第6話 涙


 二年生になって、選択授業というものを受けるようになった。


 選択授業はこれまでのようにクラス単位ではなく、二年生の中で、その教科を選択した生徒達を集めて行われる。


 各人の進路や興味に合わせて、それぞれの学びたい授業を選択できる。という事らしいが、特に夢も得意科目も持たない俺のような人間は、尤も楽を出来そうな授業を選ぶ事になる。


 芸術系の選択授業の時間。歌ったりするよりはマシだろうと俺が選んだのは美術の授業で、そこに高嶺さんの姿があった事は僥倖という他に言い様はなかった。


 今日の美術の授業では粘土を使って自分の好きな物を作る事になっていた。まるで幼稚園のような授業だと思わない事もないが、何時間かをかけてこの授業で作られた作品は、大きく成績に影響するらしい。


 当初は粘土をただ丸めて、我らが暮らす愛すべき星などと言って済ませてしまおうかとも思っていた俺であったが、どうやらそんな半端は許されないようだ。


 とはいえ、楽そうという理由だけでこの授業を選択した俺。そんな事へのセンスを持ち合わせているわけがなく、題材すら決められずに、机の上の粘土は未だに手付かずのままになっていた。


 左斜め後ろ。クラスよりも近い距離。しかし姿を拝む事が困難なその場所に座った高嶺さんを想い、いっそ彼女を題材にとも考えたが、俺のような人間が彼女をモデルにするなんておこがましいにも程がある。彼女の魅力を再現させる事など、あのミケランジェロにだってできるか分からない。


 思えば俺は、彼女が転校してくるまで、本当のとは出会って来なかったような気がした。


 ゲームやカレーは、勿論好きだ。だけどそれは多分、他の奴らと変わらないくらいのであって、本当のではなかったような気がする。


 例えばクラスの坊主頭の奴らにとっての野球とか、アキヒコにとってのアニメみたいなとは違う。どうしても諦めなければならないと言われれば、諦める事ができる程度のものだったのだ。


 つまり高嶺さんこそが、俺の一番最初の本当のだったのだ。そこで高嶺さんをモデルに出来ないとなれば、何を作るべきかと益々思い悩まされてしまうのだった。


 そんな俺の右側で、アキヒコは黙々と粘土を弄り続けている。


 そこで「うわ、お前すげぇな」と思わず漏らしてしまったのは、アキヒコの机の上では、既に10センチ程のフリフリとした洋服に身を包んだ美少女が出来上がっていたからだった。着色さえされていないものの、まるでフィギュアのような出来映えだ。


「得意なのか? こういうの?」


「ううん。初めてやったよ」


「は? そんなわけねぇだろ。このクオリティで」


「別に出来るよ。マミルの姿ならどの角度からでも脳に焼き付いているからね。多分縮尺だってそう違ってはいないはずだよ」


 自慢気に言うアキヒコへ「マミル?」と首を傾げる。アキヒコは「うん。魔法少女マミル」と、当然のように返した。


「お前さ。こんな事出来るならアレなんじゃないか? ほら、例えばだけどこのキャラの服が無いバージョンとかも……」


 言いかけたところで、アキヒコは珍しく鋭い視線をこちらへ向けてくる。蛍光灯を反射し光るメガネが、異様な迫力を醸し出している。


「それは作品へ対しての冒涜だよ。僕らファンは、完成された作品そのものを愛してこそのファンなんだ。締め切りに追い込まれたせいで荒くなった作画、規制のせいで不自然に映り込むエロシーンの黒い影すらも愛するのが真のファン。つまり、エロを楽しむならばその作品で描かれたありのままのものをエロとして。そこへ自らの欲望に手を加える事などあってはならないんだよ」


「いや、でも。お前持っていたじゃないか。同人誌って言ったっけ? ああいうやつとかも」


「二次創作は二次創作として魂の込められた一つの作品だもん。原作とは別の作品として楽しむものだよ。僕に出来るのは原作の模写で創作ではないからね。その一線を越える事はあってはならない。分かるだろ?」


「いや。さっぱり分からん」


 首を横へ振ると、アキヒコは諦めた様子で作業を再開した。


 結局俺はその授業を、題材も決められないままで終わる事になった。昔から、こうした授業は大抵期限ギリギリになって慌ててやる事になる。今回はそうならないようにしよう。いつも最初はそう思う。


 思いもよらぬ事が起こったのは、授業が終わった後、自分達のクラスへ戻ろうかというその時だった。


「あっ、それって……」


 俺とアキヒコがいる机の横を通り抜けようとしたところで、高嶺さんがこちらを向いて足を止めたのだ。


  初めての距離、初めて向けられた視線に、全身が発熱し、心臓が体から飛び出してしまいそうな勢いで暴れまわる。


 何か答えなければならない。思いはすれど、口から出てくるのは「えっ、あっ、やっ、その」という、言葉にならない声だけ。


「マミルだよね」


 高嶺さんは、机の上を指差して言った。


「あっ。知ってるんだ」


 彼女を前にしても平然としていられるアキヒコの偏愛体質を、この時ばかりは羨ましく思った。


「うん。私、アニメとか結構好きで。てかそのマミル、もしかして敵に洗脳されちゃった時の?」


「そう! 良く分かったね。色まだ着けていないのに」


「だってほら腰のリボン。普段のと形が違うから、もしかしてそうかなぁて」


「へぇ、中々やるねぇ。因みにこの袖のところもね……」


 自分の作品を片手に、嬉々とした様子で語り始めるアキヒコ。俺はその間、高嶺さんがこれだけの距離にいるという喜びに、ただ全身を震わせていた。


 いつまでも感じていたい喜び。しかし間もなくして「レン?」と、高嶺さんを呼ぶ声。


「あっ、行かなきゃ。筑波ツクバ君、完成したら見せてね」


「あ、うん」


「根尾君も、またね」


 高嶺さんはそう言って手を振ると、教室の出口へと小走りで去っていった。


「何だか意外だったね。高嶺さんがアニメ好きなんて。でも良かったじゃんノボル。どうやら彼女、悪い人じゃなさそうだ」


 相変わらずの偏見にまみれたアキヒコの言葉は、殆んど俺の耳に入って来なかった。返事をしない事を不思議に思ってかこちらを向いたアキヒコは、


「てかノボル! 何で泣いてるの!?」


 と驚きを露に声を漏らす。


「名前……」


「え?」


「なまえ呼んでもらえたあぁぁぁ!」


 涙を流し、天井を見上げて叫んだ俺に、教室中から冷たい視線が突き刺さる。そんな事はどうでも良かった。


 高嶺さんが俺の名前を覚えていてくれた。それどころか、その名前を呼び、手までお振りになって下さったのだ。


 生まれて此の方、これ程までの喜びがあっただろうか。


 俺は興奮そのままに、アキヒコの肩を掴んで口にする。


「アキヒコは持っているのか? その、魔法少女なんとかっていうののDVD」


「マミルね。魔法少女マミル。限定版とか保存用に買った未開封のやつとか合わせると4BOXあったっけな」


「貸してくれ!」


 高嶺さんの意外な一面。俺からしてみれば、それは彼女の魅力を引き立てるための最高のスパイスでしかなかった。


 そして初めて知った好きな人の趣味。これを共有したいと、思わないわけがないのだった。


 だけどアキヒコは冷酷に口にする。


「嫌だよ。汚れるし」


「いいだろ、貸すくらい。大体ファンならもっと沢山の人へ作品を知ってもらおうと思うのが普通なんじゃないのかよ」


「知ってはもらいたいけど、無料で作品を広めるのは違うよ。制作者の方々への敬意を感じているなら、むしろ多くお金を使うようにするのが正しいファンのあり方さ。もし買うなら中古なんか買わないようにね。違法アップされた動画で済ませようなんてのは以ての他だから」


 ここまで言われてしまえば仕方がない。手痛い出費であるが、自分で買う他にないだろう。愛は、金なんかよりずっと重い。





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