第4話 幼なじみ


 気が気ではない、というのは多分こういう事を言うんだ。トイレを我慢してじっとしていられないのと似た感じ。休み時間になりやって来たアキヒコが、目の前でつらつらと話しているが、その言葉は殆んど頭に入って来なかった。


 形ばかりの相槌を打ちながら、右方向を横目で見る。教室の中程、一番後ろの席に座る富士は頬杖をついた格好。チラリとこちらに目を向けて、視線がぶつかった途端に慌てた様子で目を反らした。


 バレてる。


 絶対バレてる……


 昨日、あの廃工場で、俺は富士義輝の秘密を知った。そしてそこから逃げ出す時、富士にハッキリと顔を見られたような気がしていた。


 俺の思い過ごしならそれでいいのだが……


 再び右方向へ目を向けると、こちらを向いていた富士がグワンとそっぽを向く。朝からずっとこんな調子なのである。


「って、ノボル。聞いてる?」


「多分聞いてない」


 正直に答えてやると、正面に立つ黒縁眼鏡の男は、大きなため息を吐いた。


「何かあったの? 今日はいつも以上に様子がおかしいけど」


「いつもおかしいみたいな言い方だな」


「うん。いつもおかしい」


 富士は昨日の行動を、誰にも知られたくはないと思っている。そんな気がしていた。あんなにコソコソしていたし、なんというか、キャラじゃない。だから俺はアキヒコにも昨日の事は口にする気にはれなかった。


 そして、とうとう富士が声を掛けてきたのは、その日の昼休み。アキヒコと共に鞄を持って、いつもの場所へ向かおうかというその時だった。


「おい」


 教室中の視線が、一気にこちらへ集まったのを感じる。


 あの富士義輝が、あの陰キャに声を掛けただと!?


 そんなざわめきが教室に広がっていくのが分かる。


「根尾、だったよな? ちょっといいか?」


「う、うん」


 戸惑いながら頷き、アキヒコへ声をかけようとする。しかし一体いつの間に。アキヒコの姿は既に俺の付近にはない。さっと首を動かすと他の生徒の一団の影からこちら覗き込む奴の姿が。


 富士義輝に連れられ廊下を歩き始める。売られていく子牛の気持ちはこんな感じなのだろうか。なんとか逃げ出す口実を考えるも、思い浮かばない。


 すれ違う生徒達は、みんなクラスメイト達と同じ反応を見せている。富士がどれほど皆に注目されているかを、改めて感じさせられたような気がする。


 アキヒコ発案の二ノ森君と大川君作戦は、思った以上に的を射たものだったのかもしれない。もし俺が富士と仲良く話すようになれば、間違いなく周囲が俺へ向ける目は変わる事だろう。こんなに敵対的な空気を漂わせている相手と、打ち解ける事ができたらの話であるが。


 俺を連れた富士が「この辺りでいいか」と立ち止まったのは実習棟の二階と三階の間の踊場。奇しくも俺とアキヒコがいつも昼休みに過ごしている場所だった。


 俺達がこの時間、ここで昼飯を食う理由は一つ。人気がないから。おそらく富士がこの場所を選んだ理由は、それと同じなのだろう。


 いよいよ年貢の納め時、そんな心持ちだった。追い詰められたように踊場の壁を背にした俺。目の前に立った富士がジリジリと距離を詰めてくる。


 そしてその右手が振り上げられ、俺は堪らずギュッと目を瞑った。


 バンッ!


「ヒッ!」


 思わず、情けない声が漏れる。しかし予想していた痛みが襲ってこない。恐る恐る目を開けると、目の前には富士の顔。振り上げられた右手は俺の顔の横の壁に置かれていた。


「お前。見たのか?」


 耳元で囁かれる。ドキドキが止まらない。富士の体から漂う香水の匂いが、鼻に届いて来ている。甘く、それでいてピリッとした匂いだ。


「み、見たって、何を……」


 バン!


 また壁が叩かれる。今度は左手。顔の左右を塞がれてしまった形になる。


「しらばっくれんじゃねぇよ。見たんだろ? あの工事で」


 やはりあの時の事を言っている。しかし、このまま首を縦に振っていいものだろうか?


 じっと見つめてくる富士。その剣幕は凄まじく、それを認めてしまえば指でも詰められるのではないか。いや、富士の目的が口止めなら、それ以上の事をされてもおかしくないのではないか、などと非常識な事を考えさせられてしまう。


 顔中から汗を垂らしながら、どうしたものかと思い悩む。今すぐ逃げ出したい。しかしそれは叶わない。


 そんな時、


「ねぇ!」


 階段の下から声が聞こえた。


 二人揃って顔を動かす。 


「山本……」


 そこに立っていた女子生徒の顔を見て、富士は呟くように口にした。


 山本ヤマモト日和ヒヨリ。俺達と同じクラスの生徒だ。


 肩まで伸びた明るい髪。少しだけ幼さの残った、だけど勝ち気な印象を与える顔には、薄い化粧がされている。


 カースト上位グループに属する女子だ。富士とも話しているところを何度か見た事がある。そして俺とは小学生の頃からの幼なじみ。尤も、高校になってからは一度も口を利いた事はない。


「ソイツ。なんかしたの?」


 少し緊張した面持ち。少し震えた声。スカートの端をギュッと握りしめている。


「別に。てか関係ねぇだろ」


「う、うん。でもちょっとソイツに用があって……」


「用?」


 富士は顔をしかめ、俺と日和へ交互に目をやる。そして舌打ちを鳴らすと、耳元で呟いた。


「あの事、誰かに話したらただじゃおかねぇからな」


 全身が粟立った。


 ピンと背筋を伸ばしたまま固まった体。富士はそんな俺をその場に残し、階段を下りていった。



「はあぁぁ……」


 富士の姿が廊下の向こうへ消えると、俺は体の空気が抜けたかのようにその場に座り込んだ。


 そこへやって来た日和が俺を見下ろす。


「アンタ。一体なにやったのよ? 見たことないわよ。あんな富士君」


 目の前には日和の脚が見える。程よく筋肉のついた、健康的な脚だ。彼女の顔を見上げようとするも、その途中に見えた眩しい太ももに、慌てて目を反らした。


「まぁ、ちょっと色々あってね」


 立ち上がり、制服の埃を払う。続けて日和に尋ねた。


「それで、俺に用って?」


「え? ああ、えぇとね」


 日和は口ごもる。


 何やら様子がおかしい。


「どうしたの? なんか俺に用事かあったんじゃ……」


 そこまで口にしたところで言葉を止めたのは、日和の手が震えている事に気がついたからだった。ふとその姿が、俺の記憶の中にある幼なかった頃の日和と重なって見えたのだ。


「もしかして、俺を助けに来てくれたのか?」


 口にした途端、日和は顔を真っ赤にして声を荒らげる。


「は、はぁ!? 馬鹿じゃないの! 何で私があんたのためにそんな事しなきゃなんないのよ!」


「そ、それならなんで?」


「う、うるさい! どうだっていいでしょ。そんな事!」


「い、いや。だってそっちが俺に用があるって」


「いいの! もう済んだから!」


 昔から口下手で人見知りな俺が、誰かにからかわれたりした時、図書館で本を借りれず困っている時、いつも助けてくれたのは、近所に住んでいた日和だった。


『もう。ノボルは私がいないと何も出来ないんだから』 


 俺を助けた後、いつもそう言って嬉しそうに笑った日和。


 だけど俺は知っていた。日和が俺のために何かに立ち向かう時、気丈に振る舞っているように見えても、いつもその手を震わせていた事を。


 中学三年の時にあったある出来事が切っ掛けで、それまでの関係はまるでなかったようになってしまったが、きっと富士に連れられていく俺を見て、居ても立ってもいられなくなってしまったのだろう。


 そういう奴なんだ。山本日和という俺の幼なじみは。


「ありがとな」


 素直に感謝を伝えると、日和は「うううぅぅぅ」と唸り声を漏らしながら顔はますます赤くしていく。


 そして火のついた導火線が雷管へ到達したかのように「もう、教室戻る!」と大声で言い放つと、俺の前を去っていった。


 その場に一人残された俺は、階段に座り込んで息を吐く。


 やはり富士は、あの秘密の事を相当気にしていたようだ。今回は日和のお陰で何とかなったものの、奴とはこれから毎日、いや、今から教室へ戻れば、また直ぐに顔を合わせなければならない。


 これでは仲良くなるどころか、自分の身を奴から守れるのかすら怪しいところだ。


 それでも、と俺を拳を握る。


 全ては憧れの高嶺さんへ少しでも近付くため。例えこの体を八つ裂きにされようと、諦めるわけにはいかないのだ。


 自分の決意を再確認していると、廊下の影からひょっこりと無二の親友が現れる。


「何だか大変な事になっていたねぇ」


 腹の立つニヤケ面を浮かべたアキヒコは、俺の隣へ腰を下ろし、コチラへ鞄を差し出した。俺が使っている鞄だ。


「とりあえずさ、昼飯食おうよ」


「覗いてたんなら助けろよ」


「エロゲならそうしてたけどね。でもノボルなんかとのフラグ立てたってしょうがないだろ?」


「まあ、確かに。そのルートだけはこっちからも願い下げだわ」


 俺は鞄から弁当を取り出し、それを膝の上に置いて食べ始める。


 

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