第1小節目:ロックンロール
「あ」
階段を降りながらおれは、ヘッドフォンを机の引き出しに置きっぱなしだったことを思い出す。
帰り道に音楽は絶対必要だ。
高校からおれの家まで1時間半。そんなに長い時間を無音で過ごせるはずがない。
降りかけていた階段をたったっと駆け戻り、教室のドアを開けた。
夕暮れ色の空気で満たされた教室。
窓際、自分の机の上に座ってアコースティックギターを
彼女の名前は、
おまけに歌が上手く、ギターが弾ける。
黒髪セミロングのストレートヘアーのよく似合う、
おれがドアを開けた音に気付いたのか、市川がこちらを振り返る。
「あ、小沼くん」
「お、おお……」
何だ、この人は、おれなんかの名前まで覚えてんのか……?
「忘れ物?」
「う、うん」
会話は、最低限に。
でないと、余計なことを言ってしまいそうだ。
「学校のスタジオが空いてなくてさあ。教室で練習してたんだ」
聞いてもいないのに、えへへ、と照れくさそうに状況を説明してくれる。
「そ、そうなのか」
おれは自分の机の引き出しからBluetoothのヘッドフォンを出して、耳にかける。
「そそ、それじゃ」
どもりながらそう言って、なぜか震えてしまう指でスマホの再生ボタンを押して、
その時。
おれのスマホの『スピーカー』から大音量で音楽が流れ始めた。
「うっ……!?」
やばい。
ヘッドフォンとBluetooth接続される前に再生ボタンを押してしまったらしい。
その
「ねえ! その曲、誰の曲!?」
「別に、誰の曲ってこともないけど……」
しどろもどろになるおれ。
いつの間にか目の前に立っている市川。ちょっと、近い近い近い近い……!!
市川が
「誰の曲ってこともない、ってなに? 誰かの曲なんでしょ?」
極度の緊張に、指がもつれて再生を止められず、スマホからは音楽が流れ続けていた。
「そ、そんなに、興味持たなくても」
おれはもつれる舌で、とっさに、取りつくろうように、言った。
「こ、こんなの、大した曲じゃ、ないだろ」
その言葉を吐いた瞬間。
「……なんで?」
その綺麗な目がおれをキッと
「大した曲じゃない、なんて、どうして小沼くんが言うの?」
冷たい視線と
「どんな曲だって、誰かが一生懸命作った大切な曲なんだから、『大した曲じゃない』なんて、作った人以外は絶対に言っちゃいけないと思うんだけど」
市川の
「い、いや……」
そうじゃないんだ、と声を出そうとするも、至近距離にある整った顔に、声がうまく出てこない。
「
そう言いながら、
そして、その画面に出ていた文字を見て、市川の動きが止まった。
「え、これって……?」
さきほどまでとは一転、目を丸くした市川がおれの方を見上げる。
……もう言い
「……そうだよ」
画面に出ている文字は『DEMO /
「この曲は、おれが作った曲だ」
おれは、一番言いたくないことを一番言いたくない相手に告げることになった。
「……ほんとに?」
「本当に……」
完全に、やってしまった。
よりによって、あの市川天音にバレるなんて。
キーンコーンカーンコーン……と、16時のチャイムが教室に鳴り響いた。
ややあって、
「小沼くん、作曲できるの!?」
我に返ったらしい市川が、目を
「出来るってか、やってるだけだけど……」
「すごいね、全然知らなかった!」
「まあ、誰にも言ってなかったから……」
「そうなの? 言えばいいのに! 作曲出来るの、すごいね! 本当に、すごいなあ……」
この人は、何をそんなに嬉しそうに言ってるんだろう。
おれは自分の顔が熱くなっていくのを感じていた。
その原因は『照れ』じゃない。多分、『怒り』だ。
「……市川だって」
「ん?」
「市川だって、作曲出来るだろ」
「え……?」
その瞳が揺れる。
「えっと、私は、ロック部で弾き語りとかやってるだけで……」
市川がうつむいたにも関わらず、おれは
「他の人の曲ばっかりやってるけど、市川は、作詞も作曲も出来るはずなんだ」
「……どういうこと?」
おれは、
「なあ、市川は、
市川がハッと顔を上げる。
唇がわなわなと動く。
「それ、知って……?」
もう、だめだ。
こらえきれなくなった言葉がこぼれ出てくる。
「知ってるよ。だって、おれは」
言わないと決めていたはずの言葉が。
「あなたに憧れて作曲を始めたんだから」
* * *
『天才中学生シンガーソングライター
そんな宣伝文句だったろうか。
おれがamaneの音楽に一番最初に出会ったのは3年前、中学2年生の夏のことだ。
当時所属していた
人気アーティストであればCDを買った人だけが見られるライブだったのだろうが、売り出したてのamaneのライブには特に仕切りなども設けられておらず、CDショップに来た人の誰でも見ることができた。
CDを買って、その姿を横目に通り過ぎようとしたおれの耳に。
彼女の声が突き刺さるように響き、届いた。
透明感の中に芯のある歌声で
『ねえ、自分にしか出来ないことなんて、たった一つだってあるのかな?』
バッとそちらを見ると、おれの足は、目は、耳は、もう少しもそこから動けなくなってしまっていた。
たった2曲のライブが終わり、
家に帰ってずっとリピート再生した、2曲入りのシングル。
彼女が自分と同い年だと知り、悔しさと
もしかしたら、おれにも作れるかも知れない。作ってみたい。
それから、元々吹奏楽部でやっていたドラムに加えて、コードを覚え、ギターを練習した。
機材さえあれば、自分で叩いたドラムに合わせて自分でベースを弾いて……と、音を重ねて録音出来ると言うことを知った。それを、
だが、その半年後。
いまかいまかと新曲を待ちわびたおれの元に入ってきたのは、amaneの無期限活動休止のニュースだった。
シングル一枚しかリリースしていないamaneの活動休止は一部ネットメディアで数時間だけ
* * *
「本当に驚いたんだ。高校に入ったら、あのamaneがいたんだから」
「……そっか」
おれはそんな恥ずかしい過去の話を本人に打ち明けていた。
「あの、さ」
おれは、自分でも正しいことか分からないまま、そっと、言葉を発した。
「もう、どうせ言っちゃったから、一個だけ、市川に……amaneに、ずっと訊きたかったことがあるんだけど、いいか?」
分かってるよ、という感じでうなずいて、市川は困ったように
「なんで私が音楽をやめたか、だよね?」
「……うん」
だよねえ、と小さくつぶやき、
「あのね、」
市川はふうー、と息をついて、
「自分の作った曲を歌おうとするとね、声が出なくなっちゃったの」
は……?
おれは耳を疑う。声が、出ない?
「どう、して……?」
「多分ね、余計なものを、見ちゃったからだと思う」
「余計なもの……?」
おれが
「これ」
そう言って、市川は自分のスマホを軽く
「ネットの世界ってね、怖いんだよ。こっちに生きた人間なんかいないみたいに、みんな好き勝手言うんだ」
市川は下唇を噛んで続ける。
「『こんなやつが天才なわけない』『YUIのパクり』……」
その言葉に、血の気が引いて、心が冷え込んでいく。
「一番きつかったのはね、『こんな曲、この世界に生まれなければ良かったのに』って」
苦くて辛くて痛くて、それでも飲まないといけないものを飲み込むように、一息で彼女は告げる。
おれは固まったまま声を出すこともできない。
「変な
そして、また、
なんだよ、それじゃ、まるでおれと……。
「でも、おれは、amaneの曲が……」
好きなんだ、と口をつきそうな言葉を、
「……じゃあ、amaneの曲を、もうamaneの声で聞くことは出来ないのか?」
そんなこと、市川に言っても仕方ないことだと、言ってはいけないことだと分かっているはずのに、子供じみたわがままを吐き出していた。
市川は、また困ったように笑ったあと、
「ねえ、小沼くん」
と、やや
「うん……?」
そして、おれの人生を変えてしまう、決定的な一言を、告げたのだ。
「小沼くんの曲、私に一つだけくれないかな?」
「……へ?」
自分でもあきれるほどに間抜けな声が出た。
「おれの曲を、市川にって、どうして……?」
「さっきの曲、すごく良い曲だったから。自分の曲は怖いけど、人の曲を自分の曲だって言ったら、もしかしたら歌えるかもしれないから」
市川が制服のスカートをぎゅっと握り込む。
「本当は、また、歌えるようになりたいんだ。言いたいこと、たくさんあって……でも、怖くて。だから、リハビリみたいなことが、小沼くんの曲で出来たらって……」
うつむく市川が、悲痛な声を漏らした。
「……あはは、なーんてね。そんなズルいの、ダメだよね。ごめん小沼くん、忘れて?」
おれの無言を否定だととったのだろう。市川は冗談っぽく、
でも、そんな風に、泣きそうな顔で笑うamaneを見たらもう、おれが断れるはずもない。
「……わかった、おれの曲を市川に渡そう」
「……本当に?」
市川が意外そうに、目を丸くする。
おれはもう一度うなずく。
「だけど、2つ条件がある」
「条件?」
「1つは、おれが作った曲だとは、その先も言わないでほしい」
「どうして……?」
「どうしてもだ」
胸が痛む。……まだ痛いのかよ、くそ。
「……うん、わかった。それで、もう一つは?」
首をかしげる市川に向かって、おれはそっと伝える。
「いつか、遠い未来でもいい。いくらでも待つ。だから」
「ん?」
「amaneの曲を、amaneの声で聞かせてほしい」
すると、市川の顔が赤くなっていく。
「amaneは、おれの憧れなんだ。」
「……あんまり、私の下の名前を何回も呼ばないでもらえるかな?」
「下の、名前……!?」
次に顔を赤くするのは、俺の番だった。
小さな声で、市川がつぶやくのを、おれの耳は聞き取ってしまう。
「そんなプロポーズみたいなこと……」
とにかく、そんな風にして、おれと市川の秘密の共同制作ユニットが誕生した。
もしかしたら、本当の意味でおれの高校生活が動き始めたのは、この瞬間だったのかもしれない。
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