第26話 ドキッ!真夏のプールレッスン②
自分でも分かるくらいに上手く泳げていた。手で水を掻く度にぐんと進む感覚がある。その一掻きの勢いが衰えないように、ばた足が体を前へ運んでくれている。
しっかりとした練習をしていたわけではない。部屋のベッドの上に寝そべって、動画と同じ動きをしてみたくらいのものなのに。
多分、筋肉がついたおかげだ。以前までダルダルだった腹には、うっすらと縦の線入っている。最近痩せたんじゃないかと母親にも言われた。体が運動をしやすい形に変わってきているのだ。逆を言えば、これまでそれだけ筋肉と体力がなかったのだとも言える。
壁をタッチして「プファ」と立ち上がった。首を横へ振って水滴を払う。濡れた髪の毛を後ろへかきあげてオールバックのようにした。今の俺、ちょっとカッコイイのではないかと思う。
荒くなった息を整えながら辺りを見ると、言い争う事が聞こえてくる。
「だからそんなバタバタしたら沈んじゃうんだって!」
「しょうがないでしょ!怖いんだから!」
どうやらあちらは上手くいっていないようだ。隣のレーンの少し進んだところでは、旭が日和の手を持ってやり、沈まないように前へ進む練習をしていた。
俺は、仕方ないと二人へ近付いていった。
「代わろうか?」
そう声をかけたのは、日和を支えるには旭の身長が足りないように思えたのと、このままでは喧嘩に発展してしまいそうだったからだ。
「えっ。でもノボル兄ちゃんの練習は?」
「思ったより泳げそうだからな。それにちょっと疲れてきちゃったし」
「それじゃあ」
旭がスイーと日和から離れると、俺はその場所へ移動する。
「手、掴んで引っ張ってやればいいんだよな?」
旭は頷く。
「うん。とりあえず浮いたまま前に進む事を覚えた方がいいから」
「分かった。それなら俺一人で大丈夫だろうし、旭はあっちで遊んできてもいいぞ」
「本当に!?」
嬉々とした表情を浮かべる旭。ここへ入って来た時、コイツが波のあるプールなどを見て目を輝かせていた事には気付いていた。練習に付き合うために来ていると言っていても、遊びたい気持ちはあったはずだ。日和への口調がいつもより強くなっていたのもそのせいだろう。
「ああ。悪いけどまだ一緒に遊んではやれないけどな」
「ウォータースライダーもやっていい?」
「おう。でも一人で大丈夫か?」
「うん!平気だよ全然!」
「それならいいぞ」と俺が言うと、旭はあっという間に競技用プールから飛び出して、人込みの中へ消えていってしまった。
その場に二人だけになると、途端に心細いような落ち着かない気持ちにさせられる。
「わ、悪かったわね。気を使わせちゃって」
日和は髪の毛を弄りながら、俺と目を合わせずに言った。
「いや。いつも付き合わせちゃってるのはこっちだからな。アイツより教えるのは下手かもしれねぇけど、一応レッスン動画とか見てきたし、悪いけど俺で我慢してくれな」
「別にいいけど……」
そう言って日和は両手を俺へ差し出した。
その姿に「うおっ」となったのは、日和が妙に女っぽく見えてしまったから。
綺麗で小さな手。俺より少し低い身長。濡れた髪の毛。そこから落ちた水滴が、首筋を滑るように流れ、鎖骨を通って胸の谷間に吸い込まれる。
いかんいかん。何をドキドキしているのだ。
「よ、よし。じゃあ手、掴むぞ?」
「うん」
「いいか?触るからな?」
「いいって言ってるでしょ!早くしなさいよ!」
意を決して掴んだ日和の手は、見た目通り小さくて柔らかった。
向き合っているのが恥ずかしくて、顔を下へやって言う。
「泳いでみろよ。怖かったら顔はつけなくてもいいから」
「う、うん」
日和が水中で浮かんで、ばた足を始めると、俺はそれに合わせて後ろへ下がっていく。
「いいじゃないか。そのまま。焦らなくていいから」
励ますように声をかけながら、日和の手を引いていく。
「そう。じゃあ次は顔をつけてみて。無理しないでいいからな」
今日やっと人並み程度に泳げるようになった俺が、人への教え方など知っているはずもない。それでも少しずつ、日和が泳ぐ形に近付いていけるように考えながら練習を続けた。
一時間程やっただろうか。どうにか日和も、顔をつけたまま、ばた足で進む事くらいは一人で出来るようになった。
そのあたりで日和の息が荒くなってきため、一度立ち止まって休憩がてら話しかける。
「プールは来た事なかったけどさ、そういえば小さい頃に一度だけ、一緒に海行った事あったよな。日和の家のおばさんが連れて行ってくれて」
「ああ、うん。小学生の時」
「あの時日和、海が怖いって言って全然近付こうとしなくってさ、でも一緒に遊びたいって駄々こねて泣き出して。結局俺が手引っ張って波打ち際まで連れて行ってやったんだ」
「お、覚えないわよ。そんな事」
彼女は恥ずかしそうに視線を泳がす。
「そうか。俺は結構覚えているだけどな。でもやっぱ日和は凄いよな。あんなに怖がっていた事にも今こうして向き合おうとしている。昔からそうだった。俺がからかわれたりしている時も怖いはずなのに間に割って入ってきて」
「そ、それはアンタがっ!」
と、日和はそこまで言って口ごもる。「ん?」と聞き返してみるが、彼女は顔を真っ赤にして俯くばかりだった。
まぁいいかと気を取り直し「よし。そろそろ続きやるか」と口にすると、日和は頷く。
しかし突然ハッとした様子を見せる。俺の頭へ手を伸ばし、それを自分の胸の方へ引き寄せた。
ボヨンと顔にぶつかる、二つのお山。
「ひ、日和さん」
口を動かすが、両頬に押さえ付けられたフニフニと素敵な感触がするもののせいで、上手く発音できない。
「しっ。静かに!」
日和は耳元でそう言うと、俺の体を隠すようにプールサイドの方へ背を向ける。
「もご、もごごごっ」
更に顔を押し付けられ、呼吸を塞がれる。すごい力だ。すごい弾力だ。
そしてやがて聞こえたその声。
「おおー、結構混んでるなぁ」
大川のものだった。続けてガヤガヤと、ウチのクラスの男子達の声が聞こえてくる。
「ど、どうしよう」
呟く日和。その焦りは尤もだった。
夏休みに一緒にプールへ来ているところなんて見つかってしまえば、きっと良からぬ噂を立てられるに違いない。下手したら今後の学園生活に、支障をきたす可能性だってある。
大川達はコチラへ気づかず別のプールへ向かった模様。しかしこのままここにいれば、いずれ見つかってしまうだろう。
日和の胸から開放されるやいなや、俺は日和へ囁く。
「俺がこっそり抜け出すよ。日和は弟と来たといえば誤魔化せるからな。旭に悪いけど先に帰ったと言っておいてくれ」
「で、でも」
「大丈夫。見つかりゃしないって」
不安そうに日和が頷くと、俺は早速任務を開始する。
幸いこの競技用のプールは更衣室の目の前に位置している。だからこそ大川達が入ってきた時、その声を聞いたのだが、つまり着替えを済ませてそこから出てきたばかりの奴らが、直ぐにここへ戻ってくる可能性は低い。
今すぐに更衣室へ駆け込めば、奴らに見つかる事なくこの建物から脱出する事が出来るだろう。
俺は大きく息を吸い、潜水してプール内を移動した。更衣室の間近のプールサイドの所で顔を出し安全を確認。そして一気に水面から飛び出すと、更衣室へ駆け込んだ。
「あっ……」
ロッカーが並んだ狭い空間。目の前に現れたのはカースト頂点に君臨する男、富士義輝だった。
水泳の授業の時も思ったが、美しい体だ。色白の肌にほどよくついた筋肉。整った顔立ちも相まって、まるでギリシャ彫刻のような風貌。
「な、なんで……」
驚きで口をパクパクとさせていると、富士は不思議そうな顔を見せる。
「いや。大川達に誘われたから。根尾もそうなのか?」
なんて答えようかと頭を悩まさていると、プールの方からペチペチと複数の足音が近付いてくるのが分かる。
一緒に聞こえるガヤガヤとした声は、ウチのクラスの連中のものだ。
「う、うわ。やべぇ!」
あたふたとしている間に、後ろのドアが開かれる。
その瞬間。俺は腕をぐいっと引っ張られた。
「おい、富士。はやく来いよ。山本も来てるぞ」
大川の声だった。日和が見つかったのだろう。
「ああ。いま行くよ」
「あいつ、弟と一緒に来てるんだってさ。ビキニ着てたぜ、ビキニ」
「興奮し過ぎだろ」
離れていく二人の足音を、俺はロッカーの死角で尻餅をついたまま聞いた。
どうやらまた、富士義輝に助けられてしまったようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます