第31話 剣は錆びず

 実験畑の刈り取りがひととおり終わったころ、落とし穴の補修を済ませたマクシムが戻ってきた。

 カブトイノシシの解体処理も終わりつつあるようで、カエデは一足先に肉を持って食堂に行ったらしい。

 兵士たちが収穫物を集めて荷車に積んでいるが、その作業もそろそろ終わりそうだ。


「問題なさそうかあ?」


 マクシムが声をかけると、作業を指示していた兵士長がこっちを見た。


「そうですね。魔獣の姿も見えませんし、あとは我々だけでも大丈夫だと思われます。収穫物の移動と保管はこちらでやっておきますので、戦闘をされたロン様とマクシム様は先に戻られてもよろしいかと」

「そうさせてもらうか」

「そうだなあ。そろそろ腹が減ってきただあよ」


 俺とマクシムは後のことを兵士長に任せ、食堂へ向かって歩いて行った。

 空の色は青から赤に変わりつつあり、風が涼しくなってきている。もう夕暮れも近い。

 食堂の前では一足先に食事を済ませた夜番の兵士たちとすれ違った。彼らはそのまま見張りの交代のため外へと歩いて行く。


「キュッ」

「あらあら、ありがとうございます」


 食堂に入ると、カウンターの奥の調理場にキュウとカエデの姿が見えた。キュウは手に持った草の束をエプロン姿のカエデに手渡しているところだった。

 

「おや。あなたのご主人様も来たみたいですよ」


 こっちに気づいたカエデにうながされて、キュウもこっちを見た。

 キュウは一声鳴こうとしたけど、思い直したように口を一度閉じてから自分のノドに手を当て、改めて俺のほうを見た。


「オォン」

「ああ。ただいま、キュウ」


 そう。最近の発声練習のかいあって、キュウが俺を呼ぶときの声が「キュオン」から「ロン」に少しずつ近づいてきたのだ。

 キュウが俺の名前を正しく呼んでくれる日も近いぞ。


「はいはい。嬉しいのは顔を見ればわかりますから、その子の頭をなでるのは後にしてくださいね」

「わかってるよ。それで、さっきキュウが渡してたのはなんだ?」

「ああ、これですか」


 カエデがキュウから受け取った草の束を見た。細い葉が触れ合ってカサカサと乾いた音を立てる。


「イノシシ肉の臭みを消すのに使うハーブですよ。リアラの薬草加工小屋で乾燥処理中だったものを届けてもらったんです」

「いろいろしてるんだな。えらいぞキュウ」

「キュッ」


 にっこり笑ったキュウが誇らしげに胸を張る。

 あとで頭をなでる時間を増やそう。


「他にも食器運びとかを手伝ってもらっているのですが、ちょっと困ったことがありまして」

「なにかあったのか?」

「私が食事を作っているとき、この子にじっと見つめられるんです。ですが子供がよくやるようなつまみ食いはしないし、いたずらするわけでもありません。なにか考えがあるみたいですが、私ではわからないのです。ロンさんなら、この子が何を考えているか思い当たりませんか?」


 カエデが話を進めると、キュウはちょっと気まずそうに下を向き、ちらちらとカエデのほうを見ていた。

 この仕草のキュウを見るのは珍しい。キュウがこんな感じになるのは、他の飛竜にできて自分にできないことがあるときだ。人の姿になってからは初めて見る。

 そしてキュウが他者を遠慮なく注目するのは、そのできないことを見て学ぼうとしているときだ。

 たとえば長距離飛行時の体力を消耗しない飛び方だったり、空中から地上の敵を正確に狙うための翼の動かし方だったり。


 竜騎士の同期や先輩が乗る飛竜にできてキュウにできないことがあるとき、キュウはまずその飛竜がすることをじっと見つめ、目で覚えてから自分で試す。

 それは俺自身も同じで、剣や槍の動かし方、飛竜との連携の取り方などをほかの竜騎士から見て学んでいた。

 そして、今のキュウがカエデの料理するところを注目するということは。


「もしかして、料理を学びたいのか?」

「キュ」


 キュウが調理場のテーブルを軽く一回叩き、カエデが柔らかく微笑んだ。


「そういうことでしたか。私でよければ、教えるくらいならできますよ」

「いいのか?」

「今も希望する兵士たちに教えていますしね。教える人数が増えるだけです。それに、今の私にできることは少ないですので」

「キュウは飛竜から人になってから日が浅いし、まだ人の生活に慣れてないことも多い。かなり手間をかけさせることになると思うんだけど」

「そこまで気にしなくてもいいのですが。子供を相手にするのと似たようなものですし。でも、そうですね」


 カエデは少し考えると、微笑みを消して俺の顔を見た。


「私からもロンさんにお願いがありますので、それと交換条件ということでどうでしょうか?」


   ◇


 翌日、俺はカエデからの「お願い」をかなえるために朝早くから外に出た。


 まだ太陽は地面に近く、夜の冷気が周囲に残っている。キュウには寝ててもいいと言っておいたが、眠そうに目をこすりながらも俺の後ろについてきていた。

 約束していた場所である馬小屋の前に行くと、そこにはすでにカエデが来ていた。


「おはよう」

「おはようございます」


 カエデは軽く頭を下げたが、視線はこちらを見つめたままだ。

 黒い長髪は後ろに高く結い上げられ、額には鉢がねと呼ばれる金属片のついた布を巻き、藍色のゆったりした服の上に硬くなめした黒革の防具を着ている。

 食堂の調理場に立っていた、白い頭巾とエプロンをつけて微笑む優し気な料理人のカエデとはまるで別人だ。


「ここでいいのか?」

「裏手に行きましょう。ここだとまだ人の目が届きます」


 そう言って、カエデは馬小屋の裏側へと歩き出した。俺とキュウもその後についていく。


 利き腕である右手に紫の光を受けたカエデは、戦闘に関する任務からは一歩引いて、主に食料の管理や保存食の加工、調理を担当していた。

 そんなカエデから俺への「お願い」とは、武器を使った戦闘訓練の相手だった。 

 弱くなった姿を他の兵士に見られたくないから早朝にこっそりやりたいと言っていたので、俺はてっきり戦闘のカンを鈍らせないための簡単な訓練程度に考えていた。


 だが俺は、カエデの隙の無い歩き方を見て、手に持った訓練用の槍を握りなおした。

 あの後ろ姿は、紫の光を受ける前の剣騎士カエデと何も変わらない。魔獣の潜む領域ではマクシムと並んで先頭に立ち、魔獣から奇襲を受けてもあっさり回避して即座に反撃し、一刀で切り倒す技量の持ち主。仮に俺が今からカエデに切りかかっても、あっさり返り討ちだろう。


「さて、このあたりでいいでしょう」


 振り返ったカエデが、一本の剣を取り出して左手に握る。刀身の長さがひじから指先まで程度の、握り手を守るガードのついた剣だ。

 マインゴーシュと呼ばれる防御用の小型剣で、本来は右手に長剣を持ったときに盾代わりとして左手に持つものだが、カエデが持てば話は違ってくる。


「真剣でやるのか」

「練習用の剣で、この大きさのものがないのです。ロンさんも刃のついた槍を使っていいですよ?」

「嫌だよ。カエデみたいに寸止めできるほどの腕前じゃないんだ」

「ご謙遜を」


 剣を正面に構えたカエデが重心を落とし、目を細めた。俺は練習用の槍を中段に構える。


「では、参ります」


 カエデが無音ですべるように近づいてくる。俺は槍の先端でカエデの剣を払い落とそうとしたが、剣であっさり受け止められた。そのまま接近してくるカエデに対し、俺は槍を押し付けるようにしながら足を動かし、互いの位置を入れ替えるような形で距離を取る。

 それからしばらくは、間合いを詰めようとするカエデと引き離そうとする俺の攻防が続いた。

 

 槍と剣なら、長さの差で槍のほうが有利ではある。マインゴーシュのような刀身の短い剣が相手ならおさらだ。俺だってそれなりに経験を積んでいるし、並の相手なら剣の間合いの外から槍で一方的に攻撃し続ける自信はある。

 だがカエデはその差を技量で埋め、槍などないかのようにあっさりと剣の間合いまで近づいてくる。こっちが大振りすれば、その隙をつかれてあっさり負けるだろう。フェイントを入れる余裕もない。小刻みな突きと払いを繰り返してなんとか均衡を保つ。


「攻め切れませんね」


 数十回と打ち合った後、自分から間合いを離したカエデがそう言って小さく息をついた。


「こっちは攻めるきっかけも作れなかったけどな」


 俺は左手一本のカエデに防戦一方だった。彼女の右手が封じられていなければ、今ごろはもうカエデの勝ちだろう。

 その身のこなしは最前線に立って魔獣と戦っていたころのままで、ブランクがあるとはとても思えない。


「誰かと稽古を続けてたのか?」

「いえ。紫の光を受けてからは、昨日までずっと一人で訓練してましたね。一応は正騎士の一員なわけですし、兵士に弱いところを見せるわけにはいきません」

「他の騎士の連中とは? マクシムとかジオールとか」

「マクシムさんとなら今でも勝つ自信はありますよ。あの人は付け入る隙がたくさんありますので」

「あー。カエデから見たらそうかもしれないな」


 以前に見たマクシムとカエデの練習試合の時、カエデはフレイルのつなぎ目の鎖を一瞬で叩き切っていた。マクシムが振り回している最中にだ。

 カエデはフレイルの軌道を予測して剣を合わせただけだと言っていたが、そんなことを簡単に一発でやれるやつはカエデの他に知らないぞ。


「ジオールさんには剣の整備をお願いしてますし、他の作業も山積みのようですからね。あまり我がままを言う気にはなれないのですよ」

「俺なら我がままを言ってもいいって?」

「そんなつもりではなかったんですけどね。ロンさんと剣を合わせることで、今の自分がどれだけ戦えるかが判断できると思ったのです。強者との戦闘の中でこそ、見えるものがありますからね」

「強者?」


 カエデが俺の目を見ながら小さく笑った。


「ええ。私は、ロンさんの戦いの技量はこの開拓地で一番だと思っていますよ」

「そりゃどうも。だが、少なくとも一番じゃないな。一番はカエデだ」

「あら。ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです」


 お世辞じゃなくて本心なんだけどなあ。


 この開拓地で、誰が一番強いかと考えるなら。

 紫の光を受ける前の話になるが、遠距離なら弓騎士リアラの弓。近づいての純粋な腕力勝負なら盾騎士マクシム。不意打ちや罠などのからめ手を交えるなら陰騎士ムスタ。対多数への広範囲攻撃、制圧なら術騎士ユニの破壊魔法だろう。

 そして、正面切って一対一の戦闘の腕前という意味では間違いなく剣騎士カエデが一番だ。


「さて。もう一手、お願いしたいところですが」


 カエデが俺から視線を外し、横のほうを見た。

 そこには口を結んだキュウが、胸の前に両指を組んで立っている。


「キュウさんには悪いですけれど、もう少しご主人様を貸してくださいね? お料理はあとでしっかり教えますから」

「……キュ」


 キュウはあまり納得してないようだけど、小さくうなずいて胸を一回叩いた。カエデは再び俺に向き直って左手の剣を正面に構える。


 剣の腕ひとつで身を立て、開拓騎士団の正騎士にまでなったカエデ。その剣に対する想いは強く、利き腕を封じられた程度では消えなかったらしい。

 そんなカエデに少しでも応えられるよう、俺も気合いを入れて槍を構えた。


 それから俺たちは、朝食の時間までずっと打ち合いを続けていた。

 決着は最後までつかなかったが、まだ続けたそうなカエデの表情からして、近いうちにまた訓練に付き合うことになりそうだ。

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