第27話 アキヒコ、グッジョブ


 夏休み明けの水泳の授業で、日和は驚きの上達ぶりを見せた。アイツらとプールへ行ったのはあの1日だけだったが、きっと俺のいないところで沢山練習を積んできたのだろう。


 俺も一人で何度かあのプールには通ったが、その成果はほどほど。それよりも夏休み中はアルバイトに精を出していた。


 今や俺はクラスの中で、運動ができて当たり前の奴だと思われている。一人きりでやる水泳という種目でそれなりのタイムを出したところで、大して目立てるわけでもない。そこへ多くの時間と労力を費やす必要を感じなかったのだ。


 長い休みを終えた後の学校は、やはり楽しい。二ノ森とはバイトで会っていたし、大川や高尾さんとは時々連絡を取り合っていたが、話し相手がいるという事の幸せを改めて感じさせられる。


 プールでの事で富士に礼を言ったが「なんの事だ?」とはぐらかされてしまった。イケメンめ!


 久しぶりに目にした高嶺さんは、相変わらず最高に美しかった。思わず「うひょー、最高かよ!」と叫びだしそうになったくらいだ。


 そうしてまた俺の成り上がり生活が始まった。


 毎日、カースト上位陣の仲間入りを目指して、様々な課題に取り組みながら日々を送った。


 大川以外の上位陣の奴らへこちらから積極的に話し掛けに行ってみたり、放課後の買い物やゲームセンターという初めても経験した。


 少しずつ、山を登っている気がしていた。ただ、高嶺さんへ近付いているという気配はまるで感じられなかった。


 そのまま一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、このまま続けていても卒業まで彼女との距離が縮まる事はないのでは?そんな不安を抱き始めたある日の事だ。



 昼休み、俺達は実習棟二階と三階を繋ぐ階段に座り、三人で昼飯を食べている。そう三人でだ。


 無二の親友、筑波明彦ツクバ アキヒコと一つ年下の小動物系巨乳女子、高尾花さんである。


 彼女を含め、隣のクラスの汐見や同じクラスの一部の女子とは時々会話を交わすようになっていた。まともに受け答えが出来る事はあまりないのだが、カーストを上がっていけば女子とお近づきになれるという当初の考えは間違っていないようなのだが……


「ね、根尾先輩!」


 高尾さんに声を掛けられ、俺は彼女の方へ顔を向けた。


「今日のお弁当。私、自分で作ってみたんですよ」


「へぇ。すごいね。料理できるんだ」


「できるって言える程ではないんですが、今練習中で。それで、もし良かったら根尾先輩に味見して欲しいなぁ、なんて……」


 そう言って彼女は上目遣いで見つめてくる。夏服を装備した事により、更に攻撃力の上がった彼女のボインが目に入る。こんな状況で断れる男なんてこの世に存在しない。


「俺で良かったら」


「本当ですか!?うれしい!」


 それじゃあ、と言って彼女は自分の弁当の卵焼きを箸で持ち上げた。


「あ、あーん」


 そして顔を赤くして、それを俺の口元へ近付けてくる。


 えっ?ええっ!?


 食べるって、そういう感じ?


 途端に五月蝿くなる俺の心臓。


 これ、受け入れていいのだろうか?高嶺さんへの浮気とかになってしまわないだろうか?いやいや、浮気も何も俺達はまだそんな関係ではないわけで。そもそも高尾さんもただ俺に味見をしてほしいだけ。こうするのが一番手っ取り早いからそうしているだけなわけだから、俺がドキドキする理由はないのだ。それにしても彼女は何故、あんなに恥ずかしそうな顔をしているのだろう?


 考えている間に卵焼きは唇に触れる程まで近づいてきていて、俺は半ば反射的にそれを受け入れた。


 舌の上に固形物が乗っかり口を閉じると、箸が引き抜かれる。続けてモグモグと口を動かす。


「ど、どうですか?」


 彼女の不安そうな瞳が俺を見つめてくる。


「うん。ウマイよ。すっげぇウマイ」


 正直、緊張で味などまるで分からなくなっていた。しかしこの状況で使える他の言葉を、俺は持ち合わせていなかった。


「本当ですか!?嬉しい!」


 満面の笑みを浮かべた彼女を前にし、途端に恥ずかしくなる。みるみると熱くなっていく体。それを誤魔化すようにアキヒコへ顔を向けた。


「ア、アキヒコも一口貰ってみたらどうだ?ウマイぞ」


「いや、僕。人の作った料理とか無理だから」


 躊躇なく放たれたれた言葉に、凍りつくその場の空気。こんな性格だからコイツは今まで俺くらいしか友達がいなかったのだろう。多くの人間と付き合うようになった今は、以前に増してそれを感じるようになった。


 まぁ、そこがアキヒコのいいところなんだけど。富士ですら人目を気にして仔犬を隠して育てたりしていたというのに、コイツにはそういところがまるでない。


 休み時間、スマホゲームをやっていたところ、後ろからアドバイスをされた事が知り合った切っ掛けだったが、それから人付き合いの苦手な俺が何となく関係を続けていられるのは、コイツのこういう明け透けな性格が理由なような気がしていた。



 そんな事があった日の放課後。クラスでホームルームが開かれた。


 文化祭が数ヶ月先に控えていた。この日はその実行係をクラスの中から二人、選ばなければならないらしい。


 この学校では文化祭の際に、各クラス男女二名の実行係を決める事になっている。実行係はクラスのまとめ役に加え、文化祭そのものの運営に携わる事になる。


 まぁ、こういうのは文化祭に積極的に参加するようなクラスの目立つ奴の中から選ばれるものだ。俺には関係のない事。つまり放課後の貴重な時間を奪われるだけの無意義なイベントだと言えた。


「やりたい人、いますか?大変だけどやりがいのある仕事だと思いますよ」


 教室の中、教壇に立った担任なよなよとした中年男性が立候補者を募る。


 誰も手を上げようとしない。


 それはそうだろう。そんな面倒、自分から引き受けようという奴はいない。いたとしても、大抵の奴がそんなふうに思っているこの場で手を上げるのは、勇気が必要な事に思えた。


 早く終わらないかなぁとぼんやり窓を眺めていると続いて推薦者はいないかという話が上がる。


「お前やれよ」なんてコソコソと話し声が上がり始める。そこで一人の女子生徒が手を上げた。訳あって俺の視界によく入り込んでくる女子だ。


「高嶺さんが適任だと思います」


 クラスの誰もが「ああ、確かに」という反応をしてみせた。


 そこで「ええ!私!?」と驚いた高嶺さん。やはり可愛らしい。推薦したのは彼女と特に仲のいい女子の一人で、彼女が「うん。れんやりなよぉ」と笑みを浮かべると高嶺さんは「えぇ、どうしよう」と教室を見渡した。


 異論を唱える者は、誰もいなかった。


「それじゃあ……」


 躊躇いがちに彼女が言うと、教室で拍手が上がる。お調子者の大川が「頼むぞぉ!」なんて声を発して、笑いが起こった。


 思えば彼女程の適任者はいないだろう。しっかりしているし、人望もある。そして美しい。


「それじゃあ、次は男子ですね。推薦したい人はいますか?」


 場が落ち着いたところで担任ちょっとオネェっぽい中年男性が言う。


 まあ男子は完璧人間パーフェクトヒューマン浅間あたりが妥当だろうなと思っていると、思わぬ人物が手を上げた。


「えっ!」


 と、思わず声を漏らしてしまったのは、俺の知るその人物は、こんな場所で手を上げるような人間では決してなかったからだ。


「筑波君。誰を推薦しますか?」


「根尾君がいいと思います」


 筑波明彦アキヒコが口にしたのは、あろうことか俺の名前だった。


「なっ……え?」


 絶句している間に、クラスメイト達がガヤガヤと騒ぎ出す。


「えー、根尾?」


「根尾じゃあ、ちょっと無理なんじゃない?」


 そんな声が一部の女子から上がる。


 ごもっとも!


 俺は胸の内で叫ぶ。


 しかし全ての生徒が同じ考えではないようなだった。


「あー、いいじゃん根尾。結構真面目だし、俺らも話しやすいし」


 口にしたのは目の前の席に座る大川だ。


「お、俺も根尾なら賛成かなぁ」


 そこへ二ノ森も続く。


 それを皮切りに、これまで言葉を交わした事のある男子達が次々と発言し始めた。


「確かに言われてみれば」


「いいんじゃないか?」


 え?マジで?


「富士もそう思うだろ?」


 決め手となったのは大川のその言葉で、富士義輝がコクリと頷くと、異を唱える者は誰一人としていなくなった。


「それじゃあ、もう一人の実行係は根尾君にお願いしたいと思います」


 パチパチと拍手がなる。


 唖然となったままそれを聞いていると、大川がこちらを振り向いて囁いた。


「良かったじゃねぇか、根尾。これで高嶺と一緒にいる機会が増えるぞ」


 大川の言葉で、漸く俺は気がついた。


 あっ。だからアキヒコはあんな柄にもない事を。


 文化祭実行係。確かに一緒に実行係になれば、ごく自然に、必然的に、高嶺さんと接する事ができるだろう。


 全てを察した俺は、膨らんでいく期待と緊張を感じながら、心の中で奴へサムズアップを向けた。


 アキヒコ。グッジョブ……


 

 


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