第38小節目:ドアたち
今日は、まだ名前のないこのおれたちのバンドの2回目の練習だ。
「んしょ、んしょ……」
「だから市川さん、そのストレッチを
「え、なんで?」
「なんでって……はあ……」
それぞれ準備を終えたところで、沙子が右手をあげた。
「はい」
「はい……?」
どうしたの?
「はい、沙子さん!」
……あ、挙手してんのか。
市川さん、ノリノリである。
「ちょっと、フレーズ迷ってるところがあって」
沙子はそう言って、
「どっちがいいかな」
沙子がまた語尾の上がらない質問をしてくる。
「えっと……」
市川が困り顔をしている。
「ベースだけで聞いても、ちょっと……。合わせてみないとわからないかも。ねえ、小沼くん?」
「1つ目はドラムの頭とぴったり合わせて迫力を出すやり方、2つ目は、ちょっと遅れて入ってベースの存在感を出すやり方って感じだ」
こちらを向いて首をかしげてくる市川に、おれは解説した。
「あれ、分かるんだ!?」
市川が目を丸くしている。
「分かるよ、拓人は」
「えっと、なんで沙子さんが偉そうにしてるのかはちょっとよく分からないけど……。小沼くんの解説聞いたら私も分かったよ?」
沙子が0.数ミリ胸を張って、市川が負けじと目を合わせて不敵に笑う。
市川は結構負けず嫌いなんだなあと思った。でも本当に分かってる?
「ねえ、どっちがいい」
沙子がおれの方を向いて訊いてくる。
おれは少し
「んんー。どっちかというと1つ目の方がいいんだが、この曲はあんまり迫力持たせても仕方ない気がするんだよな」
「そう」
沙子からやや冷たく返事が返って来る。あれ、すねてる?
「ちょっとベース借りてもいいか」
「いいけど」
おれはドラムから離れて沙子のもとへ行き、ベースを受け取る。
おお、
こほん、と咳払いをして、ベースを構える。
「例えばだけど」
そう言って、おれは、沙子が弾いた1つ目のフレーズを『スライドイン』という技法で始めつつ、なるべく悪目立ちしないように自然と落ち着くところまで弾いてみた。
「こんな感じかな」
「ほえー……」
パチパチ、と市川が拍手をする。
「小沼くん、ほんとに
市川が感心して身を乗り出す。なんか間近でそんな顔されると照れるな……。
「市川さん」
沙子が不意に市川を呼ぶ。
「ん?」
「拓人は、弾けるよ」
そう、また胸を0.数ミリ張って言った。
「いや、だから、なんで沙子さんが偉そうなの……?」
市川の頭の上にハテナが浮かんでいる。
「ふん」
ふんってなに、沙子さん。
「えっと、その、トゥイーーーンっていうの、なに?」
市川がおれに向き合って質問してくる。
トゥイーーーンって、ちょっとバカっぽいな。可愛いのでやめて欲しいですね。
「これはスライドインっていうやり方で、1音目めがけて、少し低い音から弦をスライドさせて弾く手法だな。この曲では迫力というよりは、なめらかさを大事にしたいから、頭でガツンと入るというよりはぬるっと入るようなアレンジがいいかなと思って」
「ほえー……すごいね?」
「すごいか?」
「うん、小沼くん、ミュージシャンなんだなあって感じ」
目を輝かせる市川に、おれはドギマギしてしまう。
「いや、ミュージシャンっていうなら市川の方が、」
「拓人は、ミュージシャンだよ」
おれが言いかけたのをさえぎって、沙子がそう言い切った。
「えっと、もうツッコまなくていいかな?」
ほら、市川さん苦笑いしてるじゃないですか……。
沙子のベースラインの悩みも解決したところで、
「よし、じゃあ合わせてみよっか!」
ということで、おれはカウントをはじめた。
「1、2、3、4……」
市川のアコギのストロークから始まり、少しだけ遅れてドラムとベースが入る。
曲は淡々と進み、まさしく『平日』という感じだ。
演奏を終え、一息つく。
「うん、いいんじゃないかな」
「まあまあかな」
市川と沙子が感想を言った。
まだ2回目だから、伸びしろがあるということなのだろうが、演奏は格段によくなっていた。
沙子は中学の吹奏楽部でベースを弾いていた頃の勘を取り戻したみたいで、フレーズをスムーズに弾くことが出来ていた。個人練習もかなり重ねたのだろう。
高校からダンスを始めたからというのもあるのか、リズム感は中学時代よりもずっとよくなっていた。
市川はこの間電話で伝えたメロディを自分のものにしてきていた。電話で恥をかいたかいがあった……。
おれのドラムもそれなりにフレーズも固まってきており、同じことを同じタイミングで正確に出来るようになってきていることを実感した。
「とりあえず聴いてみよう」
おれはうなずきながらも、スマホで録音した今の演奏を、スタジオのスピーカーから流す。
「わあ……小沼くんの音源みたいだね」
そう市川が漏らす。
改めて聞くと、市川の歌は、ピッチが正確ですごくきれいだ。
市川は作詞・作曲の才能の人だと思っていたけど、それだけじゃなくて、歌がそもそも上手なんだなあと実感する。
「うん、上手に出来てる」
沙子も口角を微妙にあげて、嬉しそうにしていた。
おれもその通りだと思う。
上手に出来ている。このまま練習を重ねていけば、ロックオンまでには、ロック部の中ではきっと抜群にクオリティの高い演奏が出来るだろう。
うんうん、と頷きながら、それでもおれは考えていた。
この音楽には、決定的に何かが全然足りない、と。
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