第3小節目:振動覚

 翌日。


 同じクラスだから何度か市川とはすれ違ったものの、基本的には会釈えしゃくをする程度にした。


 市川は自分がamaneであることを隠していて、おれはおれが曲を作っていることを隠しているわけだから、昨日までなんでもなかった二人がいきなり話をしていて、周りから「ん? どうした?」と怪しまれるようなことは避けたい。




 そんな風に身を低くして過ごしていたら、すぐに放課後になった。


 クラスのみんなが教室から出ていく。


 市川とは約束とかはしていないけど、また曲や歌詞の話をしようと思ったら、自分の教室で待つしかないだろう。LINEの交換もしてないしな。


 ……ていうか普通、帰り道まで一緒になったら連絡先とか交換するもんなんじゃないの? いやまあ、高校上がるときにやっと持たせてもらったスマホのLINEともだちには家族しかいないから『普通』が分かんないんだけど。


 おれは、わざと残っているということを悟られないよう、自分の存在感をゼロに近づけながら机でスマホをいじるふりをしていた。


 すると、見事に誰からも声をかけられないまま、全員いなくなった。


 うん、おれってば、気配を消す能力が高いな。


 ……いや? もしかして、別に努力しなくても誰からも気づかれなかったんじゃね? 元から気配なんかないんじゃね? 拙者、前世は忍者かもわかりませんね……。


 そんなこんなで、いとも簡単に、無事、教室におれだけ、たった一人・・になった。


 ……ていうか、市川もいない。


 あれ? 空気読み違えた? 何それ、恥ずかし過ぎる!


 座ったまま内心で取り乱したおれは、深呼吸をしたあと、状況を整理する。




 とりあえず、歌詞を見せるって約束はした。それは確実だ。


 でも、直接見せると言う約束はしていない。


 ……そっか、なるほど。おれは、一つの解答に思い至る。


 ノートを市川の机の引き出しに入れて、帰ればいいんだ。


 善は急げ、だ。おれは窓際の市川の席に向かい、引き出しに『作曲・作詞ノート』とタイトルが書いてあるノートを入れた。




 ちょうどその瞬間。




「あ、いた。コヌマ君だ」




 教室の入り口から、昨日聞いたばかりの声が聞こえた。肩がビクッと大きく跳ねる。


 ゆっくり振り返ると、ファミマ店員の吾妻あずま由莉ゆりがそこに立っていた。


 どうやらおれが市川の引き出しにノートを入れたところを見ていたわけではなかったらしく、平然へいぜんとこちらに近づいてくる。




「コヌマくん、市川さんの席どこ?」



「だから、小沼おぬまだってば」


 慣れない口でツッコミを入れてみる。


「はいはい。で、市川さんの席どこ? 昨日、市川さん、お釣りをもらわずに出てっちゃったみたいで、同じ高校なら届けてくれって店長がね。まあ、5円なんだけどさ」


 そう言いながら、ルーズリーフで作った小さな封筒ふうとうみたいなものを指で挟んで見せてくれる。


 緊張きんちょう緩和かんわ。見られてなかったのか、という安心感が、おれの油断を誘うことになったのだろう。


 吾妻の質問に対して、おれは馬鹿正直に、


「ああ、市川の席はここだよ」


 そう言いながら、自分の目の前の席を指差してしまったのだ。




「えっと……小沼君の席は?」

 

「おれの席は、あっち、だ、けど……」


 ……!? いや、これは、まずくないか……!?


「え、なんで小沼が市川さんの席にいんの……? しかも、教室に一人で……?」


 あんじょう、吾妻の目は見開かれ、その右半身は今にも逃げられそうに引かれている。


「あ、いや、それは、その……」


「……市川さんのリコーダー、舐めてたの……!?」


「い、いや、高校の授業にリコーダーねえだろ!」


 あらぬ疑いがかかってしまい、必死で正当性を主張する。


「じゃあ、何? 机を舐め回してたの……?」


「いや、ちげえよ! どうしてそうなる!? なんでもないんだ! ほんとだ! 信じてくれ!」


 分かっている。こういった場合に容疑者の口から出た『信じてくれ』という言葉ほど信じにくい言葉もないだろう。


 それでも吾妻は眉間みけんにしわをよせて腕を組んで、考えてくれているみたいだった。


 ややあって、


「うん、分かったよ」


 吾妻はにこっと微笑ほほえんで、そう言ってくれた。


「あたし、小沼君を信じるね」


「そっか、ありがとう……」


 ほおっと息をつく。よかった、信じてもらえたらしい。吾妻、案外いいやつだな……。


「あたし市川さんの席に用あるから、そこから3メートルくらい離れてもらえる? 怖いので」


 ……いや、信じてくれてないな、これは。


「お、おう……」


 もはやこうなってしまっては、弁解するのも難しいだろう。


 ため息混じりに答えて、おれは大人しく市川の席から離れる。教室後方の入り口のあたりには吾妻がいるので、おれは逆の入り口の方へとそそっと移動した。


 はあ、おれは地味なだけだったはずなのに、変態みたいなレッテルを貼られてしまうことになるなんて。学校に来づらいような状況にならないといいな……。


 おれが3メートルほど離れたのを見届けてから、吾妻は市川の席へ近づいていく。



 吾妻は市川の席にわざわざ一回座って、5円玉が入った封筒を市川の席の引き出しの奥に入れようとする。


 5円玉とは言え、お金はお金。引き出しの手前に入れて誰かに取られたとあっては、問題になると思ったのかもしれない。


 アルバイトをしていると、そういうところ、しっかりするものなのかもな。


 ちょっと大人に見えた吾妻に3メートル離れたところで感心していると、何かに引っかかったのか、引き出しに入っていたノートが吾妻の手前に出て来た。


「あ……」


 そこに書かれているタイトルは『作曲・作詞ノート』。


 やば、とおれが声をあげそうになった瞬間。


 もっと大きな声が教室の壁を震わせた。


「ぴにゃぁあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」


 は!?


 驚いて一瞬耳をふさいだおれが再度声がした方に目を向けると、目をひんいて一心不乱にページをめくる吾妻の姿があった。


「やばい、やばい、やばい、やばい、これはやばい、え、まじで? え、やばい! 神の、ノート……聖書……!?」


 何かに取りかれたように吾妻がノートを読んでいる。


 一体どうした……?


 そう思ったのもつかの間。


 数ページめくった後に、段々スピードが落ちて、シュゥゥゥゥ......と音を立てて、やがて茫然自失ぼうぜんじしつといった表情になる。


「これは……違う……amane様のお言葉ではない……」


 今、なんて……?


「amane様のお言葉はこんなにどうしようもなくない……。amane様のお言葉は、もっと、清く、尊く、そして永遠とわ……」


 もしかして……。


「吾妻は、amaneのファンなのか……? 市川がamaneだって、知ってて、それで……?」


 おれの言葉に、吾妻がギョロっとこちらをにらみつけてくる。目がわっている。もはやさっきとは別人じゃねえか。


「あんたも、市川さんの正体がamane様だと知ってたの? それでamane様の机に耳をこすり付けて『良いよお、良い音が聞こえるよう……』って言ってたってこと……?」


「いや、してねえよ! どんなプレイだよそれ!」


 変態なのはおれじゃなくて、そんな発想をする吾妻の方なんじゃないの!?


「吾妻、とりあえず、落ち着いてくれ。吾妻の言う通り、おれは市川の正体がamaneだと知ってる」


「amane様」


「……市川の正体がamane様だと知っている」


 微妙な差を言い直させられた。


「……うん、そうだよ。あたしはamane様の大ファン。amane様のCDのたった2曲を、CDがり減って聴けなくなるくらい聴いた」


 いや、CDは磨り減らないだろ。とは思ったが、わかりやすい表現だとも思った。


「活動休止が、本当にショックだった。これからも届けられると思っていたあのコトバたちがなくなると思うともう絶望的で……。それでね、高校に入ったら、そこに、amane様がいたんだ。同級生の形をした天使が」


 ふむふむ、と頷くおれ。分かる分かる。この人がやばいやつっぽいということがよく分かる。


「でもね。あたしは、amane様が自分で正体を言わない限り、絶対にあたしからamane様として声をかけないって決めてたの」


 それから、吾妻はおれのことをにらみつけた。


「ねえ、小沼。まさかあんた『なあ、市川は、amaneなんだろ?』とかamane様に言ったわけじゃないよね?」


「うっ……!」


 まさしく昨日言った言葉をどんぴしゃで当てられた。おれの表情を見て、吾妻は悟ったらしい。


「嘘でしょ……!? よくも抜け抜けと、amane様の大切な日常を壊して……!」


 全身から敵意が噴射ふんしゃされて、おれに向けられている。


「いや、それにはわけがあってだな......」


 おれが言いよどんでいると。




 その時、救いの声が教室にこだました。




「ごめん小沼くん、ギター取って来るの時間かかっちゃった!」




 市川が教室に戻って来たのだ。


 ああ、amane様......!


「って、あれ、吾妻さん? どうしたの?」


 そう言いながら市川は、自分の机の上に置いてあるノートを見て、状況をなんとなく察したらしい。


 おれを一瞥いちべつし、演技がかった声で話し始める。



「……あー、バレちゃったかあ。私、実は作詞とかしててさあ、そのノートなんだよね。照れちゃうなあ、もう」



 おれをかばうために嘘をつきはじめる。


「別に、恥ずかしいものだとは思ってないけど」


 そんなフォローまで添えて。


 なんだよ、市川。そんなかっこいいことすんなよ。

 

「……いえ、違います」


 うつむいたまま、くぐもった声で、吾妻がそう言った。


「え……?」


 するとその顔をバッとあげて、戸惑う市川へ熱いまなざしを注いだ。


「あたしの目はごまかせません! これは、amane様のコトバじゃありません! あたしは何千回、何万回もamane様の曲を聞きました!」


 机を叩いて立ち上がる吾妻。


 椅子がその反動で倒れ、がちゃんと音を鳴らす。


「ええーっと……? 小沼くん、これはどういう……?」


 頬をかきながら、市川がこちらを見る。


「この人、amaneのファンなんだってさ」


 おれは事実だけを述べる。


「ファンっていうか、信者だな」

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