第30話 トウモロコシとカブトイノシシ

 俺たちはまた実験畑に戻って刈り取りの続きに入ったのだが、残り二割くらいまで作業が進んだころに一匹の魔獣が開拓地の近くにまで迷い込んできた。

 パッと見ると大型のイノシシだが、頭部が異様に発達していて額の部分にトゲのように変形した骨がいくつも飛び出している。

 カブトイノシシ、それも人間並みの体高を持つ大物だ。


 気性が荒く食い意地の悪い魔獣で、一度走り始めると簡単には止まらず、突進からの頭突きが直撃すれば木もへし折れるほどの威力が出る。その足を止められたとしても、体力もあるので仕留めるのに時間がかかる面倒なヤツだ。

 どちらかというと森林部のほうに多く生息する魔獣で、草原側まで来るのは珍しい。


 そいつは腹が減っているのか、収穫された野菜をじっと見ているようだ。魔獣よけの香水が効いているようで近づいては来ないが、距離を取りながらも右へ左へとうろうろしていた。


「どうするよ、ロン。あいつ、あそこから離れる気はなさそうだあよ」

「やるしかないか」


 あいつはここを餌場と認識したようだ。仕留めなければ、いつまでもこの開拓地を狙い続けるだろう。

 俺はマクシムと軽く打合せしてから、兵たちを彼に任せて一人で前に出た。


 障害物の多い森ならともかく、この広い草原でカブトイノシシ相手に大人数で戦うのはまず無理だ。包囲しようとしても相手が走り出したら止められない。

 あいつと正面から一対一で戦って仕留められる者がいればいいんだけど、今のこの開拓地の人員では厳しい。俺一人だとまず無理だろう。飛竜のキュウに乗った状態ならともかく。


 だから、今の俺は囮だ。

 背中に長槍、手に短弓と矢、そして腰にはトウモロコシ。

 そんな農村の民兵みたいな恰好で魔獣よけ香水の範囲外に出ると、カブトイノシシの目がこっちに向いた。


 短弓の射程外だけど、外れるのを承知でカブトイノシシに向かって一発矢を放つ。

 矢はだいぶ手前に落ちたが、カブトイノシシは敏感に反応して姿勢を低くした。二発目の必要はなさそうだ。


 背中を向けた俺が走り出すのと、あいつが動きはじめるのはほぼ同時だった。

 俺が全力疾走しても、一直線に突っ込んでくるカブトイノシシよりはずっと遅い。差はどんどん縮まっていく。

 それでも見込み通り、追い付かれる前に目標地点の手前まで来られた。

 走りながら腰のトウモロコシを前へ投げると、狙い通り地面に敷かれた枯れ草のど真ん中に落ちる。

 俺はそのまま、槍を取り出して枯れ草の中に突き入れ、棒を使った幅跳びのように枯れ草の上を飛び越えた。

 

 カブトイノシシはトウモロコシを見てわずかに速度を緩めながら枯れ草の敷かれた部分に足を踏み入れる。そのとたん、カブトイノシシの身体が下に沈み込み、鼻と牙が地面の下に埋まった。


 そこは枯れ草を薄く敷いて隠した落とし穴だ。こんな感じの魔獣用の罠は、開拓地の周りのあちこちに仕掛けてある。

 この穴の深さは人の胸あたりまでだが、枯れ草の下にはムスタが仕込んだ魔法の泥の罠がある。落とし穴の底を踏みつけると発動し、周囲の土を重い泥に変えて足元を埋めるのだ。

 並みの魔獣なら、泥に足を取られて動けなくなるはずだが。


「ブウモオオアアアッ!」


 雄たけびを上げる大物のカブトイノシシは、身をよじらせて罠から出ようとしていた。鈍ってはいるが動けないわけではないらしく、少しずつ前に進んでいる。

 落とし穴から出ている頭や背中の部分は硬く、並みの武器では通りそうもない。俺ではトドメを刺せないだろう。

 だが、そいつが穴から出るより前にマクシムが間に合った。腰のフレイルを抜いたマクシムが落とし穴のそばに走り寄る。


「おとなしくう」


 マクシムが大きく息を吸い、その胸がはちきれんばかりにふくらんだ。


「するんだあよ!」


 勢いのついたフレイルがカブトイノシシの側頭部に叩き付けられ、岩同士をぶつけ合ったような重音が鳴り響く。その一発だけでイノシシの身体がぐらついた。

 二発目のフレイルが脳天に振り下ろされると、鼻血を吹いたカブトイノシシは落とし穴の中に崩れ落ちる。

 動かなくなった獲物を見て、兵士たちが歓声を上げた。


「相変わらず、すごい力だな。こいつを二発か」

「ロンがここまで連れてきてくれたからだあよ。走ってる間はどうにもならないけど、動かないの相手ならこれくらいはなあ」


 マクシム本人は謙遜するが、右腕一本でカブトイノシシをしとめられる腕力を持つ者はそうそういない。この開拓地で純粋な腕力比べをするなら、今もマクシムが一番だろう。たとえ、左腕を紫の光で封じられた状態でも。


「さて、引き上げて解体しなきゃなあ」


 フレイルを腰に戻したマクシムがその場に膝をついて地面に右手をかざすと、落とし穴の周囲が崩れて斜めに変化していく。ほどなくして、カブトイノシシを引きずりだせるくらいの坂ができ上がった。


 マクシムは腕力だけでなく、土魔法の使い手でもある。土を操作し、壁を作ったり土砂をどけたりするのはお手の物だ。

 魔法の精密さではジオールに一歩劣るが、広範囲への展開の速さはマクシムのほうが上だろう。

 まあ、どっちも俺に比べたらはるかに上の腕前なんだけどな。俺が土魔法で同じことをしようとすると、休みながらでも丸三日はかかる。それならスコップを持ってきて掘ったほうが速い。

 

「よーし。それじゃみんな、頼めるかなあ?」


 振り返ったマクシムが手招きし、兵士たちの何人かが縄やかぎ爪、小さめの丸木を持って穴の底へ降りる。カブトイノシシに縄がかけられ、身体の下に丸木が差し込まれると、兵士たちの掛け声とともにイノシシの巨体が引っ張り上げられた。


 丸木の上を転がって地上まで運ばれたカブトイノシシを解体処理すべく、短刀を持った者たちが向かっていく。

 その中に、さっきまでいなかった正騎士が一人いた。


「カエデ、いつの間に来たんだ?」

「ついさっきですよ」


 ちらっとこっちを見たカエデは、すぐに視線をイノシシに戻した。


「だって、イノシシが出たって聞いたら黙っていられませんよ」


 確かカエデは今日は非番だったはずだ。しかし今は部屋着の上にエプロン、頭巾、腕まくりした手には包丁と、完全武装でイノシシに対峙している。


「さあ、血抜きからです。地面に血を捨てる穴を掘ってください。私が切ってから魔法で血を押し流します。誰か、今のうちにリアラのところから臭み消しのハーブをもらって食堂に持って行ってください。あと倉庫から塩と油もお願いしますよ」


 兵士たちにテキパキと指示するカエデには、もう俺たちは見えていないようだ。


「あーあ。こうなったら止まらないなあ」

「そうだな。まあ、任せるか」


 マクシムと俺は、顔を合わせて苦笑しながらその様子を眺めていた。


 剣騎士カエデは剣の腕だけでなく料理の腕前も相当なものがある。

 さらに彼女にとって剣と料理は同じぐらい思い入れがあるらしくて、いろいろな料理を作れるし、余裕があるときは俺たちにも料理をふるまってくれる。

 知らない料理を出されて驚くこともあるけど、そのほとんどが文句なく美味い。ごくたまに出る微妙な料理も、味付けの好みで片付く程度のものなので誰も文句を言わない。

 ただの焼いた肉でさえ、カエデにかかれば味が変わってくるから不思議なもんだ。


 一方で、料理を邪魔されたり食材がムダにされたりするとけっこう本気で怒る。

 いつかの遠征のとき、カエデが夕食を作ってる最中に魔獣の群れがつっこんできて鍋をひっくり返されたことがあったが、その魔獣が全滅するまで無言、無表情で剣を振り続けていたカエデの姿は忘れられない。

 その後、顔に着いた返り血もふかず、ひっくり返った鍋の前で悲しそうに正座してる姿は今でもたまに夢に見るぞ。


「それじゃ、日のあるうちに畑の残りを刈っておくか」

「そっちは頼んでいいかなあ。オラは落とし穴を作り直しておくんだあよ」

「ああ、わかった」


 マクシムが再び地面に手をつき、地面の穴を変形させてゆく。

 俺は手すきの兵士を連れて、実験畑の刈り取り作業に戻った。


 まだ防壁までは手が付けられていないが、今のところは魔獣にも対応できている。

 油断はできないけど、この調子でいけば順調に開拓範囲を広げられそうだ。

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