第4小節目:『日常は良い』

 もはや隠していても仕方ないと判断したおれは、市川いちかわに許可を取ってから、吾妻あずまに対してかくかくしかじかと、経緯いきさつを伝えた。


 吾妻は市川の席に座ったまま、市川は前の席の椅子を吾妻の方に向けて座り、おれは横の席の机に半分座りながら寄りかかっている。


「つまり、amane様は小沼の曲をamane様の曲として歌おうとしてて、これは小沼おぬまの作詞ノートってこと?」


「そういうことだ」


 おれがうなずくと、吾妻は市川の方に向き直る。


「……amane様は、それでいいのですか?」


「えっとね、その、amane様っていう呼び方、やめないかな? 普通に市川とか天音あまねとかって呼んでくれたらいいから……」


 信者モードが抜けない吾妻を、市川が頬をかきながら苦笑いでたしなめる。


「わかりま……わかった、えーっと……天音?」


 小首をかしげる吾妻。大きな瞳が不安げに揺れる。


「うん、よろしくね、えっと……由莉ゆり!」


「ぐはあああああ!!」


 市川からの下の名前呼び捨てが引き金になったのだろう。胸元むなもとをおさえて吾妻が机にす。


「えーっと……どうしよ?」


 市川が助けを求めるようにおれをじっと見上げる。いや、なんだその顔。可愛いからやめてください。


 おれがどぎまぎしていると、なんとか自力で通常状態に戻ったらしい吾妻がむくりと起き上がり、再度問い直す。


「えっと、amaneさ……天音……は、小沼の曲を歌うんでいいんです……の?」


 喋りづらそうだな……。


「うん。……そのうちにまた、自分の曲も歌えるようになりたいんだ」


「本当ですか!?」


 あ、信者モードが出た。


 おれが内心で面白がっているうちに、吾妻はちらりとこちらをみてから、言いにくそうに切り出した。


「でも……あたし、別にこんなこと言える義理ぎりはないけど、もし、できるなら、歌詞だけでも、天音……が書いた方がいいかもって、思う」


「どうして?」


 市川が小首をかしげる


「えっと……天音、この歌詞、読んだ?」


「ううん、まだだけど?」


「なるほど……。じゃあ、はい」


 吾妻はそう言って、ノートを市川の方に向けた。


***

『日常は良い』


朝7時、起床して歯を磨いてシャワーを浴びて家から出る

朝ごはんは食べない派だから。

朝8時半、始業チャイムギリギリで教室にたどり着く

寝ぼけまなこだったけど通学路が長くてさすがに目が覚めた。lalala...


ああ、こんな時に思うよ、

翼が生えたら羽ばたいて学校に行けるのにって。


10時に一限を受けて、11時に二限を受けて、12時から昼休み。

今日も学食でご飯を食べるんだよ。

行列に並ぶ人々。


ああ、こんな時に思うよ。

翼が生えたら列の一番前まで飛べるのにって。


新小金井までの下校道はおれの通学路。


そんなおれの日常。

Everyday is weekday.

***


 市川がおれの書いた歌詞を読み終えたあと、教室に変な空気が流れた。


「えーっと、なるほど……。ちょっと、独創的どくそうてきではあるかも……ね?」


 気遣きづかわしげに市川が微笑ほほえむ。


「いや、これは独創的とかじゃないでしょ!」


 すかさず吾妻がツッコんで、腕を組んでこちらを見上げた。


「あのね、別に良いんだよ、小沼の歌詞だから。小沼の信じるようにやればいいと思うんだよ」


「お、おう……」


 たじろぐおれに訴えかけるように、吾妻は続ける。


「だけどね? この歌詞は何か意思いしがあって書かれたものなの!?」


「い、いし……?」


 いし、とは……?


「まず、タイトル! 『日常は良い』って何!?」


「いや、テーマを分かりやすく言おうと思って......」


「分かりやすいってか、分かりやすすぎて、何も伝わってこないっての!」


「え、そう?」


 伝わってこないか? 日常が良いということが。


「あと、翼生やすタイミング!」


 吾妻は追撃ついげきの手を止めない。


「ああ、なんか、J-POPって翼生やすんだろ……?」


「生やすよ!? たしかにJ-POPは翼生やすよ!? もう翼生やしすぎて生える翼もないくらい!」


「ああ、だったら……」


 ちゃんと流行に乗れているんじゃんか、と続けようとすると、吾妻は頭を抱える。


「タイミング!! 学校に行きたいは100歩、いや1000歩ゆずって認めたとしても! 列の前に割り込むのは絶対に無いでしょ! いやいや、やっぱり1000歩ゆずっても学校に行きたいはないよ! 翼を生やすときは、せめて恋人の家に飛んでく時にして!」


「いや、それは不法ふほう侵入しんにゅうじゃ......?」


「amane様の机に耳こすりつけてたやつが今さらそんなこと言うな!」


 おれの法令遵守ほうれいじゅんしゅの精神から発せられた一言は、先ほど勝手に作り上げられた変態性で上塗りされた。


「えーっと、小沼くん……?」


 横を見ると、市川がドン引きしている。


「いやいや、誤解だから! 吾妻が勝手にそう言ってるだけで……」


「ちょっと小沼、今あたしが話してんの! ちゃんと聞いて」


 吾妻はそんなおれたちのやりとりも気にせずおれに問いかけてくる。うーん、混線してる!


「あのね、小沼。歌詞っていうのは、文章とは違うんだ」


「ほう……?」


 ここが大事なことだと言わんばかりに、声のトーンを落として吾妻が語りはじめた。


「メロディに耳を傾けて、自分の伝えたいことをそこに乗せる時、それがどんな言葉になるかを考えなきゃいけないの」


「そう、なのか」


 いきなりまともっぽいことを言い始めるから、ついつい、その先が気になってしまった。


「メロディとの掛け算なんだよ。分かりやすくいうと、暗いメロディに『君が好きだ』だったら失恋ソングになるし、明るいメロディに『君が好きだ』だったらハッピーソングになるでしょ? メロディも含めて感情を表現しているんだから、それを歌詞だけで『君が好きだけど失恋してしまったから悲しいのである。』なんて言ったら、それはめっちゃ無駄むだだし、無粋ぶすいなわけ。わかる?」


「ほう......」「へえ......」


 おれのあとにamane様も頷いていらっしゃる。


「つまり、聴く人の想像力も加わって、初めて歌詞っていうのは完成するものと思った方がいいってこと! 例えば、『新小金井しんこがねいまでの道』って書いたら、武蔵野むさしの国際こくさいの生徒しか共感できないけど、『いつもの下校道』って書いたら、全中高生が共感出来るでしょ? 聴く人が『この曲は自分の曲だ』って思えるようにするわけ。まあ、それを逆手さかてに取って、具体的な地名をあげるのも立派な手法ではあるんだけど……。あとね、」


「あのさあ、」


 おれは、一つ思いついたことがあり、口を挟もうとする。


「『切ない』とか『嬉しい』とかの、感情を一発で表す言葉をなるべく使わないっていうのも手法ではあるかな」


 あれ、無視された!?


「どう切ないのか? っていう想像をさせるすきを無くしちゃうっていうか。まあ、これももちろん使い所次第なんだけどね。『あなたに会えなくて切ない』までいうか『今夜もあなたに会えない』で止めるかの違いだよ。後者の方が余白があって、」


「あのさっ」


 市川が挙手きょしゅをする。


 え、挙手制なの?


「はい、市川さん」


 あ、挙手制だったんだ。


「あのね、由莉が歌詞を書いてくれるっていうのは、どうかな?」






「……ほぇ?」






 あれだけ饒舌じょうぜつだった吾妻の動きがいきなり止まるが、市川はそれに構わず続けた。


「私、そんなに歌詞のことちゃんと考えてる人に初めて会ったもん!」


「あたしが、amane様の、お歌いになる曲の、歌詞を、ですか……?」


「そう!」

 

「そ、そげなこと……あっしみてえなもんが……」


 いや、信者モード通り越して卑屈ひくつ田舎いなか者キャラになってる。


「ダメ……かな?」


 そこに、必殺、市川の上目遣い。


「ぴぎゃあああああああああああああああ」


 吾妻が再度机に突っ伏した。


 あーあ、失神しちゃった……。


 やれやれ。……おれも正面から見てたら一緒に昇天してたかもしれない。



「おーい」


 とはいえ、吾妻を起こさないと話が進まない。おれは机をコンコンとノックする。


「ううん、それじゃ起きないんじゃないかな? 肩とか揺すってあげないと」


「そんなこと言ったって、肩とか触ったら、ほら、なんか犯罪だろ」


「犯罪じゃないけど……!?」


「いや、なんか、ほら……な?」


 今の季節は夏。すなわち夏服。肩はなんか、よくわかんないけど、紐が透けてるんだ、何かの紐があるんだ、だからだめだ。


「ええーっと……、うーん、じゃあほっぺを軽くペチペチするとか?」


「ほっぺ!?」


 いや、地肌じゃん! 裸の部分じゃん! 無理じゃん! 犯罪じゃん!


 どどどど動揺しまくるおれの方を見て、


「……なんか、小沼君って、怖いね」


「怖い!?」


 市川が軽蔑けいべつしたように言い、


「由莉ー? 大丈夫ー?」


 吾妻の肩を揺すっている。


 いやその前に、おれのこと怖いって言ったことの説明は?


 肩を揺さぶられて、吾妻が目を覚ます。


「あ、すんません、自分、なんか意識失っちゃって……」


 吾妻のキャラがまた変わってる……。


「それでね、作詞、どうかな? 由莉は歌詞って結構書いてるの?」


「うん、まあ、1日につき3曲分くらいは書き溜めてるから……」


「「1日3曲!?」」


 すごいな。おれなんか、歌詞でいうと『日常は良い』しか書いたことないぞ……。


「amane様の曲に出会った3年前から毎日だから、3000曲分くらいかなあ……」


「「3000曲!?」」


 いくら歌詞だけと言ってもそれはすごいな。


「私、今のところ、2曲しかないなあ……」


 吾妻、尊敬するamane様の1500倍も書いてるじゃねえか。


「あのさ、吾妻。こんなに気軽に頼んで良いものなのかわかんないんだけど、もし吾妻がよければ、書いてみてくれないか? もしかしたら、それでamaneがまた、」


「amane様」


「……それでamane様がまた、amane様の曲を歌えるようになるかもしれないんだ」


 本人を前にしても様付けを強要されている……。


 吾妻は腕を組んで、悩んでいるみたいだった。


「そりゃもちろん、やってみたい、けど……」


「けど?」


「あたし、歌詞書いてることは誰にも言ってないんだ」


 言いづらそうに、そう打ち明けた。


「どうして?」


 おれが訊くと、吾妻はそっと下唇を噛んで、もぞもぞとうつむく。


「だって、ポエム書き溜めてるなんてみんなに知られたら、絶対、バカにされるじゃん……」


 その言葉にハッとする。


 そうか、吾妻も、そうだったのか。


 創作なんて、生身なまみの自分を世の中にさらけだすようなものだ。おれたちは3人とも、作りたくて、だけど作ったものを否定されるのが怖くて、臆病おくびょうになって、それでその一歩踏み出せずにいる。


 でも、だからこそ。


「……おれも曲作ってるのは秘密だ。まだ、どうやって曲を公開するのかもわからない。おれたち3人しか聴かない曲になるかもしれない。だから、一旦やってみないか」


 吾妻はまだ逡巡しゅんじゅんしている。


 

 最後の一押しは、これだ。


「さもなくば、amane様の3年ぶりの新曲のタイトルは『日常は良い』になる」


「やりますっ!!!!!!!」



 今までの悩んでた時間はなんだったんだというくらいの即答が返ってきた。


 ……複雑な気持ちではあったけど、良い作品を作るためだ、仕方ない。


「やった! よろしくね、由莉!」


「うん、精一杯頑張るね!」


 握手を交わす女子2人の脇で、おれは思う。


 おれの歌詞、そんなにひどいか……?


 良いじゃん。日常。……良いよね?

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