第24話 夏休みだよノボル君


 体育の授業のための特訓などで以前に比べ暇な時間こそ少なくなったが、高嶺さんに馬鹿だと思われるわけにはいかないと、それなり予習復習はしていた。期末テストはそれほど悪い出来ではなかっただろう。


 そうして夏休みを迎えた俺であったが、今までのように「やっほーい」という気持ちにはなれなかった。


 学校がないという事は高嶺さんに会えないという事なのだ。


 それに今は、学校そのものが楽しくなっていた。話す相手がアキヒコ以外にもいるし、毎日何かしらの新しい刺激や変化を感じる瞬間がある。


 とはいえ、学校にいけない時だからこそ、出来る事もあった。


 ならばそれをやらない手はない。


 高嶺さんへの強い想いがある限り、俺に怠けるなどという選択肢は存在しないのだ。


 ピポピポーン、と来客を告げるチャイムが鳴ると、俺は震える口を開いた。


「い、いらっしゃいませぇ!」


 声が裏返ってしまった事に、赤くなっているのが自分でも分かるくらいに顔が熱くなっていく。


 しかしそれに気がついたのは自分だけだったようで、たった今自動ドアを潜った若い男も、直ぐ近くにある棚の前でスイーツのカロリーを見比べている綺麗なお姉さんも、レジに立つ俺へはチラリとも目を向けなかった。


「最初は緊張するよね。俺もそうだったよ」


 そこで隣にいる二ノ森が声を掛けてくる。


 暇が出来たらバイトを始めようとは、随分と前から思っていた事だった。


 夏休みならピッタリだろうとバイト先を探し始めたところ、二ノ森のバイトしているコンビニの人手が足りていないという話を聞きつけたのだ。


 そこからトントン拍子に話が進んでいき、初出勤日の今日に至る。


 接客業など俺にはどだい無理なものだろうと思っていたが、二ノ森の熱心な勧誘を受けた事に加え、苦手だからと逃げ続けていたら克服も出来ないのではと、敢えて飛び込んでみる道を選んだ。


 今のままでは、高嶺さんとまともに口が利けるようになるのは、いつになるか分からない。


 高校2年まで欲しいと思い続けていた友達をまるで作れなかった俺だ。今から卒業までの期間がそれほど長くないという事は知っている。


「大丈夫だよ。俺も隣についているし、ノボル覚えも良さそうだったから」


「お、おう」


 朝方は大変な混雑だったが、初出勤の俺に出来る事など殆んどなかった。


 今は軽く手順を教わった後、空いているからと初めてレジに立たされている。


 とっても緊張している事は、二ノ森にも伝わっているのだろう。だからこそこうして励ましてくれているのだ。


 学校ではたまに言葉を交わすくらいだが、二ノ森がよく気を使える奴だという事は知っていた。そうでなければ、あのがさつな大川の幼なじみなど続けていかれないだろう。


「来たよ」


 カゴを持った若い男の人が、俺達がいるレジへ近いてくる。


 ちょっと怖そうな人だ。


「い、いらっしゃいませ……」


 振り絞った勇気の量にそぐわない、蚊の鳴くような声だった。


 カウンターにカゴが置かれる。教わった通り、中の商品を一つずつ取り出し、バーコードを読み取っていく。


「38番」


 その最中、突然男が口にした。


「え?」


「だから38番」


「えっ?はっ?」


 舌打ちが聞こえ、ドキッとなる。狼狽えている間に二ノ森が背後から煙草を取ってきて、男へ尋ねる。


「おひとつで宜しいでしょうか?」


「ああ」


 俺は二ノ森から手渡された煙草を、バーコードに読み取った。


「ありがとうございました……」


 袋を手にした男を、頭を下げて見送る。


 男が去ったところで「緊張したぁ」と息と一緒に吐き出す。


「お疲れ」


「ああ。煙草ありがとな。てか駄目だなぁ、俺。最初からテンパり過ぎ」


「最初だからだよ。それに今のお客さん、すごく態度悪かったし」


 それはすごく思った。


「多いのか?あんな感じの人」


「わりとね。まぁ直ぐに慣れるよ」


「まあ、そうなんだろうけど」


 なんだか余計に怖くなってしまった。俺がこれまで積極的に人と関わってこなかったためだろうか。あれほどあからさまな舌打ちを受けたのは初めてだ。


「コンビニとかってさぁ、店員も人間だという事を忘れちゃったりしがちじゃない?」


 不安が顔に出ていたのだろう。二ノ森が言ってくる。


「ん?どういう事?」


「ほら。買い物ってさぁ、いつもの事だからか作業っぽくこなしてしまっているところがあると思うんだよね。欲しい物をカゴに入れてレジへ運んで会計をしてって。その間に他人との交流があるなんて事はいちいち意識しないじゃん」


「ああ。まぁそうかも」


「さっきみたいな人もきっとそうなんだよ。その間には俺達のような人間がいるという事を忘れてしまっている。だからスムーズにいかないと腹を立てるし、愛想も必要ないと思っている。実際にはそうじゃないわけじゃん?でも俺がそれを気付いたのって、ここでこうして働き始めてからなんだよね。だからそういう人がいるのも仕方ないのかなぁって」


 初めて一人で買い物をしたのはいつだったろうか?


 時期は覚えてはいないが、すごく緊張したという記憶だけは残っていて、それはレジに立つ相手が赤の他人であったからに他ならない。


 そんな状況、今でも緊張するはず。しかし今の俺は、それを何気なくこなせるようになっている。


 勿論慣れたからという事もあるだろうが、店員は毎回違う人なわけで、俺のような人間ならば多少の尻込みをしてもおかしくはないはずだ。


 二ノ森の言うように、レジに立つ店員も人間だという事を、気づかぬうちに意識しなくなっていたのかもしれない。


 それを思えばさっきの男も俺と同じように何気なく買い物をしている人間の一人で、それ程恐怖する必要もないのではないかと思った。


「なんかお前、大人だな」


 俺は二ノ森へ言った。


「え?そんな事ないと思うけど」


 二ノ森は照れた様子で言う。


 それから何度も二ノ森に助けられながら、レジ打ちを続けた。怖い客も多いが、ちゃんと「ありがとう」と言ってくれる人もいる。


 自分も客になったらそうしようと思った。緊張するから出来るかは分からないけど、そう思いはした。


 そんなこんなでどうにか初日は乗り切った。


 控え室で帰り支度をしていると、二ノ森が聞いてくる。


「そういえばノボルって、何か欲しい物でもあるの?これまでバイトとしてなかったんでしょ?」


「まぁ、ざっくり言うと遊ぶ金のためかな。最近は放課後出かける事も多いし」


 生憎、気兼ねなく遊びや買い物に使える小遣いを貰える程、ウチは裕福な家庭ではない。


 以前までは出掛ける相手もいないためどうにかなっていたが、今はそうもいかなくなってきていた。


「それに知ってるか二ノ森。金を持っていると、女子にモテるらしいぞ」


「え?なにそれ?」


「雑誌に書いてあったんだよ。結局男は金だって。女子が付き合う相手を選ぶ時には生活力?っていうのが求められるんだってよ」


 高嶺さんはしっかりした女子だ。きっと付き合うにはそういう条件を満たす事も必要になってくるだろう。


 しかし二ノ森は言った。


「いやいや。それってもっと歳をとってから考える事でしょ?」


「えっ、そうなのか?」


 驚いて尋ねると二ノ森は吹き出した。


「そりゃそうでしょ。高校生でお金を重視する女子なんてそうはいないよ。てかいたとしても嫌じゃない?そんな子」


「た、確かに……」


 勿論高嶺さんはそんな子ではないだろう。何故なら、そう。高嶺さんだからだ。





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