第50小節目:女の子は泣かない

 英里奈さんが笑い止んだころ、最終下校のアナウンスが学校全体に鳴り響いた。


「やば、図書室、戻るか」


「うん」


 英里奈さんは、すん、と鼻を鳴らして立ち上がる。


 おれが階段を上がろうとすると、英里奈さんがそっと、おれの制服の背中らへんを、ちょこんとつまむ。


 だからこの人はこうやって無駄にスキンシップというかなんというか……。


「あのだな……」


 注意しようと振り返ると、


「ん……?」


 ウサギみたいに赤い目をしている英里奈さんと目があって、


「い、いや、なんでもないです」


 ついドギマギしてしまうのがおれです……。




 階段を上がりながらふと気づく。


 ……図書室戻るの気まずすぎない?


 いや、むしろ、おれは英里奈さんとほぼ同時に出てきたからいいけど、あのあとの室内、地獄だったのでは……?


 ごめん、吾妻ねえさん……。


 心の中でねえさんに謝っていたら、階段をのぼりきったところ、図書室のドアの前に吾妻と市川が立っていた。 


「え、と、小沼くんと英里奈ちゃん、仲良しだね……?」





「図書室、もう閉めるからって追い出されちゃったんだよ」


 英里奈さんに英里奈さんの荷物を渡しながら、吾妻が淡々と説明をしてくれる。「ありがとぉ……」と言いながら英里奈さんが受け取っていた。(ちなみにおれの荷物は当然、床に置かれてました。)


「えっと、他の2人は?」


「まずケンジが『わりぃ、オレ、帰るわ』って言って出てって、ほんの少し経ってから沙子が『うちも』って言って帰ってった」


「そうか……」


「もう、みんないきなり青春爆発しちゃって……」


 吾妻が呆れたようにため息をつく。


「すまん……」


「ごめんねぇ……」


「まあ、別にいいけど……」


 吾妻は謝られて困ったように頬をかいた。


「あの、なんか、色々あったらしいね……?」


 市川がおずおずと話し始めた。


「いやいや、『らしい』って。市川はずっと同じ空間にいただろ」


「そう、なんだけどね……?」


 目が泳いでいる市川の横で、吾妻が盛大せいだいにため息をついた。


「とりあえず、帰ろっか。最終下校時間だし」




 新小金井しんこがねいまでの下校道。


 おれは頓狂とんきょうな声をあげる。

 

「は? 全然気づいてなかったってことか?」


「あははー……ちょっと、集中してたみたいで……」


「ちょっと集中、じゃないよ……」



 呆れ顔の吾妻が説明してくれたことによると。


 あの、壮絶な告白劇があった時も、そのあとはざまと沙子が帰った時も、市川は全くの無反応だったらしい。


 グループ学習室に2人きりになってから少し経って、市川は突然顔をあげ、


『あれ、みんな、いないの?』


 と言ったそうだ。



「天才ってどこかおかしいって言うけど、あたし今日それを見た気がするわ……」


「なるほど……」


 吾妻とおれが納得していると。


 市川がなんだかさっきからチラチラとこっちを、具体的に言うと、おれと英里奈さんの間の空間を見てくる。


「……どうした? 天才」


「て、天才!? そんな呼び方!?」


 市川が焦っている。挙動不審きょどうふしんな天才だ。


「あの、えっと、聞いていいのかな……。でも、私の身の振り方も変わってくるし、うん、聞いてもいいはずだよね……」


 ブツブツと、なんだか煮え切らない。


「天音ちゃん?」


 英里奈さんが口を開く。


「あ、あのさ!」


「ん?」


「えっと、小沼くんと英里奈ちゃんは、付き合うことになった、のかな?」


「「……はぁ?」」


 おれと英里奈さんが同時に声を出す。


「英里奈ちゃん、小沼くんに、告白したんだよね……? あれ、告白しようとしたんだっけ……?」


 何言ってんのこの天才美少女? と吾妻を見やると、吾妻は、


「あたしは、事実しか言ってないから」


 と、言いきった。


「「あぁー……」」


 また、おれと英里奈さんがハモる。


 なるほど、そういうことか。


 たしかに、英里奈さんの真意とか思いみたいなところは、全部図書室の外で話していたことだもんな。


 吾妻の視点から事実だけを伝えると、『英里奈が小沼に告りかけて、それをさえぎってケンジがさこはすに告った』ということになるのか。なんだそれ。


「市川、それはだな、」


「さぁー、どうだろうねぇー?」


 誤解を解こうとするおれをさえぎって、英里奈さんが意地悪な声でそう言った。


 そして、おれの目を見て、べぇっと舌を出す。


 なんぞ……?


「え、っと、やっぱり、付き合ってるってことかな?」


 市川がもじもじと困惑している。


「英里奈、子供みたいなことしないの……」


 吾妻がやれやれ、と眉間みけんをおさえて言った。


 誤解させてどうすんだよ。

 

「英里奈さんとは付き合ってないよ」


 そうおれが言うと、


「あぁー、たくとくんが言ったぁー! 作戦バラしたぁー! 同盟解消だー!」


 と、お、おおおおれのうううう腕をぶんぶんと振りながら英里奈さんが抗議してくる。


「いや、もう、作戦は終了したじゃん」


「終わってないよぉ! えりなの『恋』は始まったばっかだよ!」


「ほお……?」


 なるほど、『恋』は、はじまったばかり、か。


 英里奈さんの前向きなところに、少し嬉しくなる。


「何、にやにやしてるのぉ?」


「いや、なんでもない」


「ふぅーん?」


 英里奈さんはおれをじろーっとにらむ。


「えっと、つまり、小沼くんと英里奈ちゃんは付き合ってないってことだよね?」


 市川はいつまでその話してんだよ……。そう言ってんじゃねえか。


 おれが呆れていると、


「付き合ってないよ! けどぉ!」


 英里奈さんがズビシっと市川を指差す。


「へ?」


「たくとくんは、天音ちゃんのものじゃないからね!」


 そう高らかに宣言したのだ。


「ええ……!?」


 市川が仰天ぎょうてんしている。


「英里奈さん、何言ってるの……?」


 英里奈さんの言ってることがまだわからないよ。


「知ぃーらない! とにかくね、人の気持ちはどんどん変わるものなんだから! 健次だって、さこっしゅだって、たくとくんだって、」


 そう言って英里奈さんはおおおおおおれのううううう腕にギュッとだだだだ抱きついて、


「えりなだってそうだよ!」


 とそう言った。


「え、英里奈ちゃん……!?」


「英里奈は強いなあ……」


 市川がへろーっとして、吾妻が微笑む。


 おれは、もう、なんか、右腕の感触にどうにかなってしまいそうだった。





 そんな風にして、英里奈さんの恋愛作戦は一旦終結を迎えた。(いや、スタートしたのかもしれないけど)


 後日、期末試験ははざまも含めて全員赤点を回避。


 あとは、地道に練習をしてロックオンを迎えるだけ、のはずだったのだが。




 最悪の事件は、このあとに起こることになる。

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