第17話 修学旅行 二日目
見渡す限りの緑色。青い空の下、視界の先まで続く草原は、この場所が普段俺が暮らしているのと同じ国であるという事を忘れさせた。
空気がうまい。まるで体の中が綺麗にされていくかのようだ。
風がそよぐ音は心地よく、いつまでだって聞いていられる。
修学旅行二日目。今日は広大な敷地を有するこの牧場で過ごす事になっていた。
午前中は乳搾り体験。
こうした体験は、そんな風に普段の授業や生活の中では見られないクラスメイト達の顔を見る事ができる。
普段の授業や生活では見られないというのは、俺が多少なりとも皆と接するようになったからこそ思える事なのだろう。
授業に不真面目で、それを注意されると教師に反発してみせる事もある大川が、牛相手では妙にしおらしくなっていた。
いつも冷たい目をしている富士が、牛と目が合うと少しだけ優しい顔を見せていた。
自分の番が回ってくると、恐る恐る、教わった通りの作業をこなす。
牛は思った以上にデカイ。近くにいる時に少し動いただけでも、結構怖かったりする。
生暖かい乳へ手を伸ばし、人差し指から小指へ、指を上から順番に曲げていくようにして、搾っていく。
中々出てこない。
「もっと強くやっても大丈夫だよ」
係の人に言われ、少しづつ力を強くしながらその動作を繰り返すと、漸く下に置いた容器に飛沫が上がった。
それなりに力を入れたつもりだが、牛はまるで無関心。人間とは違い、その場所はあまり敏感ではないようだ。
俺の後に挑戦をした、こういう事が苦手であろうアキヒコは、案の定、作業中ずっと顔を引きつらせていた。
乳を搾る時にも腰が引けていて、その格好は中々笑えるものだった。
奴が戻ってくるやいなや、冷やかしの言葉を投げ掛ける。
「ビビり過ぎ」
「仕方ないだろ。話が通じない相手なんて怖いに決まってる」
そんな調子でアキヒコと話を続けていると、シャー、シャー、と勢いのある音か聞こえてきて、俺はそちらへ顔を向ける。
「た、高嶺さんっ!?」
と、驚いたのは、彼女の手際があまりに見事だったからだ。軽快な両手の動きに合わせ、ビームのように飛び出す牛乳。みるみると容器の中は白い液体に満たされていき、そのまま続けていたら牛が干からびてしまうのではと思える程だった。
牧場体験で搾った牛乳を使ってバターを作るというのは、定番のコースらしい。俺達もそれに従う。
容器に牛乳を入れてひたすら振るだけの単純作業であったが、意外に皆楽しそうだった。
そうして出来上がったバターは、昼食時にパンにつけて食べた。一緒に出されたのが、サラダやオムレツやソーセージといったメニューだったため、まるで朝食のようだと不満に思いもしたけれど、一口食べたところでその考えは覆された。
素材の旨さ、というやつだろうか。普段から口にする事の多い食品という事もあり、その違いがはっきりと感じられて、最後には却って贅沢をしている気分になった。
午後は、動物達とのふれあい。
「モフモフだな」
「そうだね。でも目、なんか怖くない?」
俺は木の柵の前に立って、アキヒコと一緒に白色のモフモフ。アルパカを眺めていた。
「可愛いだろ。クリクリで」
手に持っているスティック状の野菜を差し出すと、一頭こちらへやって来て、それを食べ始める。
むしゃむしゃと口を動かす顔は、なんだかマヌケだ。
「ええぇ!? そんなに沢山持ってないよ」
そこで聞こえてきた、彼女の声。
そちらへ顔を向け、俺は驚きの声を上げる。
「た、高嶺さんっ!?」
俺達から少し離れた場所で餌をあげようとしている彼女の前には、十頭以上のアルパカが群れを成していた。
彼女の魅力に惑わされたかのように、アルパカ達は一心不乱に彼女へ向かって首を伸ばす。
ここから見るとまるで白く巨大な毛玉が動いているかのようだ。
分かる。その気持ちは凄く分かるぞアルパカよ。
俺だって彼女に『あーん』をしてもらえるなら、あれくらい必死にもなる。
「やっぱりアルパカも人を選ぶって事なのかな?」
隣でアキヒコが言った。
「だとすれば、コイツは雌という事になるな」
俺は正面のアルパカへ顔を向ける。
「なんで雌?」
「雄なら高嶺さんと所へ行って然るべきだろ。最近俺、自分でもちょっとイケてる気がするし、もしかしたらコイツもそんな魅力に惹き付けられたのかもしれないな」
腰を屈めて真っ黒な瞳と目を合わせると、アルパカは不思議そうな顔をして首を傾げてみせた。
そして次の瞬間。
「プッ!」
「うわっ!」
アルパカが何かを吐き出し、その液体が俺の顔面に付着した。
慌てて手で拭い、その匂いが鼻に届いたところで思い出す。
「くっさっ! うわっ、くっさぁぁ!」
アルパカは相手を威嚇する際に、悪臭がする特別なつばを吐きだす事があるのだと。
悶絶する俺へ尻を向け、アルパカは高嶺さんの方へ去っていく。
急いで顔を洗いまくったが、その後暫くは匂いがとれず、アキヒコは俺から少し離れたところを歩き続けた。
それからも俺達は様々な動物と触れ合った。
山羊や羊や兎。その子供を触れるとなった時の女子のはしゃぎようは凄まじく、普段ツンツンしてばかりいる日和が優しい顔で子兎を抱いている姿は、何だか可愛いなと思ってしまったりもした。
楽しみにしていた乗馬体験は、思ったより地味なものだった。
俺が跨がった状態で、係の人が馬を引いて歩かせるというだけだった。
といっても馬の背中というのは思った以上の高さもあり、確かにここから落ちれば危険だろうなと納得もした。
尤も彼女には乗馬の経験があったようだ。
「た、高嶺さんっ!?」
騎手のように馬を走らせ、柵を飛び越えさせる高嶺さん。
馬上で黒い髪を靡かせるその姿は、動く絵画でも見ているかのようで、北海道に来てもやはり、俺は彼女に魅力に心を奪われてしまうのであった。
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