第3話 頂点に君臨する男
地元で有名な暴力団組長の一人息子。そんな肩書きを持つ彼に関する噂は、友達の少ない俺ですら幾つも耳にした事があった。
制服の内ポケットには拳銃を忍ばせている。この地域の不良達を全員絞めてしまった。経験人数は3桁を越えている。
話だけ聞けばにわかには信じがたいものばかりだが、富士義輝はそれが事実でもおかしくはないと思わせる程の大人物であった。
そのへんの女性なんかよりよっぽど綺麗な白い肌。鼻は高く、長い睫毛に覆われた切れ長の目は、冷ややかでありながら刃物のような妖しい宿している。その上には細い眉。明るく染められた髪はサイドが刈り上げられいて、そうして露出した耳にはピアスが光っている。
この2日間、俺はそんな彼の
アキヒコが発案した作戦を実行に移そうとしているものの、その並々ならぬ気配に気圧され、声も掛けられぬままに2日間を過ごしてしまったのだ。
二時間目の歴史の授業。教壇に立った頭の薄い中年の教師が、辛うじて聞き取れない声で、黒板に向かって何かを言っている。
富士は教室の中央、一番後ろの席。これでもかというくらいに椅子の背もたれへ体を預け、気だるそうな視線を正面へ向けている。
噂では勉強もかなり出来るという話だ。制服を着崩し、ネクタイは学校指定と違うもの。姿勢こそ悪いが、机の上にはノートと教科書がきちんと並べられている。
今まで気にしてこなかったため気付かなかったが、意外にも真面目に授業を受けているようだ。
視線をそこから3つ先の席へ移動させると、我が麗しの姫君は、長い黒髪を耳に掛け、真剣な眼差しを机の上に向かわせている。
柔らかそうな頬。艶のある唇。飾り気のないシャープペンシルすらも、彼女の手に握られているというだけで愛らしい。
彼女は口元へ指をやり、少し考える様子を見せてから、またノートへ何かを書き始める。そうした仕草1つ1つに、いちいち体をクネクネさせたくなる。
彼女の姿に見とれている間に、いつの間にか授業は終わっていた。はっ、と我に返り首を振る。恐ろしい魅力だ。
集まってくる友人達へ、笑顔をみせる彼女を名残惜しみながら、再び富士へ目を向けた。
富士は、休み時間を1人で過ごす事が多い。大抵寝ているか、スマホを弄っている。この時間もそうだった。
彼自身がそれを望んでいるのだ。だから比較的に仲の良いカースト上位陣達も、敢えてそこへ立ち入ろうとはしない。
周りに流されない、周りの目を気にしないそうした振る舞いも、富士義輝という人間の特別性を、際立たせているように思えた。
頭の中で、リハーサルは繰り返してきた。
『やあ、富士君。ちょっと話さないかい?』
今までこれが出来なかったために友人を作れずにいた俺だが、この言葉さえ言えれば、きっと彼と友達になる事が出来るだろうと信じていた。
震える拳を握り締め、立ち上がる。もう一度チラリと彼女へ目を向けて『俺、君のために頑張るよ』と胸の内で誓いを立てる。
彼の机へ向け、一歩、二歩。
ドクン、ドクンと心臓が鳴っている。口の中はカラカラだ。
机を一つ、二つ、と横切り、とうとう手が届く程のところに、彼が。
その時、手元のスマホを見つめていた富士が、いきなりコチラを向いた。そして固まった俺を見て一言。
「ああ? 何お前?」
全身の血が、一気に引いていくのを感じた。
これまで感じた事のない威圧感。向けられている視線は、それだけで体を傷つけてしまえそうな程に鋭い。
「え、いやぁ。ははは……」
そこで俺が出来たのは、曖昧な笑みを浮かべて、ペコペコと頭を下げながら、彼の前を通り過ぎていく事だけだった。
これで諦めるわけにはいかないと、それ以降、休み時間が来る度に俺は富士へ声を掛けようと試みる。しかし、彼が友人と話していたり、イヤフォンを耳に入れてしまったりと、その悉くが失敗に終わった。
しまいには何度も彼の周りを彷徨いていたのを不審に思われたのだろう。「お前? ひょっとして喧嘩売ってる?」と胸ぐらを掴まれ、少しだけパンツを濡らす羽目になった。
それでも。それでも、俺は諦めなかった。
全ては高峰さんへの愛のためである。
そうしてやってきた放課後。俺は、一人教室を出ていく富士の尾行を開始した。
彼の事をよく知れば話す言葉も見つかるかもしれない。彼への恐怖心が少しでも和らぐかもしれない、という考えから起こした行動であった。
勿論、人の跡をつけるなとどいうのは始めての経験だ。彼と一定の距離を保ちながら、廊下を渡り、階段を下り、昇降口では靴の履き替えに手間取り少しバタバタしてしまったが、何とかバレぬまま校門をくぐり抜けた。
さて。何処へ向かう富士義輝。
ただ家へ帰るだけなら、このまま駅へ向かうのだろうが、そんな人物ではないはずだ。
案の定富士は駅へ続く大通りへは向かわず、周辺の小路を進み始めた。直ぐにウチの学校の制服を着た生徒の姿が、やがて周囲にまるで人影はなくなって、次第に不安になってくる。
古ぼけた人家がポツポツ立ち並ぶ、寂れた集落だ。大都会と呼べる程ではないがそれなりには栄えているこの辺りに、こんな場所があるとはまるで知らなかった。きっと、古くからこの街で暮らしている人達が住んでいるのだろう。
生け垣や石塀に挟まれた狭い道。後ろを振り向かれ姿を見られでもしたら、疑われるのは確実。電柱や家の庭へ入って身を隠しながら、追跡を続ける。
そうして彼が立ち止まったのは、小さな工場の前。トタン造りの平たい建物。車庫を大きくしたような感じだ。車工場のようにも見えるが、随分と長い間使われていないであろう言葉は明白。看板は出ているが、酷い錆びでその文字を読み解く事は出来ない。
工場の正面には、二枚のシャッターか下りている。その脇に、小さな扉が一つ。富士がそこから建物の中へ消えていった。
俺は中腰のままそっとその扉へ近付き、ゆっくりとノブを回し、僅かに開いた隙間から中を覗き込む。
薄暗い室内。床はコンクリートだった。部屋の隅には、砂まみれになった金属棚や用途の分からない重機。ドラム缶やブルーシートに包まれた何かが並ぶ。天井に幾つもの穴が空いていて、そこから差し込んだ光が、宙に舞う埃を輝かせていた。
その中央に立った富士は、辺りを一瞥してから一言。
「出てこいよ」
ビクッと、体が跳ねた。慌てて口を押さえる。しかし富士はこちらに背中を向けたまま、もう一言。
「いるんだろ?」
バレた!? まさかバレたのか!?
しかし、どうして……
彼は学校からここまで、一度として後ろを振り返る事すらもなかったのに。
いや。寧ろ然るべきだと考えるべきか。
相手はあの富士義輝。普通の高校生、普通の人間と同じ尺度で見ていい人物ではなかったのだ。俺が想像も出来ぬような経験を積んできた事で、周囲の人間の気配を感じとるくらいの特殊能力は、身につけていたとしても不思議てはない。
どうする? 俺は全力で頭を働かせる。
奴はまだこちらを向いてすらいない。彼処からここまでの距離は約五メートル。この扉を閉め、全力で走れば逃げ切れるのではないだろうか?
……いや、ちょっと待て。
奴が一年生の時、クラスの野球部員に頼まれ、助っ人として出場した試合で、三打席連続ホームランを記録したのは、他校生も知っている程に有名な話。そんな身体能力を持つ人間と、俺のような運動オンチとの差を、たった五メートルで覆せるようには思えない。
それにその生い立ちから考えれば、相手は任侠精神を重んじる男だ。敵に背を向ける事など、彼らのような人間が最も嫌うところ。ならば、こそこそと逃げ回る事なんかせず、真っ向から向かい合うくらいの気概を見せた方が意外と気に入られちゃったりもするのでは?
だけどそれには、かなりの勇気がいる……
ゴクッと、唾を呑んだ俺。
その時、聞こえた。
「クーン」
という声。
クーン?
頭に特大の疑問符が浮かぶ。まさかあの男が、あんな可愛いらしい声を?
そんなはずがなかった。
カシャカシャと爪音を鳴らしながら富士の右手の物陰から現れたのは、クリーム色をした仔犬だった。柴犬だろうか? コロコロとした体に、クリクリとした目。俺が女子であったならば「やだぁ、かわいい」と声を上げていたところだろうが、俺は当然女子ではないし、TPOという言葉も知っている。
黙ってその様子を見つめていると、富士は自らの元へ駆け寄って来た仔犬を迎えるようにして、腰を屈め手を伸ばした。
「なんだ。そんなところにいたのか」
と頭を撫でながら口にされた声は、普段の姿からは想像もつかない程に柔らかいものだ。
「腹減ったろ? わりぃな、待たせちまって」
と、鞄から取り出されたのはドックフードの袋で、その封を切った富士はコンクリートの床の砂を手で払ってから、中身をそこへ出した。
仔犬は短い尻尾をバタバタと振りながら、嬉しそうにドックフードをがっつき始める。
「お前みたいなチビはな、たんぱく質ってのを多くとった方がいいらしい。だから今日はそれが多く入っているのを選んでみたんだが……って、そんな事言っても分からねぇか」
丁度日の光が射し込むところへ入って、ははは。と笑ったその顔が照らされた。学校で友人達と話している時でさえ見せた事のない無邪気な笑顔に、もしかしてこれが本当の富士義輝なのではないだろうかと思った。
どうあっても隠しきれない大きなレッテルのせいで、彼は本来の姿を出せない、本来の姿を見つけてもらえずに生活しているのではないだろうか、と。
もしそうなら、それを知った俺こそが、彼の側にいるべき人間なのではないだろうか。
それにしてもここは埃が多い。さっきから鼻がムズムズし続けている。
どうあれ今回の尾行の結果は、上々と言えるだろう。
「お、おい。そんなに舐めるなよ」
と笑う彼を見た今ならば、教室でも正面から話しかけられるような気がする。
満足して立ち去ろうと屈めていた腰を浮かす。
その時。鼻の奥に痒みを感じ、マズイ!
と思った時には遅かった。
「ぶえっくしょおん!」
工場内に、俺のくしゃみが響き渡った。
富士の顔がこちらを振り向いて、姿勢がバッチリとぶつかり合う。
考える暇もなく、俺は動き出した。
「お、おい! 待て!」
その声を背中に受けながら、脇目も触れず、廃工場を離れて行く。
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