第20話 修学旅行 四日目
昨日の夜は大変だった。
トランプを終えた後、部屋の前まで戻ったところで鍵を持って来ていなかった事を気がついた。部屋の扉はオートロックである。
そこで扉をノックしたり、電話をかけてみたりしたのだが、中のアキヒコからの応答はない。
フロントへ掛け合えば開けてもらえるのだろうが、持ち前の人見知りが発動し、それを断念。
仕方なく大川と二ノ森の部屋へ行き、そこの床で寝かせてもらったのだった。
どうやらアキヒコは集中してアニメを観るために、部屋ではずっとイヤホンを着けていたらしい。おかげで俺は、体のあちこちが痛い。
修学旅行もいよいよ四日目。最終日のこの日は、自由行動。
自由と銘打たれているが、時間は限られているため遠出は出来ない。やれる事も限られている。
俺は例の如く、アキヒコと二人きりで街の中を見て回る事にした。
大川達は近くの水族館なんかに行くと言っていたが、短い時間では楽しめないだろうと思ったし、今日は土産などの個人的な買い物をしたかったため、大人数で動くのは面倒だった。やはり俺はアキヒコと一緒にいるのが一番気が楽なのである。
一日目は下から眺めるだけだったテレビ塔の展望台へ上り、街を見下ろす。
いつもと似ているようで、どこか違う街並み。観光地に行ったりするよりも、こういった身近なものの方が、よりはっきりとした別の場所にいるという実感を感じられる気がする。
「あっ。うちのクラスの奴らがいる。アキヒコ、見てみろよ。アイツらトウモコロシなんて食ってる」
ガラスの向こうを指差して、背後にアキヒコへ言うが奴は近づいて来ようとはしない。
「いいよ、別に。てかトウモロコシだし」
「ん? そうだっけ。まぁ、いいからこっち来いよ。もしかして怖いのか?」
「信用できないだけだよ。建物とか、そのガラスの強度が」
「怖いんじゃねぇかよ」
初めて知る一面だった。面白いからこっちに引っ張ってやろうかと思ったが、本気で怖がっているので止めておく。
ここまで上ってくる事に乗り気ではなかったのも、そのせいだろう。
続いて幾つかの土産物を売っている店を回った。
「まあ、これはマストだよな」
と、俺が手に取ったのはラング・ド・シャで白いチョコレートを挟んだ有名な洋菓子だった。
「別にネットで買えるじゃん」
「それはそうだけどよ。でも現地で買ったやつはやっぱ鮮度が違うだろ?」
「違わないし。銘菓に鮮度とかないから」
「あっ、ロールケーキとかもあるんだ。因みにこの商品の名前は、創業者が雪を見た時に放った何気ない一言が由来になっているらしいぞ」
「ノボル。その熱心さと記憶力を勉強に使えればもっと成績も上がるのにね」
この日にどうしてもしたい事が一つあった。
現地へ向かうと、昼にはまだ随分早いというのに店の前には長い行列が出来ていた。さすがには有名店だ。
列に並んで順番を待つ。地元にも行列をつくる店は幾つもあるが、その列に並んで順番を待つというのは初めての経験だった。
「別にラーメンなんてどこでも食べれるのに」
「このラーメンはこの場所でしか食べられないんだよ」
「そんなにラーメン好きだっけ?」
「そういうわけじゃないけど、折角来たんだから一度くらいは食っておきたいじゃないか」
ほどなくして店内へ案内され、カウンターに並んで腰を下ろす。
注文したのは王道の味噌ラーメン。湯気立つどんぶりが目の前に置かれると、芳ばしい香りが鼻に届き、唾液が一気に溢れだした。
油の浮いた見るからに味の濃そうなスープの上に、沢山のもやしとネギやメンマやチャーシュー。脇に添えられているコーンも魅力的。
麺は黄色っぽい中太縮れ麺。ほどよい弾力の触感が楽しめるだろう。スープにもよく絡みそうだ。
「うまそぉ!」
声を大きくして言うと、珍しく隣のアニメオタクもそれに同意する。
「確かに、これはズルい。絶対美味しいやつだ」
立ち上る湯気で、奴の眼鏡は真っ白になっていた。
ラーメンは驚く程に美味かった。慣れ親しんだ味。しかしこれまで食ってきたそれとは、旨味の奥行きが違う。
俺達は止まらなくなった箸で、一心不乱に麺を啜り続ける。
「あれ? 二人もここ、来てたんだ」
しかしそこで現れた人物を目にし、俺は動きを止めた。
「た、高嶺さんっ!」
彼女は破壊力抜群の笑顔を浮かべてアキヒコの隣の席へ腰を下ろした。
俺はアキヒコ越しに、彼女へ問いかける。
「ひ、一人なの?」
「うん。流石に皆を付き合わせるわけには行かなくて」
「ん? それはどういう?」
「今日ここで三軒目だから。ラーメンのお店」
聞き間違えだろうか、とも思ったが、注文したラーメンが彼女へ運ばれてくると、どうやらそうではないのだと思い知らされる。
ラーメンを前にし、彼女の目付きは変わった。まるで獲物を見つけた猛禽類のような鋭い眼差し。
手首にかけてあったゴムで髪を纏めて、精神統一。一先ずとレンゲでスープを一口啜り納得した様子で頷くと、そこから怒涛の勢いでラーメンを食べ始めた。
その桜色をした柔らかそうな口に、麺が、もやしが、次々と運ばれていく。
みるみるとどんぶりの中身は減っていく。
額に汗を浮かべ、ずるずると音を立て、あっという間に麺と具材を平らげた彼女は、一息つかぬ内に自分の顔よりも大きなどんぶりを両手で持ち上げて口元へ。
細く白い首が、ゴク、ゴク、と動く。どんぶりが少しずつ傾いていく。
「ふぅ……」
どんぶりをテーブルへ置いた高嶺さんの満足した顔にドキッとなった。「はぅっ!」と声を出してしまいたくなるようなドキッだった。
そうして俺が胸を押さえて固まっている間に、彼女は手を合わせ口にする。
「濃厚なダシと味噌のコク。そこへ香るニンニク。心地よい歯ごたえの野菜がそれをさっぱりとさせている。懐かさを感じさせながら、その先を味わわせてくれる洗練された一杯。大変美味しゅうございました。ご馳走様です」
唖然とする俺達を気にも止めず、彼女は会計を済まると「それじゃ、私次があるから」と口にして、颯爽とその場を後にした。
その後普通にラーメンを食べ終えた俺達は、食休みをしてから集合場所へ向かい、飛行機へ乗り込んだ。
あっというに終わった修学旅行。初めての経験も、初めて喜びが沢山あった。
それでも思い起こせば浮かんでくるのは彼女の姿ばかり。離れていく地上を眺めながら「ああ、やはり俺はどうしようもなく高嶺さんが好きなのだな」と、俺は笑みを湛えるのであった。
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