第14話 ピンチ


 男達に連れられ、階段を下りて外へ出た。相手は10人以上もいる。どうにか出来る自信はなかったが、彼女のためならば幾らでも殴られてやる覚悟はあった。


 自分はどうなってもいい。彼女が逃げだす隙だけは作らなければ。


 しかしそう思った矢先……


 自動ドアを潜ったところで、突然掴まれた俺の右手。


「逃げよ!」


 そう言って俺の手を掴んだまま走りだしたのは、高嶺さんだった。


 彼女に引かれ、大通りを走りだす。


「ど、どうして?」


 思わず口すると、


「だってあのままじゃあ、根尾君が酷い目にあっちゃう」


 彼女はそう答えた。


「おい! 待て!」


 怒声を上げながら追ってくる男達の事など、最早どうでも良くなってしまいそうだった。何故なら高嶺さんの温もりを、俺の右手が感じているからだ。そして彼女が俺の予想した通りの優しい心を持っていたからだ。これを幸福と呼ばずなんと呼ぼうか。


 それでもこれでは高嶺さんを助けた事にはならない。


 俺達は必死で走り続ける。


 男達は怒声を上げるばかりで、こちらとの距離は中々詰める事が出来ぬようだった。


 それもそうだろう。


 相手は放課後、街を彷徨いているだけの不良達。部活をしているわけでもなければ、おそらく体に悪い事もやっている。


 一方のこちらは抜群の運動神経を誇る高嶺さんだ。そして俺だって体育の授業のためのトレーニングのおかげで、最近は体力もついてきていた。


 このままいけば逃げ切れる。少しずつ小さくなっていく後ろの男達に声に、そんな期待を抱き始めたその時、突然背後で鳴り出した騒音に、慌てて俺は後ろを振り向いた。


 バイクだ。


 何処か近くに停めてあったのだろう。バイクに乗った奴らの数人のメンバーが、交通ルールをまるっきり無視して俺達を追いかけてくる。


「ど、どうしよう!?」


 焦った声を漏らした高嶺さん。


「こっちに!」


 今度は俺が彼女の手を引いて先行していく。


 大通りを逸れて小路へ。そのまま学校がある方へ進んだ。


 みるみると縮まっていく奴らとの距離。


 最初に俺達を生身で追いかけていたメンバーも、途中でバイクの後ろへ跨がった様子。震えるようなエンジンの音に混じり、怒声や罵声が聞こえてくる。


「こっち!」


 奴らがスピードを出せる道は分が悪い。狭く、曲がり角の多い道を選んで進んだ。


 毎日通っている学校の近所であるため、それくらいの土地勘はある。


 とはいえそれは相手にも言える事であり、更にはあちらは相当バイクの運転に馴れている様子。俺の作戦はあまり効果がなかった。


 アスファルトの地面に鳴る二人の靴音。


 そこへ迫ってくるバイクの排気音。


 もしかしたら奴らは始めから前を走る俺達に追い付くつもりなどなかったのかもしれない。


 人間の足とガソリンで動くバイク。そこにある差は、速度だけに限った話ではないのだ。


 俺の体力は、高嶺さんより先に限界を迎えた。


 寂しげな住宅街。その一角にある空き地へ入った俺は、ゆっくりとスピードを落とし、足を止めた。


「ね、根尾君!」


 焦った様子で声を上げる彼女。


 その間に何台ものバイクが空き地へ乗り込んで来て、あっという間に入り口を封鎖する。


 背後には建物。左右は民家の塀に挟まれているため、逃げ場はもうない。


「ああ、うざってぇ。手間かけさせやがって」


 オールバッグの男達がバイクから降り、こちらへ歩み寄ってくる。一緒にいる男達も、ぞろぞろと俺達を囲んだ。


「ごめんね、根尾君。巻き込んじゃって」


 両膝に手をやって荒い息を繰り返す俺へ、高嶺さんは言った。


「あとは、自分で何とか……」


「大丈夫!」


 俺は彼女の言葉を遮って体を起こし、男達の視線から彼女を隠すように前に出る。


 正直、確証も自信もなかった。


 しかしどうやら俺は、賭けに勝ったようだ。


 後ろで聞こえた扉を開く音に、笑みを浮かべる。


 そう。俺だけが知っている秘密。この時間、この場所には、アイツがいるのだ。


「騒がしいから出てきてみりゃあ。根尾と、高嶺? 何やってんだよこんな場所で」


「えっ!? 富士君!?」


 背後から現れた富士義輝フジヨシテルの姿に、高嶺さんは驚いた表情を見せる。


 誰かを巻き込みたくない。そんな彼女のように優しく、俺はなれない。


 勿論、自分の身を呈して彼女を守れるなら、躊躇わずにそうするだろう。


 しかしそれが叶わぬと言うのなら、放課後に愛犬と仲睦まじく過ごす、最強の男だって利用する。


 腕に仔犬を抱いたままの富士は、俺を見て、そしてその先にいる男達を見た後、納得した様子で息を吐いた。


「あぁ、何となく察したけど。根尾、お前って意外と腹黒いとこあるんだな」


「ごめん。これしか方法浮かばなくて」


 苦い笑いを浮かべると、富士は「ちょっと離れてろよ」と仔犬を地面に下ろしてこちらへやって来る。


 すると正面にいる男達がざわめきだした。


「ア、アイツ。富士義輝じゃねえか」


「くっ、なんでこんなところに」


 富士はそれを気にする素振りも見せずに、俺の横で気だるげに首を鳴らす。


「まぁ、お前には借りがあるからな。一つ頼み聞いてくれれば手助けしてやるよ」


「た、頼みって?」


「修学旅行。もうすぐだろ? その間、あのチビを預かってくれるところを探してもらいたい」


 廃工場の入り口のところで小さく震えている仔犬を指して富士は言う。お安いご用だ。口にしようとしたところで「それなら私の家で」と、高嶺さんから声を上がった。


 富士はニヤリと笑う。


「交渉成立だ。アイツらを追い返して、今後一切お前らにちょっかいを掛けられないようにしてやる」


 俺達はそこまでハッキリと頼んだわけではない。しかし、まるで初めからそうする事を決めていたような口振りだった。


 富士が前へ一歩踏み出すと、たじろいだ様子を見せる男達。ただ一人オールバッグの男だけは恐ろしい形相で富士を睨み付け、怒声を上げた。


「なに、びびってんだてめぇら! 相手はたった一人。この人数をどうにかできるわけがねぇじゃねぇか!」


 奴の鼓舞は、多少なりとも味方に士気を高めたようだった。男達はゆっくりと富士へとにじみよる。


 初めて見る生の喧嘩というものに、胸の鼓動が速くなる。それは単なる傍観者としての興奮や緊張ではなかった。相手がこちらに襲いかかってこないとも限らないし、その時は俺が高嶺さんを守らなければならなかった。


 そしていくら富士義輝といえど、これだけの人数を相手に出来るのだろうかという、不安もある。


 しかし富士自身は、そんな様子を露程も見せていなかった。


 そして程なくして、俺は富士のその自信は当然のものだったのだと思い知らされる。


「うらあぁぁ!」


 最初の犠牲者は、坊主頭の男だった。


 自分に振るわれた男の拳を、富士は顔色ひとつ変えずに避け、男の右の頬へ一発。やや細めの身体から繰り出されたとは思えない破壊力だった。男はゴロゴロと地面の上を転がり、そのまま動かなくなる。


「このやろお!」


 立て続けに今度は二人やって来た。振るわれた拳を潜り抜けて腹へ膝を突き立て、直ぐ様もう一方の男の胸ぐらを掴むと頭突きをお見舞いする。


 富士の強さは圧倒的だった。


 相手はみるみると人数を減らしていき、最後に残ったのはオールバッグの男ただ一人。しかし男もすっかり戦意を失ってしまっていた。あの戦いぶりを見せ付けられてしまったのだ。無理もない。


 富士は震えている男へ近いていき、その胸ぐらを掴んで顔を引き寄せる。


「アイツらは俺のクラスメイトだ。今後一切、手出し無用で頼む」


 普段より更に低い声で富士が言うと、男はカクカクと首を動かした。


「か、帰るぞっ!」


 そうして俺の出番は訪れる事のないまま、争いは終わった。


 高嶺さんは富士へ何度も頭を下げた後、今後は俺の元へやって来て言った。


「根尾君も、本当にありがとう!」


「い、いや。俺は結局、何も出来なかったし」


「そんな事ないよ!」


 と彼女は俺の両手を掴んだ。


 心臓が、ギュンッとなる。


「根尾君がいなかったら私、今頃どうなっていたか……」


 見上げてくる彼女の瞳が魅力的過ぎて、俺はしばらくの間、息をする事も出来なかった。


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