫いて下まで棒を伸ばして出す漢字である。

 倫太郎君は今、そういう漢字を習っているのだろう。


「いやぁ、雛子さんの教え方は上手いね。ムスコもどんどん上達してきたよ」

「本当ですかあ……あぁん……」

「こんなに熱心はムスコの姿は初めてかもしれないよ。だから……ムスコの奥から昂る熱意を……ちゃんと受け止めてくれよッ!」

「はいいいっ! 受け止めますうッ! この立派なムスコさんを、受け止めて……ここでムスコさんを、立派に育ててみせますぅぅぅ!」


 叔父さんを前に、倫太郎君を家庭教師として必死に育てる決意を表した雛子さん。教師ドラマの見すぎかもしれない。教イク熱心な彼女は、どうやらそういうスイッチが入ってしまったらしい。


「はぁっ、はぁっ……スゴく、熱くなっちゃった」

「それじゃあ、デキたらでいいから、ムスコのこと、よろしく頼むよ?」

「はぁい……デキるまで、頑張りますから、んぅ」


 雛子さんの息は上がり、彼女の言葉は途切れ途切れになった。

 漢字を教えているだけのに、なぜこんなに息が荒くなるのかは不思議だが、それだけ雛子さんも受験勉強に熱くなっているのだろう。


「雛子さんには期待してるからね。差し入れに、ホットミルクでも飲むかい?」

「はぁい。いただきますぅ……ぬふぅ……はあぁ」

「なかなか美味しいだろう? 雛子さんから貰った特別なシロップも混ざっているからね」

「ふふっ。美味しいれす」


 雛子さんは倫太郎君への差し入れに、よくお菓子や飲み物も持っていく。叔父さんがホットミルクに混ぜたのは、そうした差し入れのシロップなのだろう。


「清太郎君も、私たちがデキるの応援してるよね?」

「もちろん、倫太郎君が志望校に入れるよう願ってるよ」

「ふふっ、ありがと、清太郎君。もうちょっとヤったら帰るからね」


 こうして雛子さんは通話を切った。

 もうすぐ受験シーズンである。

 果たして、倫太郎君は合格デキるのか否か。清太郎君も少し熱くなった。

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