第2話 前夜 前編
昨日、俺はいつものようにキュウの背に乗り、この新大陸の空の上にいた。
大草原の上を飛ぶキュウの若草色の鱗が、太陽の照り返しを受けて輝いていたのを覚えている。
キュウが軽く羽ばたくと、その翼から抜けた緑色の羽毛が後ろに飛んでいく。
竜にもいくつか種類があるが、キュウは身体に爬虫類の鱗、翼には鳥の羽毛を持つ「羽翼竜」と呼ばれるものだ。
胴体だけでも馬二頭分以上の大きさで、首と尾は細いが長さは大人の人間を超える。
人類が飼いならせる魔獣の中でも、飛ぶことにかけては最上のものだ。
俺は竜鱗で作られた鎧を着こみ、長槍と剣に弓まで持った状態でキュウに乗っている。だが飛竜の筋力は強く、重武装の俺を乗せても余裕を持って飛べる。
キュウは空を飛ぶのが大好きだし、俺もキュウと一緒に飛ぶのは楽しい。
何もなければ、キュウの思うまま空を自由に飛ばせてやりたい。
だが、あいにくと今は開拓騎士団の任務中。
任務内容は、開拓騎士団本部から俺たちが拠点にしている開拓候補地までやって来る補給隊の安全確保だ。
もちろん補給隊には本部からの護衛兵がついているけど、俺が所属する部隊ではいつも迎えの人員を出すようにしている。
今回は空を飛べる竜騎士の俺とキュウが先行して草原の見回りをしていた。
俺が手綱を軽く左に引くと、キュウが翼をかたむけて草原の上を旋回する。
キュウは飛竜としてはまだ若く身体も小さいが、そのぶん小回りが利いて加速も早い。
素早く旋回を終えたキュウが、草原を走る魔獣の群れを正面に捉えた。
あれはワシの前半身に馬の後半身を持つ魔獣、ヒポグリフだ。その数は二十頭を超える。
あのヒポグリフの位置はよくない。
このままでは補給隊の進路にぶつかる。
この地域はまだ人を襲う魔獣が多く、安全が確保できていない。開拓騎士団が魔獣を駆除しながら人の生活しやすい場所を探している段階だ。
騎士団で消費する食料などの物資は大半が開拓本部からの補給頼り。しかし、本部からここまでの道中は未整備で魔獣もまだまだ多い。
補給隊が魔獣に襲われ物資が届かなくなれば、それは補給先の拠点にいる俺たち部隊全員の命取りになる。
「キュウ、あのヒポグリフの群れを追い散らすぞ」
「キュッ!」
俺が身をかがめてキュウの首筋に手を当てると、キュウが鳴き声を返して速度を上げる。
俺たちの姿を確認したようで、ヒポグリフたちの動きが慌ただしくなった。
「クアアッ!」
群れの先頭のヒポグリフが、一声上げて俺たちと逆方向へ走り始めた。
他のヒポグリフもそいつを追うように走り出す。
「よし」
そのまま行ってくれれば、あいつらは補給隊の進路から外れる。今回は討伐が目的ではないから、この調子で補給隊から離れてくれればそれでよかった。
だが、そう都合よくはいかなさそうだ。
群れの中からひときわ大きいヒポグリフが三頭、翼を広げて飛び上がった。
「ギイッ!」
「ギイアアアッ!」
「ギシャアッ!」
急上昇したそいつらはキュウより上まで高度をとったところで、くちばしを開けてこちらを威嚇してくる。そのすべてがキュウに近い体格で、ヒポグリフとしては大物だ。
しかも連携慣れしているらしく、三頭が空中で横一列に隊列を組んでいる。
あのまま一度に突っ込まれたら危険だ。先手を取る。
「弓で散らす。ばらけた一頭を狙ってくれ」
「キュウアッ!」
キュウに声をかけると、わかってるよと言わんばかりの鳴き声が返ってくる。
俺はキュウの背に備え付けた短弓を抜き、やつらの上下にはためく翼の動きを見て降下の瞬間を見極める。
揺れるキュウの背の上から弓で狙うのは難しいが、矢を当てる必要はない。
やつらの連携を崩すだけでキュウが格段に動きやすくなる。
ヒポグリフたちが降下のために翼をたたみ首を下げた。そこに合わせて矢を放つ。
キュウの羽毛を矢羽根にした緑の矢が、鋭い風切り音を響かせてヒポグリフたちへ向かう。
中央のヒポグリフが身体を大きくひねって矢を避けた。その結果、三頭一列の隊列が右の一頭と左の二頭に分かれる。
キュウが孤立した右の一頭へ向かう寸前、俺はもう一発の矢を左側の二頭へ射かけた。
矢はヒポグリフの翼をかすめ、ヤツらがわずかにバランスを崩す。
これで、あいつらの突進が一呼吸分は遅れる。キュウにとってはそれで充分だ。
一対一なら、俺の相棒はヒポグリフごときに後れを取らない。
「キュアアアッ!」
気合の声を上げたキュウが、翼を空に叩き付けて跳ねるように急旋回。狙いを外されたヒポグリフの首に、キュウの前足の爪が突き刺さる。
翼をたたんだキュウが体重を乗せ、ヒポグリフをつかんだまま急降下した。そのまま地面に叩き付けられたヒポグリフの首から、骨のへし折れる鈍い音が鳴る。
遅れて、残り二頭のヒポグリフが俺たちに向かって降下してきた。
俺はキュウの背に乗ったまま長槍を構え、横一線に振りぬいた。
穂先に竜の鱗の破片をまぶして鍛えた槍は、狙い通りにヒポグリフ一頭の前足を、もう一頭の顔面を切り裂く。
俺はキュウを相手にして対魔獣を想定した戦闘訓練を重ねている。キュウの降下の鋭さに比べれば、ヒポグリフの動きなどゆっくりなもんだ。
「グギイィィッ」
顔を切られたヒポグリフは俺たちから離れようとするが、うまく飛べずに地面に激突して土煙を上げた。
「ギエエアァゥ、ギャッ!」
足を切られたヒポグリフは再び空へ飛び上がろうとしていたが、そのさらに上空から別の翼が音もなく舞い降りた。
それは、人間に匹敵する身体を持つ大フクロウ。
フクロウは無音のままヒポグリフの背中に降り立ち、その鋭いくちばしをヒポグリフの首に何度も突き立てる。
ヒポグリフは声も立てられず、そのまま地面に倒れ伏した。
獲物が息絶えたのを見届けたフクロウは、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
顔は白銀の羽毛に覆われ、翼は茶色と黒のまだら模様。
鋭い爪とくちばしは、立っていると羽毛に隠れてほとんど見えない。
目を細めてまっすぐに立つその姿は、背の高さが人間に近いこともあって一見すると豊かなヒゲの老紳士にも見える。
「ホホウ」
フクロウが落ち着いた調子の低い鳴き声を上げた。
このフクロウは味方だ。
俺やキュウもよく知る開拓騎士団の一員、複数の動物を使い魔として操る「獣騎士」マールの使い魔、クー。
「キュッ」
「ホッホゥ」
キュウとクーがお互い右の翼を持ち上げて挨拶した。
お互い話せないはずだけど、ある程度の意思疎通はできているっぽい。
空を飛べる仲間同士、気が合うのかもしれない。
クーの首に下げられた琥珀色の首飾りが光った。
「アニキ、聞こえるかい?」
首飾りから、声変わり前の少年の声が響く。
獣騎士マールの声だ。
こいつとは開拓騎士団に入団する前からの付き合いで、俺のことをアニキと呼んでくる。
今回、マールは俺とともに補給隊の護衛任務についていた。マール本人は地上から他の使い魔を連れて補給隊のほうへ向かっているはずだ。
この後はマールが補給部隊と合流し直接護衛、俺は空中で周囲を警戒する予定になっている。
「聞こえる。援護ありがとう」
「そうかい? クーの目で見てたけど、ひとりでもなんとかなったでしょ」
マールは使い魔を操るだけでなく、獣使いの首飾りを経由して使い魔の目や耳、鼻などの感覚を借りたり共有できる。使い魔との会話もできるし、こうして首飾りを中継した遠距離の会話も可能だ。
「ひとりじゃないさ。俺とキュウのふたりだ」
「アニキたちはふたりでひとりだろ。そんで、残ったヒポグリフはどうするの?」
横目で見ていたが、俺に顔を切られたヒポグリフはふらつきながらも飛び去ろうとしていた。
「あいつはもう戦う気はなさそうだ。放っておいても大丈夫だろう。群れのほうは遠くまで逃げただろうけど、確認はしないといけないな」
「そっちもだけど、仕留めたほうはどうするの? そのままじゃもったいないよ」
「そう言われてもなぁ」
俺たちとクーが仕留めた、地面に転がるヒポグリフ二頭。
確かに大物だが、持ち運ぶには重すぎる。
「今は補給隊の安全確保が第一だ。キュウに運ばせる余裕はないぞ」
「補給隊はそこを通るんだろ? オイラがそこでヒポグリフと一緒に待ってるから、補給隊と合流する時に馬車に乗せてもらおうよ」
「馬車は補給物資でいっぱいだろう。積んであるもの優先だから、乗せられなかったらヒポグリフを諦めることになるぞ?」
「えー。しょうがないなあ。そのときはガウに持っていってもらうかな」
ガウは、マールの使い魔のクマだ。たしかにあいつは力持ちだけど、このでかいのを二体も運べるんだろうか。
「ヒポグリフの血の臭いで他の魔獣が寄ってくる可能性もある。手に負えないくらいの数が集まりそうなら、補給隊を迂回させるぞ。そうなった時に逃げられるか?」
「大丈夫さ。クーの目もあるし、引き際はわきまえてるよ」
俺が念を押すと、自信ありげな声が返ってきた。
不安がないわけじゃないが、獣使いであるマールは安全と危険を見極める感覚が鋭い。
無理に止めることもないか。
使い魔もいるし、マールなら何か問題が発生しても生きて帰ってくるぐらいは余裕だろう。
「わかったよ。そこまで言うなら任せる」
「さすがアニキ! 今夜はヒポグリフのステーキだ!」
「キュウ!」
やっぱり肉が目当てだったか。わかりやすいやつ。
そしてキュウ。お前もかい。嬉しそうに目を細めてしっぽの先を振っておる。
まあ、得られる物資は多いに越したことはないのも事実だ。
食料はどれだけあっても困らないし、魔獣の皮や毛にも使い道はいろいろある。
「それじゃ俺はまた空に戻るよ。また後でな」
「あいよ!」
「キュウゥ」
キュウが翼を広げ、地面を蹴る。
俺を乗せたキュウの身体が、軽やかに宙へ舞い上がった。
楽しそうに空を飛ぶキュウの表情を見れば、俺も自然に嬉しくなってくるもんだ。
補給隊を無事に送り届けられたら、キュウには気のすむまで飛んでもらって、その後はゆっくり体を洗ってやろう。
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