第8話  決めるぜ!恋のゴール! 特訓編


 タタタタ。


 タタタタ。


 あれから毎日、ドリブルの練習を続けている。少し慣れてきただろうか。道路を往復する際の、ターンがスムーズになったような気もする。


 ドリブルの前に少しだけやっているリフティングは、三回程なら連続で続けられるようになった。


 とはいえサッカーが上手くなった実感は薄く、どちらかといえば夕食がいつもより美味い、寝付きが前よりよくなった、といった変化の方が、強く感じられていた。


 あれから体育の授業は二回あったが、どちらも仮病を使い、見学へ回った。


 徐々に上手くなっていくところを見せるより、いきなり活躍をした方が、より強い印象を皆に与えられると思ったからだ。


 とはいえ、見学をしている時も、これまでのように漫然と時間を過ごしていたわけではない。試合で活躍する他の生徒達の動きを研究し、自分がピッチに立った際の、イメージトレーニングを重ねた。


 授業へ取り組む態度という事で言えば、クラスの中で俺が最も模範的な生徒だっただろう。


 そしてこの日は休日。これまで練習に費やせたのは、放課後帰宅してから母親が帰って来る一時間程度だけであったが、今日なら一日中、練習をしていられる。といっても、動きだすのが昼過ぎからになってしまったため、正確には半日だけなのだが。だがそれだけ練習すれば、次の授業には試合に出る事が出来るだろう。


 道をただ往復するだけではなく、時折、蛇行してみたり横向きで進んでみたりする。技術の向上のためというより、ただ走っているだけなのが退屈だからだ。


 しばらく練習を続けていると、丁度その前を通り掛かるところで、日和の家の玄関の扉が開いた。


 しまった、と身を隠す事を考えたが、そこから出てきた人物を見て、動きを止める。


「あれ? ノボル兄ちゃん」


 日和の弟、山本旭ヤマモトアサヒだった。坊主頭の日焼けした少年。キリッとした目付きは日和によく似ている。俺より五歳年下だったから、今は小学6年生か。

 

「久しぶりだな」


 ボールへ足を乗せたまま、口にする。


 日和と遊んでいた頃、よく俺達の後ろについて回っていた旭とは、日和との距離が離れていくにつれ必然的に会う機会が減っていっていた。


「サッカーしてるの?」


「ああ」


「一人で?」


「ま、まぁな」


 中々痛いところをついてくる。


「旭はどっか出掛けるのか?」


「うん。友達と遊ぶんだけど、ノボル兄ちゃんも来る?」


 同情させてしまっただろうか?


 まぁ、それも仕方ないかもしれない。高校生にもなって一人ぼっちで家の前でサッカーボールを蹴っているところなど見られてしまっては。


「いや、流石に旭の友達にも悪いだろ」


「大丈夫だよ、そんな事気にしなくて。そうだ。丁度いいからサッカーやろうよ。メンバーも集めるから」


 有無も言わせない態度で旭はポケットからスマホを取り出した。慣れた様子で操作し「よし」と満足げに口にする。


「十人くらいなら来れそうだよ」


「誘ったのか!? 今の時間だけで!?」


「別に普通でしょ。アプリでメッセージ送っただけだし。休み日のこの時間は暇している奴多いからね」


 俺、この小学生に色々と負けている気がする。


 旭の誘いを強いて断らなかったのは、コイツ自身がそれを望んでいる様子であったのと、大人数でサッカーが出来るという魅力に惹かれたたためだった。


 サッカーは小学校のグラウンドでやるらしい。


「グラウンド。そんな簡単に使えるのか?」


「先生に確認したらいいってよ。今日はサッカークラブも使っていないみたいだし、ノボル兄ちゃんの事も卒業生だって言っといたから大丈夫だと思う」


 世界は人と人の繋がりによって回っている。つまりコミュニケーションが上手い奴程、上手く世界を生きる事が出来るのだ。


 コイツはこれから先も、順風満帆な人生を歩んでいくのだろう。なんといってもイケメンだし。


「……旭。お前、彼女とかいるか?」


「え? ううん。今はいないよ」


「今は、か……」


 そこそこのダメージを心に抱えながら、グラウンドに到着した。


 数年ぶりに訪れた懐かしいグラウンド。あの頃から大きな変化はない。


 メンバーが集まるのを待ちながら、旭や、到着した旭の友人達と言葉を交わした。


 人見知りの俺だが、昔から旭とよく遊んでいたせいか、年下が相手だとわりと普通に話せたりする。


 メンバーが揃うと、ゴールを移動させ、小さなコートを作った。五体五のミニゲームだ。普段からよくやっているのだろう。準備の手際がいい。


 じゃんけんでコートとボールを決め、こちらのチームのボールからキックオフ。


 ニヤリと嬉しげに笑った旭が、俺にボールを渡してくる。


 俺はそれを受け取り、敵陣へ向かってドリブルを始めたら。


 数日間練習を続けたドリブルだ。


 あっという間に……前から走ってきた相手チームの少年に奪われる。


「くそっ!」


 慌てて奪い返しに走るも、ボールを蹴りながら進んでいるはずの相手に、まるで追い付けない。


 ゴール手前までボールを運ばれ、しかし味方チームの少年がそれをカット。巧みパスワークで旭までボールが繋がると、旭は驚くべきスピードで、敵のゴールへ向かい走りだす。


「ノボル兄ちゃん! 上がって!」


 言われて俺は「上がる? ゴールの方へ向かえばいいのだろうか」とその横へ続いた。


 旭が敵のディフェンダーに足止めを食らうと、俺はその間に、相手のゴールの目の前に。


 ここなら、ちょんと触れるだけでもゴールを揺らせる。


「パス! パス、パス!」


 手を上げて、旭に呼びかける。


 しかし俺の元へは、一向にボールはやって来ない。


「パース! 旭、一人で無理をするな!」


 更に声を上げる。


 旭は一瞬困った顔を見せてから、後ろへボールを戻した。


「アイツ、何でパスしてくれねぇんだ……」


 最初にいきなりボールを取られたの事で嫌われてしまったのだろうか?


 首を傾げているところで、間近にいた相手チームのゴールキーパーが俺に言う。


「あの。そこでボール受け取っても、オフサイドになっちゃいますよ」


「へ? 何それ?」


 そんなこんなでルールもよく分かっておらず、また、ドリブルは出来てもパスやシュートはまるで練習をしていない俺は、その後もチームの足を引っ張り続けた。


 徐々に旭以外のチームメンバー達からの視線が厳しいものになっていき、とうとう俺は試合を中断させる。


「ごめん! やっぱ俺混ざると駄目だな。皆に迷惑かかっちゃうし。あとは皆だけで楽しんでくれよ」


 皆を集めて、手を合わす。


 小学生相手に、こんな事を言わなければならない自分が情けない。


 旭が「別に遊びなんだから気にしないで大丈夫だよ」と口にするが、他の子供達は明らかにそんな表情はしていなかった。


「実は今高校の体育でさ、サッカーの授業をしてるんだけど、皆が見た通りの実力でね。だから上手くなろうと皆とのサッカーに混ぜてもらったんだけど、もう少し一人で練習をする事にするよ」


 そう言ってグラウンドを後にしようとする俺。しかしそれを旭が呼び止めた。


「じゃあさ! 皆でノボル兄ちゃんを特訓しようよ!」


「えっ、でも」


 と、旭の友人達は怪訝な表情を見せる。


「いいじゃん、やろうよ。きっと面白いって。皆でメニュー考えてさ、ルールやシュートのやり方なんかを教えるんだよ!」


 キラキラした瞳。迷いのない態度。きっと人を惹き付ける人間というのは、旭のような人なのだろう。


 旭が身振り手振りで語っていくと、次第に他の子供達がやる気になっていく。


 いつも俺と日和の後ろを着いてきていた旭が、まさかここまで立派に成長しているとは。


「それにノボル兄ちゃん、サッカーはあんなんだけど、本当に凄い人なんだぜ。昔は俺や俺の姉ちゃんを引き連れて、色々な遊びをしてくれてさ」


 その言葉に。そういえば、昔の俺は、こんな風だったかも知れないなと思い出す。


 人と上手く話せなくなったのは、色んな事を見て、色んな痛みを知って、自分や自分の言動に、自信が無くなってしまったからだ。


 それなら、と俺は思う。


 それなら今の俺にも一つだけ、迷わずに言い切れる事がある。


 俺は旭と子供達の前へ出て、深く頭を下げた。


「皆、頼む! 悪いけど協力してくれないか? 俺、サッカーの授業で格好いいところを見せたい相手がいるんだ!」

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